【読書日記】1/15 今日はお休み、フラヌールしよう。「詩歌探偵フラヌール/高原英理」

詩歌探偵フラヌール
高原 英理 (著)河出書房新社


「フラヌールしよう」
フラヌール、は「遊歩者」。メリとジュンは町をフラヌールしながら、詩歌を探す。
最初、何のことやら、と戸惑ったけれど、「おわあがいる。」のあたり(9p)でこの本の世界に完全降伏。
 「おわあ」とは萩原朔太郎の詩に使われるオノマトペ。ある動物の鳴き声。
『塀の端のもっさりした葉の繁る大きな樹のそばに白黒と茶トラのおあわが安心顔で座っている。(詩歌探偵フラヌールより引用)』なんて、ひとつのありふれた単語を「おわあ」と詩の言葉に置き換えただけでこの世界の見え方が変わる。
「ノラおわあ」・・・なんて甘美な響き。

この後は、一気に最後のページまでメリとジュンと一緒にフラヌール、フラヌール。
 「林檎料理」を味わって、きのこを探す「きの旅」できのこの毒に少ししびれて。
 「意地悪の無い世界」を探して「ポエティック・スポット」にたどり着く。それは「街中で、山の中で、ふと、印象的な言葉の切れ端が耳に届く」場所。そこで流れる言葉を選ぶメリとジュン。
 うらやましい。私だったら、何を選ぼうか。

 本書に引用されているたくさんの詩、ことばが、私の脳と心の柔らかいところにしみこんでくる不思議な感覚。ゆるふわ、と現と詩の世界を行きつ戻りつする心地よい酩酊感。
 
 知っていることと分かることは違う。
 今まで読んだことのある詩もたくさんあったけれど、日常の暮らしの中にその言葉たちをおいたことはなかった。
 いってみれば、ガラスケースの中に陳列された言葉を鑑賞していただけ。
 メリとジュンのように「探偵」してみれば、詩は、世界の別の顔を見せる鍵になってくれるのかもしれない。
 詩のある世界はやさしい。
 詩を読もう、そして「詩歌探偵」してみよう。自分と他者を慈しむために。
 
気に入った本に出合えて安らかな休日。
明日からは、また がんばろう。忙しい日ほど、詩が必要。