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【読書日記】3/31 かこさとしさん。「未来のだるまちゃんへ/かこさとし」

未来のだるまちゃんへ
かこさとし 著 文藝春秋

Googleを開いて、今日は「かこさとしさん生誕97周年」だと知りました。

からすのぱんやさん、だるまちゃん等々私が子供の頃も、子どもたちが小さい頃も愛読した数々の絵本。
どの絵本も大好きなのですが、私の子供の頃のお気に入りは「ことばのべんきょう」シリーズ。「くまちゃんのいちねん」「くまちゃんのいちにち」など4冊あるのですが、細かいところまで書き込まれていて飽きません。
4月の入学式の学生の服装で、大学生が学ランを着ているとか、「ノート」ではなく「ちょうめん」と書いてあるとか、私にとっても時代がかっていて(だからこそ、面白がって眺めていた)、ことばの図鑑であると同時に「昭和の暮らし」の図鑑になっているなあ、と感じます。おそらく(元々の)サザエさんの時代と近いのかな。

さて、そんなかこさとしさんが、ご自身の人生を振り返り、未来を担う子どもたちへの祈りを込めた本書。

かこさとしさんは、敗戦のとき、周囲の大人たちが、戦時には散々戦意高揚を謳っていたにもかかわらず民主主義の時代に嬉々としているのを見て「失望憤激」したといいます。
そして、自分も何の疑問もなく「軍人になろう」と思っていたことを恥じたといいます。

敗戦の時、かこさとしさんは、19歳でした。
敗戦のとき、「自分も含めて当時の大人はすべて開戦にも敗戦にも責任がある」と思った人がどのくらいいたのでしょうか。
 もっと上の立場、年齢が上の人でも、指導者が悪い、自分たちは言われたことに従っただけだ、自分たちだってひどい目にあった被害者だ、と主張する人がほとんどだったのではないかと思います。
 なんの地位も力もない一市民それも19才の若者ができたことなどあったとも思えないのですが、「何も疑問に思わずその時流に乗ったこと」を「罪」と感じるかこさんを尊敬します。

昭和二十年というのは、僕にとって、一人の人間の終わりであり、始まりの年なのです。精一杯考えて、自分で「これ以外にない」と思ったことがまんまと違ってしまった。
あの時の後悔と慚愧、無知、錯誤の恥ずかしさを忘れるわけにはいきません。
やみくもに突き進んで、間違えて、血まみれになっていたのだと今でも思っています。
そういう過ちを犯したくせに、何もなかった顔は出来ない。そんなことでは、また同じことを繰り返す。そうなったら、また崖から落ちても取り返しがつかない。
これからは、そういうことが二度とないように、十分に用心しながら考えて、心がけてはいるけれどもまた間違えることがないとは言い切れない。
今という時代は、何かそんな不穏な気配さえあるような気がしてなりません。

未来のだるまちゃんへ/かこさとし

そして、かこさんは、過ちを犯した大人ではなく、これからを生きる子供たちに対して希望を託し、絵本を描き続けました。

「これからを生きていく子どもたちが、僕のような愚かなことをしないようにしたい、子どもたちはちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の力で判断し行動する賢さを持つようになってほしい」

未来のだるまちゃんへ/かこさとし

かこさんは、最後に子供たちに対してメッセージを残しています。

僕は、子どもたちに、自分がなんであるか、どういう生物であるかをしっかり知っていて欲しいと思います。
自分が生きている社会をよく見つめ、観察し、よりよいものに変えていってほしい。
現実が、醜く思えることもあるかもしれない。
しかし、それは今の現実に過ぎず、今をどう生きるかで未来は変えてゆけるはずなのです。
(略)
だから、僕は、子供たちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がってほしい。そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。
どうか、どうか、同じ間違いを繰り返すことがないように。
心から、そう願っています。

未来のだるまちゃんへ/かこさとし

私も、かこさとしさんの作品を読んで大人になったものとして、今を生きる大人として、過ちをくりかえさないために自分にできることは何か、を考えています。
かこさんが本書で言及していることのひとつに、「戦争」がなぜ起こるのかを考えていくと「経済」のことに突き当たるから、「経済」について子供たちに分かりやすく伝える必要がある、ということがあり、ああ、私はそれならできそうだ、と思っているところです。
また、子供たちを育てていくうえで「自分の頭で考える」ことを促していかないとと思っています。

かこさとしさん、沢山の作品と教えをありがとうございました。

明日は4月、入学進学おめでとう