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手仕事という生業について思うこと

これまでに、たくさんの旅先で手仕事のワークショップを体験してきた。
紙漉き、織物、染物、糸紡ぎ、縫い物、焼印、美濃焼、七宝焼き、金箔貼り、竹細工、吹きガラス、陶芸、押し花、活版印刷、食品加工系。

体験する度に「楽しい!」と思ったけれどどれも一過性の感情だった。
「持ち帰って 家でも作りたい!」と思うほどの手仕事や、「実生活の中で使いたい!」と思えるほどの出来栄えのものを作れた試しがなかった。

だから余計に、作る人を尊敬するし、わたしは作る人間じゃない、と思っていた。

それでも旅する度に 懲りずにワークショップに参加してしまうのは、やっぱり作ることがすきで、作る人になりたいという憧れをどこかで抱えていたからだろう。

ー・ー・ー・ー・ー

前職が作家ものの器や雑貨も取り扱うセレクトショップのスタッフだったこともあり、社会人になってからの2年間で作り手の方と関わる機会が増えた。

憧れの作り手の方に会って思うのは、「みんな めっちゃいい人…!!!」ということ。
良いものを作る人は、いい人。
今のところこの方程式は100%合っている。

退職した直後、1人の紙もの作家さんにお会いした。前職で関わらせていただいていた、本当に尊敬するものづくりをされる方。

その方とのお話の中で、「どうやってデザインを考えているのか」という質問をさせていただいた。
するとお会いしたカフェをぐるりと見渡して、

「いろんなところから発想しますよ。例えば、あのソファーの上に黄色いクッションが3つありますよね。同じ色で細めのストライプ、無地、太めのボーダーで並んでるのかわいいな、あの並びの紙袋作ったらかわいいかも、とか。例えば、この本棚のこの2冊の本の背表紙の色、薄紫色と白色の組み合わせ いいな、とか。」

日常生活の中で感じた印象を分析して、要素に落とし込んで、ストックして、作る段階でそのストックの中から引き出す。

「作る人がしているのはそういうことなのか!」と腑に落ちて「見えた」瞬間だった。

そしてその2週間後。音楽を聴きながら調べ物をしていて、頭の中で 音がページになって再現された。

何を言ってるかよくわからないと思うのですが、聴いている音楽から受けた印象が、文字のない本のようにページとして現れた。
使う紙の名前や順番、枚数、加工の仕方といったイメージが流れて、「えっ、待って、ものづくりって、こういうことじゃない?!!」と興奮した。

この話を絵描きの方に伝えると、「紙で降りてきたのか〜(笑)」と感心?された。
「僕はそのイメージが映像として現れるから絵を描くし、音として現れる人は音楽にするんだと思うよ」と。

紙のイメージが立ち現れてから、ものづくりは途方もないなと思うようになった。
ヒントや引き出しの材料は日常の至るところにあって、印象と印象が繋がった瞬間にイメージが流れ始めて、作る時間は限られていて、イメージを再現する技術も必要で。
なんて、途方もない。


その「途方もない感じ」を肯定できたとき、わたしはその物事を一生していくんだろうなと感じる。

途方もない、と思った全ての物事を肯定できるわけじゃなくて、大抵のことは立ち尽くしたり諦めを覚えてしまう。
だけど、「手漉き紙」と「ものづくり」に対してだけは、その途方もなさを受け入れられた。むしろ、わくわくする。

こんなにも広くて深い世界があるなんて。
一生かけても行き着けないその世界に、一生寄り添っていけたらどんなに幸せだろう。


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コメント1件

素敵だと思いますw
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