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【読書日記】4/30 図書館の日「真理がわれらを自由にする」本を自由に読む喜びに感謝を。「夢見る帝国図書館/中島京子」

夢見る帝国図書館
中島京子 著 文春文庫

4月30日は、昭和25年の図書館法公布の日を記念して、図書館の日だそうです。
そんな日に読みたい一冊。

文筆家である語り手「わたし」は、上野の国際こども図書館の取材に行った際に知り合った年上の友人、喜和子さんに「図書館が主人公の小説を書いてよ」と依頼される。
図書館が舞台の小説、ではなくて、図書館そのものが主人公という小説だという。
とまどう「わたし」は、その依頼は棚上げのまま、喜和子さんの元恋人の大学教授や下宿の藝大生を含めてゆるゆると交流を深めていたものの、いつのまにか古い家は取り壊され、喜和子さん自身は老人ホームに入り、体調を崩してなくなってしまいます。

その後「わたし」は、喜和子さんの人生を追体験するようにたどっていきます。
戦後間もなくの幼い頃の上野での暮らし。宮崎に移住して成長、結婚、子供を産んだものの、家を出奔して再び上野で暮らした顛末。
なぜ喜和子さんは、そんなにも図書館を愛し、図書館が主人公の小説を書きたかった(書かせたかった)のか。

喜和子さんの人生と上野と帝国図書館と本を愛した人たちの思いと歩み、そしてこの国の明治の開国から戦争を経て現代に至る歴史が重なり合っていきます。

本書の中には、二つの物語が入れ子のように挿入されています。
ひとつは、「夢見る帝国図書館」という小説(作中作)。
本書と同タイトルですが、これは、喜和子さんが書いて欲しいと願い、その題名ももう決まっていると言っていた小説のこと。
文明国には「ビブリオテーキ!」が必要、と福沢諭吉が主張する帝国図書館誕生前夜から始まります。
本と読書子のために奔走する図書館員(永井荷風の父もそのひとり)、通い詰める文豪たち(幸田露伴、芥川龍之介、谷崎潤一郎、菊池寛、宮沢賢治等々)、数少ないけれど女性(帝国図書館は樋口夏子(一葉)に恋をする!)たち、さらには近くの動物園の動物たちを見つめてきた帝国図書館は、戦争や政争に翻弄され続けて、最後の役目として日本国草案の憲法の参考資料をベアテ・シロタに貸し出します。
そして、戦後、国立国会図書館と名前を変えて幕を閉じるまでを25章にわけて描きます。

この作中作である小説の素人っぽい稚拙さ、どこか高校の文藝部誌っぽさを醸し出しながらも興味深くて惹かれるというさじ加減が絶妙。
盛り込まれているエピソードが魅力的で、ひとつひとつ掘り下げて調べてみたくなります。
これを書いたのはだれか、という謎も本書の楽しみのひとつ、自分なりの解釈を見つけてみてください。

もうひとつは、「としょかんのこじ」という児童小説。
喜和子さんの人生に深く影響を与えた、大事な大事な小説です。
「あたちはこじ(孤児)です」と始まり、面倒をみてくれている「おいちゃん」の背嚢に入れられて図書館にいき、そこで過ごす一夜の様子を描いているのですが絵本にしたらきっと素敵です。

この本の「後記」として記されている詩、本書をずっと読んできてこの詩を読むと心にすーっとしみ込みます。ああ、図書館ってそうなのよね。と。

とびらはひらく
おやのない子に
脚をうしなった兵士に
ゆきばのない老婆に
陽気な半陰陽たちに
怒りをたたえた野生の熊に
悲しい瞳をもつ南洋生まれの象に
あれは
火星へ行くロケットに乗る飛行士たち
火を囲むことを覚えた古代人たち
それは
ゆめみるものたちの楽園
真理がわれらを自由にするところ

中島京子 夢見る帝国図書館内作品「としょかんのこじ」後記より

ちなみに「真理がわれらを自由にする」は、国立国会図書館の使命「真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与すること」でもあります。

4月29日は、昭和の日。そして、30日は図書館の日。
文庫版の解説で京極夏彦氏も書いていますが、図書館の最大の敵は戦争。
戦争は、図書館に「予算の削減、思想言論の統制、物理的攻撃(空襲など)」をもたらすものなのです。
図書館で誰もが読書を楽しむことができるのは平和の証です。
本書の中で喜和子さんの名を「平和を喜ぶ」名前と寿ぐ場面がありますが、そういう意味でも図書館の象徴として描かれているのだと思います。
世界各地で戦火があがり、日本の防衛政策が転換しようとしているいま、平和のありがたみを肝に命じたいですね。

明日も本が読めますように。