見出し画像

言葉を磨く13のショートエッセイ

1.自分の使っている言葉を知る
2.どんな言葉を使いたいのか
3.ポジティブな言葉
4.ネガティブな言葉
5.ポジティブ、ネガティブどちらがイイの議論
6.同じ言葉でも解釈は異なる
7.その言葉、適当に使っていませんか
8.自分のことを見たくないなら書くな
9.本当に聞いてますか
10.触れる言葉がすべて
​11.言葉はいくつもの連想を生む
12.僕らはどうやって言葉を知ったのだろうか
​13.使わないと腐る言葉たち
1.自分の使っている言葉を知る

『毎分毎秒、誰もが使っているんだよな、言葉って』


自分がどんな言葉を使っているのか、考えたことがあるだろうか。
自分の言葉にはどんな種類だろうか。どんな傾向があるのだろうか。
ポジティブな言葉かも知れないし、ネガティブな言葉かも知れない。


ただ、自分ではポジティブだなと思っていても、いざその言葉を文章という形で表してみるとどうだろう。意外と、思っていたほどポジティブではない言葉だったと気づくこともあるだろう。


まずは自分がどんな言葉を使っているのかを知るところから始めようじゃないか。

そうやって、僕は言葉を磨き始めた。

2.どんな言葉を使いたいのか 

『僕は、どんな言葉を使っていきたいのだろう』

 
僕らの使う言葉というのは変幻自在な道具である。
言葉を発する側であれば、声の大きさはもちろん、表情、雰囲気など様々な変換器を通して、受け取り側に受信される。だからこそ、言葉は一歩間違えると余計な問題を引き起こすことも多々ある。


ここでは自分がどんな言葉を使っていきたいのかを見てみよう。


まずは自分の今の状態を把握すること。ポジティブな言葉を使っていきたいと思いながらも、ネガティブな言葉を使いたいと思っているのかも知れない。『大丈夫、大丈夫』という言葉の裏側には『どうせ無理だろ』という言葉があったりする。


そう考えると、言葉自体は割とと表裏一体の面を持ち合わせている。僕はどんな言葉を使っていきたいだろうか。


そうだな、気取らずに、気張らずに、誰かの受け売りではない、自分の奥底から湧き出てくるような感動を表現できるような言葉を使えたらいいなと思う。


君はどんな言葉を使いたいのだろうか。
いや、どんな言葉を使うことを意識していくのか。
 

普段使う言葉をどう意識していくかがポイントになりそうだ。

3.ポジティブな言葉

『ポジティブな言葉って無理矢理な感じがあって嫌だな』


そう思う人も少なくないだろう。ポジティブが苦手だという人は思っているよりも、僕らの周りにいる。無理矢理使うこともあるだろうが、気が乗らなければ使わなければいい。ただそれだけのことである。時にはその無理が功を奏することがあるだろうが、逆に失敗や後悔を引き起こすことも十分にある。要は使い方と自分自身の反応次第なのだが。


ただ僕自身は、言葉を出来る限りポジティブに使いたいと思う。
決していい影響を与えることばかりではない。ときに軽率な言葉として聞こえてしまうこともあるし、相手や自分を傷つけてしまうことにもなることは重々知っておいた上で選択したい。


自分が相手を力づけたりすることができるのか、できないのか。
どちらにせよ、自分が実際に行い体験した上で、自分がどういう言葉を好むかは決まってくる。実体験がないときは、ふわふわしてしまい、自分でもどうか分からない、不明確な状態である。


僕の場合は、ポジティブな言葉を投げかける方が自分としても使いやすく、罪悪感を感じにくい。
要はその方が自分らしいと思えるからこそ、その言葉を使っているみたいだ。

4.ネガティブな言葉

『ネガティブな言葉とか言われたら、マジ萎えるわ』

 

あまりいい影響を受ける印象のない、ネガティブな言葉。使われることに敬遠されながらも、僕らはよく無意識に使っている。おそらく、これもまた必要な言葉だからこそ、僕らの口から、頭から発せられる。ポジティブな言葉の反対という印象を持たれる。もちろん、一般的にはその通りであり、表裏一体のセット商品のようにも聞こえる。しかし、これはマクドナルドのハッピーセットのようなただの付け合わせ商品の集まりではない。


ネガティブには時に、人を奮起させるような力がある。もちろん、これはネガティブを力に変えるという変換力を要する。できないからこそ、できるようになりたいという欲求を刺激し、できるようになったことを快感にさせる。そうなると、ネガティブは急に大きな力を持ち、その本来の力を発揮させるのである。これがネガティブパワーである。

もちろん、このスタイルは自分を奮起させることができる人にとっては有効である。しかしながら、ネガティブに押し負けてしまう人も少なくない。持っている力を吸い取ってしまうような感じ。結局、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、その言葉で自分の力にすることができれば、それが言葉という道具の持つ意味である。

