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【読書日記】9/14 かわいいね。「ファイン/キュート 素敵かわいい作品選」

ファイン/キュート素敵かわいい作品選
高原 英理 (編)(ちくま文庫)

 
かわいいものが好き。
かわいいひと、もの、ことに出会うとうっとりして、きもちがやわやわとなります。

語彙力が乏しさが露呈しますが「かわいい」とは実に便利なことばです。
動物や幼子だけでなく、年を経て枯れた風情のものもときに「かわいい」。
細工物もざっくりと大雑把なものも精緻なものもどちらも「かわいい」。
形のない色だけでも、視覚を伴わない音や匂いも「かわいい」。

そんな「かわいい」がたっぷり35編もつめこまれたアンソロジー。
今年のお気に入り本「詩歌探偵フラヌール」の高原英理さんが「キュートは生きる糧。でもかわいいだけじゃ物足りない。素敵さといっしょでないとね。」という、ありがたい方針で編集しているのです。こういう切り口の編集もあるのだなあ、とうれしくなりました。

収録されているのは、物語、エッセイ、詩、短歌、俳句と形式は様々、国も時代も様々、でもどれも「かわいい」。

アイヌ神謡集の知里幸恵 「日記」に綴られた少女のひたむきな心。

「聖家族(小山清 著)」のヨセフとマリアと赤んぼイエスのどこにでもいそうな若夫婦の初々しさ。

「スイッチョねこ(大佛次郎 著)」の白い子猫とおなかの中に飛び込んできたスイッチョをめぐる猫たちのとぼけていてやがて少ししんみりの顛末。今の季節にぴったりの味わい。

「妻が椎茸だったころ(中島京子 著)」の妻に急に先立たれた夫が妻が遺したレシピとも日記ともつかないノートを見ながら椎茸と悪戦苦闘する哀しみとおかしみ。
このおじさんもいいですが、ノートの中の奥さんもかわいい。

 椎茸が二つ並んでいる姿はとてもかわいい。もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う。

妻が椎茸だった頃。妻の遺したノートから。

妻の「椎茸時代」を理解できないおじさんが、とある女性の「ジュンサイだった頃」の話を聞き、7年後にどうなったのか。
最後に広がる光景もしみじみと「かわいい」。

クリスティナ・ロセッティの「誕生日」
 わたしのこころは濡れた若葉に/ 巣をかけて 歌うたう小鳥のよう
とみずみずしくうたいあげ、
 わたしのいのちの誕生日が来たのです/わたしの恋びとが来たのです
ああ、なんとくすぐったくなるようなかわいらしさでしょうか。

きりがないのでやめますが、かわいい動物、可憐なことば、幼い子供(子供だけでなく)、不思議可愛い世界、哀しみや痛みも混じるかわいさ などなど、それぞれの作品から醸し出される「かわいさ」の違いも楽しめました。
私なら何を選ぶかなあ、などと自分の「かわいい」在庫を思い浮かべて余韻を楽しんでいます。

さて、今日は、さるちゃんのお誕生日でした。
赤ちゃんのさるちゃんにお兄ちゃんになったばかりのかめくんが「かわいいね、かわいいね、おててもあんよも おめめもおくちもみんなみんなかわいいね」と語り掛けていたのがついこの間のようです。

生まれたときに色々あってしばらくNICUのお世話になったさるちゃん。そのせいなのかどうなのか、今でも心身ともに凸凹と課題があり今日も街の大きな病院まで検査にいっておりました。
結果は特に異常なしでほっとする一方、今の状況がよくなる糸口も見つからない、ということ。
この子は、この先、生き辛いことも多かろうと思うと悲観的になるときも多いのですが、かわいい笑顔があるから、頑張れるのでしょう。

やっぱり「かわいい」は強いなあ。