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【障がい/病気】ASDのうつ病が就労継続支援事業所A型を利用してから半年経ったので今後の展望を語る

就労継続支援事業所A型を利用してから半年になる。


半年経った今どうなったかというと、A型事業所を辞めることになった。辞めさせられたとかそういうことではなく、私が私の意思で退職を決意した。
どうしてそのような考えに至ったか、今後の展望などをここに記していきたいと思う。



【就労継続支援事業所A型のこと】

仕事内容はなんだったか


入所していた事業所で私がやっていたこととしては、主にパソコン業務だった。店舗のレビューを書いたり、Excelで図面を作ったり、提出された資料にアカウント登録用の情報がきちんと揃っているかを確認したり。私はやっていなかったが、物流倉庫でのピッキング作業や、レターセットなどを作る軽作業もあった。
こんなことを自分で言うのもアレだが、事業所の中では仕事のできるほうで、任されていることは多かった。とはいえ、その日のシフトによって業務内容を調節される仕事を前提とされているので、仕事の内容は単調で簡単な仕事が多い。

人間関係はどうだったか


(私から利用者側に対しては)良好であったと思う。私は発達障害(ASD)とうつ病という障害のもと入所を果たしているが、特に今までの人生で人間関係に困ったことはないため、コミュニケーションの支援を必要とはしていない。だから特に利用者同士で衝突したりすることはなかった。
が、利用者さんから当たられることはあった。利用者さんには様々な人が居る。私のようなコミュニケーションに支援の必要がない人も居れば、コミュニケーションの支援を必要とする人も居る。その中でも、コミュニケーションの支援を必要とするような人たちからの言葉、態度、そういったものにストレスを感じることは多かったように思う。

例えば、距離の詰め方が早い人に怯えたりとか、私の話や意見を聞かずに強引に物事を自分の思い通りに進めようとする人だとか、八つ当たりされるだとか。一般企業よりコミュニケーションの支援を必要とする人が多かったのもあるのか、利用者という立場でありながら、コミュニケーションができるばかりにフォローに回る瞬間がたくさんあった。


【何が不満だったのか・合わなかったのか】

就労A型だったからこそ思った部分と、就労A型とは関係なく思った部分がある。

就労A型だからこそ思った部分としては、
・仕事が単調でつまらなかった、やり甲斐がなかった
・コミュニケーションのレベル差が大きく結果的に孤独感を味わった
・副業が許可されておらず、実績など将来への準備ができなかった

関係なく思った部分としては、
・出社(職場で仕事をする)という勤務形態が合わなかった
・自分の個性や特技が発揮されない仕事に苦痛を覚えることがわかった
・チームワークを伴う仕事が好きではなかった
・入所当初の契約内容と相違があった

だった。以下にその詳細を記していく。

・仕事が単調でつまらなかった、やり甲斐がなかった

上記で記した通り、A型はその日のシフト(出勤してきた人の数)によって業務内容を調節される仕事を前提とされているので、仕事の内容は単調で簡単な仕事が多い。その日中に終わるもの、一週間の期間の中でノルマがあるものなど、長期的に手掛けるプロジェクトはほとんどない。
だからこそ休みを取りやすい、日々の業務のストレス量が少ないなどのメリットが生まれていることに間違いはないが、私はそれが向いてなかった。
端的に言えば、ストレスがかかってでも高度な技術を要する仕事がしたかった。やり甲斐がほしかった。ただ、それはA型事業所で仕事をしている限り機会が訪れることはあまりないので、仕事に希望や楽しみが持てなくなってしまった。

・コミュニケーションのレベル差が大きく結果的に孤独感を味わった

これも上記に書いた通りだが、利用者という立場でありながら、コミュニケーションができるばかりにフォローに回る瞬間がたくさんあった。それはストレスでもあるし、孤独感がある。話が通じること、円滑に進むことがどれだけ快適か、というのを私はこの時初めて知った。
得意でもないフォローをずっと続けていくのだと思うと絶望してしまったし、とても孤独だった。ただ、現状のコミュニケーションのレベル差というのは、働く場所を変えれば(また別の問題は生まれるかもしれないが)、対処できる問題であることに気が付いてしまった。働くならせめて、もっと話の通じる場所がいい。

・副業が許可されておらず、実績など将来への準備ができなかった

A型事業所では行政からの規則で副業ができず、会社の業務や会社名義でしか実績を積むことができない。副業ができるということは支援がなくても仕事ができる→A型事業所の利用者には当てはまらない、という理屈。
将来やっていきたい分野がイラストなどのクリエイティブ系の仕事である以上、実績を作らないと食いつなぐことは出来ない。仕事をしながら実績を積むのが一番だが、それがA型事業所では叶わない。現にコミッションサイト等でイラストのご依頼を受けることができないのは、将来的にも現在進行形でもかなりつらかった。
会社名義でイラストとか個人の仕事を取ることももちろんできた訳だが、会社である以上は利益を出さないといけないのでコンスタントに仕事が来ないといけない。更に個人契約となるとわりかし契約しやすくはあるが、会社名義で仕事を取るということは企業間の契約ということになるので、より仕事の委託や受注のハードルは高くなる。それによって取れない仕事は多いとわかった。
個人で依頼を受けたり業務委託の仕事を請け負ったりする方が私のやりたい業界では仕事を取りやすい。