言葉は僕らを力づけてくれる最も近いパートナーなのだ。

5. ポジティブ、ネガティブどちらがイイの議論

『結局どっちがいいんだ』

この手の議論、つまりどちらの方がより良いかという議論は非常に多い。この議論自体には何の罪もないが、この議論の答えは多くの人は本当には気づいている。


そう、答えは『どちらもよい』である。僕自身がさらに『で』という平仮名を加えて、『どちらでもよい』という言葉にする。


世の中、正があれば負があるように、表があれば裏があるように、反対というものが存在する。そのうちどちらかが良いといえば、反対のことは悪いという判断を下されがちである。正直なところ、自分次第なのである。他人の意見に振り回されていては、本当の自分の選択をすることができない。自分にとって都合のよい方を選べばいいだけなのである。ポジティブを選択して自分が幸福を感じられたり、良い選択だったといえるのであれば、それはポジティブである方が良かったという体験だろう。ネガティブを選択して自分が何かしらのメリットを感じられたのであれば、それもまた良い選択だったといえる。つまり、選択の段階ではポジティブだろうが、ネガティブだろうが、どちらが良い選択だったということはできないのである。唯一、どちらかを選択した場合に限って、後天的にどっちが良かったかの評価をすることが出来るのである。


ということはだ、結局どちらでも良いのである。どちらでも選択して良かったと思える結果が得られるようにコツコツと努力し続けるということが、その答えなのかもしれない。

6.同じ言葉でも解釈は異なる

『同じ言葉を使ってるのに、どうしてあの人と同じようには伝わらないのだろう』


僕らの誰もが、言葉を使っているけど、なんで。


『おはよう』


その言葉1つを取ったとしても、僕が言うのと、あなたが言うのでは違う言葉である。また受け取り手によっても異なる。気分がいい状態で言えば、明るく聞き取りやすい『おはよう』かも知れないが、機嫌が悪い状態で言えば、ぼそぼそと何を言っているのか分からないような暗さを感じる。


言葉にも話す言葉と聞く言葉、書く言葉と見る言葉のように様々な種類があるわけである。だからこそ、その一つひとつの解釈は一人ひとりの脳で咀嚼され、アレンジされた状態で相手の中に入っていく。


この言葉は自分にとってはこういう意味。
じゃあ、相手にとってはこの言葉はどういう意味をなすのか。
それを考えながら言葉を選んだり、綴ったりするだけで言葉は深さや広がりの片鱗を魅せる。同じ言葉だが、自分と相手がいるからこそ解釈は異なるものなのである。


最初から共通言語はない。
発達と成長の中で、相手との共通言語を形成していくものなのである。

7.その言葉、適当に使っていませんか

『何にも考えていませんよ。 いちいち考えていたら面倒くさいです』


言葉ってのは、誰もが学習すれば話すことも書くこともできる。コミュニケーション手段として優れたものである。それにも関わらず、多くの人が言葉のことをただ話すための道具、伝えるための道具としてしか思っていないように感じる。ただ少し視点をずらしてみると、この言葉も鍛えたり磨いたりすることができるのである。それをどうやるかというと、実際に使うことである。当たり前すぎて拍子抜けしたかもしれない。しかし、担当直入に伝えるとしたらこれに尽きるのである。プレゼンのスピーチをすることも、取材のインタビューをすることも、ブログを書くことも、歌を歌うことも。いずれも自分の言葉を鍛えたり、磨いたりすることができる訓練の1つである。


言葉だって、適当に使われてしまえば、相手にも適当に伝わる。僕の好きな言葉の中にこんな言葉がある。


『言葉には引力がある』


言葉がものや人を自分に引きつける力を持つということである。この言葉を知ってからだろう、どことなく僕はこの言葉を意識している。自分の使う言葉が、自分の周りの人やものを示していると。僕は自分の周りには、できるだけ前向きで挑戦している人たちにいてほしいということもあり、なるべくそんなメッセージや期待を込めた言葉を使い、綴っている。


だから、適当な言葉を使えば、適当な人が自分に集まる。あなたがどんな言葉を使うかは、あなたの周りにいる人たちを決めている理由の一つかもしれない。


言葉の引力、試してみてもいいのかも知れない。

8.自分のことを見たくないなら書くな

『書くということは、自分を見るということである』


文章を書くということは、書いたことのない人からすると分からないかもしれないが、自分自身を客観的に見るということなのである。自分の書いた言葉が全てなのである。さぁ書いてくれと言われて、何を書いたらいいのか分からない人は普段から疑問を抱かなかったり、何も意見を言わない人かもしれない。もちろん、そうではないという例外はあるはずだ。しかし、一度そういう面もあるかも知れないと自分で試着してみること、つまりそうかもしれないと自分に疑いをかけることが大事なのである。


だから、文章を書いてしまうと自分のことが見えてしまうのである。もし、あなたが自分のことを見たくないのであれば、もはや文章を書く必要はない。セールスレターのような、ビジネス目的のテンプレートを使用しながら書いていればいい。ただし、本当に自分のことを知りたいのであれば、自分の言葉で自分のことや自分の意見を文章として世に出していけばいい。


