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新成人になるもんではない

今年でハタチの成人式から10回目の成人の日を迎える。

令和4年度からは成人年齢が18歳に引き下げられ、大学受験シーズンと被る成人式をどうするのかというのはよく議題に取り上げられている。

成人というのは法的には、単独で法律行為が行えるようになる年齢、いわゆる成年に達した者のことを指し、身体的、精神的に十分に成熟している年齢を指すことが多いとされている。

成人してから10年目の節目にあたる今年、たまたま読んでいた本が、改めてどんな大人になりたかったのか、なりたいのか、ということをひとりの男性として考えさせてくれるキッカケになった。



ごく普通のサラリーマンが日常に虚無感を感じ、身体的、精神的に鍛え上げていくことによって、会社で関わった仕事を通して紛争事件に巻き込まれながらも、ひとりの男性として壊し毀されながらも立ち向かっていく。

酒、タバコ、女、車、暴力、凶器。

男性なら誰でも何かと憧れるようなモノが主人公を通して、こちらもハラハラするような展開でストーリーが進んでいく。

強烈に男としての優しさ、強さ、危なさ、弱さというものに拘って生きる主人公に自身の胸が高鳴ると共に、男とは何かということを深く考えさせられた。

成人してからという訳ではないが、文系の大学に入り、留学し、俳優を志して上京し、アルバイトとして人力車夫の仕事をしていた自分にはもちろん男の性というものはあるが、どこかに強く女性の性のようなものが混じっていると思い、男を意識するというよりは、その自分の中にいるマイノリティーな女性的な部分をより意識していたように思える。

女性的な部分というのはどれも表面的なことであり一概には言えないが、自分の中ではカフェによく行くことであったり、ユニセックスのような服が好きなことであったり、これまでそのことを誇りにフィーチャーしてきたように思える。

しかし蓋を開けてみると、昔から好きなのは強く男を感じれるような映画だったり、ラップ、ストリート系ファッション等であった。

何故かそれらは自分には似合わないからと掘り下げることはせず、女性的な部分を意識することによって、周りとの差別化を図ろうとしていたのかもしれない。

期間工になり3ヶ月、99%の男性に囲まれ、日々身体を酷使し精神が鍛錬されていくことは、自分の中の男の性を強烈に刺激し、先ほど述べたような昔から好きなものと初めて向き合っては自分の身体で表現していくのが本当に心地良く感じれている。

そして男の性を意識することによって表現できたものを、バランス良く女性的な部分が全体を修飾してくれるような形で自分らしさというものが見えかけているような気がしている。

行き詰まってたどり着いた期間工というものが山籠りのような形に変わってきて、さあこれから仕事をどうしようかという感覚よりかは、人間として、男として、自分自身として、どう生きようかという感覚に変わってきており、この先どんな仕事が待っていようが、このテーマは変わることなく、飽くなき探究心を持って、自分らしい道を進んでいこうという考えになった。

数字だけでは成人年齢をとっくに経ているが、胸を張って身体的にも精神的にも十分に成熟したと言われる成人になるにはまだまだ先の未来のことだと今日も一日をしっかり踏み締めて生きていくことの大切さを改めて感じた。

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