・出社(職場で仕事をする)という勤務形態が合わなかった

大学を卒業してから半年後、就職を挟まず在宅でイラストレーターとしての仕事をしていたため今回の就労が初めての出勤だった。が、出勤が致命的に向いていないことがわかった。人の気配や音や光といった自分でコントロールできない部分のストレスがあまりにも大きかった
冷静に考えたらずっと昔からそうだったのだ!授業中強い風が吹いたりしているとずっと授業の内容が頭に入って来なかったし、前の席の人が動くとそれに気を取られて黒板の内容があまり頭に入らなかった。高校生のときなんかクラスの人達がギャアギャアと騒ぎ立てたときは、パニックになり教室を飛び出してしまったこともある。
それを考えると今後この不向きが改善されるとも思えず、一生付き合っていく特性の部分だと判断した。なら今後は在宅で仕事ができるのがいい。

・自分の個性や特技が発揮されない仕事に苦痛を覚えることがわかった

世の中には仕事と特技(や趣味)を分けて生きている人も居るのだろうが、私は特技(イラストなど視覚的なクリエイティブ技術やプログラミング)が生かせない仕事をさせられるとつらくなってしまうことがわかった。自分が想定していたより、自分は職の内容や技術を重視しているし、そこが叶わないとストレスになる。
A型事業所で淡々とした作業をしているとき「個性が死んでいく……」と思い本当に涙が出たことが何度かあった。ここでいう個性というのは特技という言葉に置き換えた方が正しいが。

・チームワークを伴う仕事が好きではなかった

チームワークを伴う仕事が出来ないとか苦手とかではなく「好きではなかった」。チームで仕事をすることももちろんできるけど、個人の責任や裁量が大きい……というか個人で完結する仕事が好き。イラストの仕事をして居た時も一人で一つの工程を担当していた。結構気が楽だった。
なにせ私は大学生のときホームページを6人チームで作る課題を、コミュニケーションのめんどくささのあまりに一人で作り上げたことがある実績がある。(私以外のチームの全員がやる気がなかったことがそもそもの原因ではあるが……)

・入所当初の契約内容と相違があった

実は私は「デザイナー」としてA型事業所に雇用されていたが、この半年でデザイナーとして仕事を振られることは一度しかなかった。A型事業所に入所する際は、まずはハローワークで応募する必要があるのだが、求人票でもきちんと私はデザイナーとして雇われている。
入所時の面接で「デザイナーとしてやっていきたい」と伝えていたこと、その上履歴書に記載していた事、事業所側もデザイン部署があることをホームページ上で売りにしていたこと、上記の副業の禁止の件も相まって、デザイナーの仕事が振られないことに不満を覚えたのが先月のこと。
担当者に訴えたところ、遠回しに「デザインの仕事が入って来なくて仕事を振れない」「デザイナーじゃなくていいんじゃない?今の業務内容でも(今の場所でやってほしい)」と言われてしまったのだった。
上記で散々要素を述べてきたが、今勤めているA型事業所に不信感が積もったことが今回の退職の決め手だった。
(これ以外にも、私が思うより支援員が物事や仕事を把握しておらず介入してくれないことや、私に業務外時間でのワークショップの依頼をする割に給料がでなさそうな雰囲気であったことなど、違和感を覚える瞬間はたくさんあった)

以上が、私が就労継続支援事業所A型で気づいたことだ。
もちろん良いことはたくさんあった!常に支援員が職場に居てフォローをしてくれること、体調などに気を遣ってくれたり休みがとりやすいこと、外部の相談員さんも介入し就労の計画を立ててくれること、最低賃金の給料が保証されていること、一日4時間の勤務で休憩がちまちまと設けられていることなど……。とても良い環境であることは間違いなく、障害や病気の関係で上手く働けない人たちの受け皿や居場所になっていることに間違いなかった。
本当にただ、就労継続支援事業所A型は私の特性や将来に向いてなかったというだけなので、利用者や事業所の全てがこれに当てはまるわけではなく、あくまで私の話であることを承知してほしい。

【将来の働き方について】

ここからはテイストが変わって、「じゃあA型事業所をやめたあとはどうするの?」という将来の話をまとめていく。

仕事内容や勤務形態の外せない条件

上記の気づきを踏まえたうえで今後の仕事選びを考えるなら、

・在宅ワークができる
・技術を生かせる(視覚系クリエイティブ職、プログラミング)
・個人での業務が可能
・パートやアルバイト(週3~4日で1日6時間勤務を想定)がある

が今の希望。

イラスト一本とかで食って生ければ楽なのだが、私の気質的に稼げる手段はいくつもあった方が良い。そして世の中の求人情勢などを考慮すると、一番合致するのはWebデザイナー(兼コーダー)だと判断した。(※私は高校~大学で工学の情報系を専攻しており、プログラミングの勉強をしていた)

Webデザイナーになるには?