書くことにも色んな種類があるが、自分のことを知るために書くという方法があることは知っておいて損はないはずだ。 

そう考えると、手紙のような古典的な連絡手段は、書き手にとっても読み手にとっても非常にメリットのあるものかもしれない。

9.本当に聞いてますか

『最近は人の話を聞かない人が増えたな』

ある一定の年齢を超えたあたりから、若い人と会話していると、そんなことを言う人がいる。しかし、若い人に限らずに人の話を聞いていない人は結構いる。人への関心が薄れている証拠だとも取れるかもしれない。


ただ、人の話を聞いていない人が増えたことを考えると、いかに人の話を聞くことが難しいのかを物語っているとも捉えることができる。


人の話とは、注意深く聞いていないと聞けないのである。誰かと会話して、その1時間後のくらいにどんな話をしていたかと聞いてみるとどうだろうか。ほとんどの人が何の話をしたのか覚えていないだろう。何かしらのキーワードやワンフレーズや大枠のテーマについては答えられるかもしれない。昨日の晩御飯で何を食べたか答えることができないことだってあるのだから、人の話を聞くということはいかに難しいかが分かる。


一度試してみるといい。会話の中でこの人は何のことを言いたいのか、どういうことを伝えたいと思っているのか、何を僕らに届けたいのか。それを考えることを。


本当に話を聞いたとき、その会話は今までより一段階上のものになり、相手とのコミュニケーションはさらに深まり、よりよい関係を築くための一助になるだろう。

10.触れる言葉がすべて

『今日はどんな言葉を目にしただろうか』


毎分、毎秒僕らは目に見えたり、音になって聞こえてくる言葉を受け取っている。何もしていなくても、僕らに目と耳がある限り、それは続いていく。


僕らの記憶は、意外と短期記憶の方が好きなのかもしれない。本やセミナーで学んだあと、その日か翌日、よくて1週間くらいはその記憶は残り、普段の仕事や生活の中で実践したりする。そうであれば、僕らの行動は直近に行われたことや触れた言葉の影響を大きく受けるのではないだろうか。


ということは、よりよい人生やよりよい毎日を過ごそうと思ったら、今触れている言葉をよりよいものにすればいい。


今、目の前に映っている言葉は綺麗だろうか。
今、聞こえてくる言葉は心地よいだろうか。


道路にある企業の広告看板、駅の旅行ポスター、電車の上にある週刊誌広告。僕らの街には今日も、僕らの毎日を力づけている言葉が溢れている。


今日触れる言葉で、僕らは今日も生かされている。

11.言葉はいくつもの連想を生む

『桜と言えば?』


そう聞かれると、あなたは何と答えるだろうか。


桜と言われると、ピンクとか、春とか、そういうのを感じるのかも知れない。一方で卒業式を代表とされるように、別れなんかを連想する人もいるだろう。


そうやって、僕らは一つの言葉に対して、いくつもの意味を持たせる。そう考えると、言葉というのは難しいことがよくわかる。特にこの日本語という言語を外国の人に理解してもらおうと思うと、尚更難しさを感じる。


ただその反面、たった1つの言葉がどこまでも広がっていくような、無尽蔵の可能性のようなものを感じる。


言葉はそのまま受け取っても、受け取り手によって、恐ろしいほど違いが出てくる。


やはり、言葉は諸刃の剣だ。

12.僕らはどうやって言葉を知ったのだろうか

『生まれたときはオギャーと泣いているだけだった』


生まれたときから、言葉を知っている人はいない。言葉にならない言葉のような表現を使って、一生懸命に自分の意思を伝えようとしている。


では、僕らはどうやって言葉を学んで使ってきたのか。


僕らが生まれたとき、周りにはお父さん、お母さん、おじいちゃんやおばあちゃんがいた。人によっては兄弟がすでにいたという人もいるだろう。生まれたばかりの僕らに対して、沢山の言葉を投げかけてくれた。そして、僕らも年を重ねながら少しずつ、言葉を、言葉の意味や使い方を覚えていった。


そして、少し大きくなると絵本や本に触れる。テレビや漫画にも触れるだろう。そうやって、また新しい言葉を知っていく。


大人になると、段々気づいてくる。自分が何も知らないまま年齢を重ねてきたことを。そして、様々なビジネス書や研修を通して、また新しいことを知る。何も知らなかった状態から少しずつ知っていく。


どうやら僕らは、成長していく中で人と本から多くの言葉を教えられるようだ。


それぞれ過去を生きていた人と、物語の中を生きている人と、今を生きている人から。

13.使わないと腐る言葉たち

『あぁ、上手い表現ができない』


文章を書いていたり、なにかプレゼンをするとき、仕事でクライアントに説明をするとき、本当はもっとこういう風に伝えたいのに、上手い言葉が見つからない。もどかしさとでもいうのだろう。


上手い言葉遣いや、自分が納得できる言葉というのはふと降りてくるようで、降りてこない。これは普段から使っていたり、そういうセンサーに敏感になっているからこそ。文章を書いている身からすると、長期間パソコンから遠ざかっていたり、SNSやブログなどの文章を公開するためのツールを利用しないと、キーボードのタッチが進まないという体験がある。


今の手持ちの言葉も、使わないとどうやら腐るのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?