求人を調べてみたところ、やはり実務経験(平均2年)が必要な場所が8~9割を占める。つまりは実績を積まなければならないが、現状Webデザイナーやコーダーの実績が私にはない。
ぶっちゃけた話、高校大学でWebコーディングの基礎はさらっと学んでるので、正直独学でいけなくもないと思う。ただ問題なのはデザインの方で、これまでデザインの勉強もちまちまとやってはいたけど独学でやるのは難しそう。成果物に対するレスポンスを得る機会がないと難しい。
つまり問題はデザインの部分、その中でもソフトの使い方というよりはデザイン理論を教えてもらう&フィードバックを貰える&ツテがないことなので、スクールに行くことが手っ取り早いと判断。職業訓練校のWebデザイン科はeラーニング系の学校が多いので在宅で学べるし一日の訓練時間が4時間程度なのも嬉しい。

職業訓練校に行く理由

上記で説明してる通り、そこらのスクールに行かないのはもちろん理由がある。
学校は当然だけどお金がかかる。でも職業訓練校は基本(受講のための選考を通りさえすれば)無料で通学することが可能。その上、雇用保険を受給できない求職者(失業保険がでない人)は求職者支援訓練制度を利用することができる。

求職者支援訓練制度って?

求職者支援訓練制度がどういったものかというと、簡単に言えば受講料の全額負担+就職サポート+月10万円の生活費補助。すごくないですか?10万って。勉強しながら生活ができる、本当にありがたいことです。この制度を利用するには月の収入が8万以下だったりなんだりの制約があるので希望するみんながみんな受けられる訳じゃないらしいが……。
今退職すれば就業1年未満になるので失業保険は受けられない。それを逆手に取る算段。
……今の給料ってどんなに頑張っても5~6万だから、なんなら在職してるよりお金もらえる。ヤッベ。(私は障害基礎年金2級を受給してて、月約7万の収入があるからそれに給与の+5~6万といった形)(年金を納めてくださってる方々の悲鳴を聞くと本当に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになるけど、だんだん健康になっていって社会復帰に近づいてるからそれを恩返しとさせてほしい。本当にありがとうございます)

通学しながら並行してやっていくこと

職業訓練校通学中はアルバイトが可能なので、副業ができる。なので、得意な動物イラストで多少の収入を得ていくことが、通学と並行してやっていくことだ。
最近は鳥(キンカチョウ)の絵をよく描いていて、現時点で数人のキンカ飼いさんから「依頼を開始したらぜひうちの子を描いてほしい」と言われている。
もちろん得意な獣人を描いていくでもいいが、それを描くにあたってのMPとか、描きやすさとか、自信とか、そこらを踏まえるとデフォルメイラストだとか、ペットイラストだとかオリキャラの獣人化イラストその辺なので、そっちの方面にも依頼の幅を広げていこうと思った次第。
Webデザイナーになる話こそしたけれど、正直それである程度の収入が得られて生活が軌道に乗るならそれはそれでいいと思っている。
(人ってどんなに不景気でも推しと子どもとペットにはいくらでもお金出すところありますし……)(あるよね?)

また、職業訓練校のWebデザイナー科についていろいろ調べた結果、自主学習は欠かさない(ポートフォリオを制作できるような技術を積む)こと、通学しながら就活を進める方が良いと言われていたので、その辺も職業訓練校に入る前の今からやっていきたいと思う。

【ASDのうつ病、フリーランスになる。(なりたい)】

今は発達障害(と二次障害を持った)者が、フリーランスとしてどうやっていくか?という情報を収集している。
先日、地元のなかぽつ(障害者就業・生活支援センター)に現状と今後の相談をしてきたが、最終的にはやはり「フリーランスのフルリモートが良いと思います」と言われた。そこの担当者さんは本当に良い人で、我々のような発達障害者でフリーランスをしている人は多く、のびのびとやっている人がたくさん居ることや、私と同じ理由でA型事業所を辞める人も多いことを教えてくれた。その上、私のイラストまで拝見してくれ「仕事として十分やっていけるだけのクオリティーだ」と嬉しい言葉もかけてくれた。
だから頑張ろうと思う。数年後には、同じ題目で“(なりたい)”の部分がなくなるように。

今後もなにかわかったことなどがあったらnoteに投稿していきたいと思っています。頑張ります、なんとか少ないキャパでこの世を生きていくために。

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