かみのおりめ

とるにたらない私と世界のものものについて、好きに書いています。好きなものをもっと増やす…

かみのおりめ

とるにたらない私と世界のものものについて、好きに書いています。好きなものをもっと増やすことが目標です。

最近の記事

明るい庭で①-1

以下に登場する人物は全てフィクションをまじえたものである。実在の人物とは異なる。 初めての入院は誕生日の直前だった。 当時大学院で心理学を専攻していた私は不調に気付いて早めの対策をしたいと思い、大学の心理相談室を利用し、クリニックにもかかっていた。 クリニックでは、2時間半の待ち時間と5分の診察とともにあまり効かない薬が処方されていた。 初診時の質問表で「死にたい気持ち」についての項目がいくつかあったが、正直に話すのが怖く私はその項目のほとんどで「ない」「ほとんどない」

    • 明るい庭で をはじめるまえに

      少しずつ、入院中の話をしようと思う。 前々から考えてはいたのだが、今回ようやく筆を取ったのにはいくつか理由がある。 ひとつめは、文章を書く練習をするため。今日で発症してちょうど3年半経った。復帰したとは言い難いしもう暫くは薬や病院に頼る年を過ごすと思う。それでも、生き延びられるかもしれないと思う時が増えた。 そういう気持ちが芽生えてきたと同時に、自分の脳が働かなくなっていることに気が付いた。 色々と困っていることはあるが便利な物はたくさんあるので、大概は手帳を使ったりスマ

      • 予定

        友人に会いに行くことが増えた。 人と会うのも外を歩くのも怖くてびくびくしていた頃に比べると、ずいぶん体が軽くなったと思う。 まだ怖くてできないこともたくさんあるけれど。 それでも景色を見ながら歩けるようになった。心臓を握りつぶされている時間は減った。 旧友達に会うにあたり、高速バスに乗ることが増えた。 片道3時間程度。 音楽を聴いたり眠ったり、色々な過ごし方をしている。私はバスの中でスマホにこうして文字を打ち込んでいるし、他の乗客も自分の時間を過ごしている。るるぶ

        • 生きてみたりすること

          私にとって、生きてみることはなんなのだろうと考える。 小さい頃から、けっこう愛されて育った方だと思う。経済的にも困らなかったし、家庭環境が悪かった訳では無いとおもう。特に友達には恵まれて、ほとんどの人は私のことを見守ってくれるし、ときおり連絡をくれたりする。本当に人に恵まれて育ったと思う。 それでも私は今抗うつ剤と睡眠薬を服用しながら生きている。 ここでは言えないような様々な方法で自分を傷つけてしまうこともある。 なんだかよく分からない過去の記憶に囚われて、身動きが取

        明るい庭で①-1

          喫茶店について

          喫茶店が好きだ。友達と行く時も恋人と行く時も、心病める時も健やかなる時も喫茶店はいつも変わらない佇まいであるところが良い。席についてメニューを見ている時やふと窓に映る自分の姿を見た時に、喫茶店にいるというただそれだけのために背筋が伸び肩の力が抜けて不思議な充実感に満たされる。 しかし一方で私は席に着くと、いつもはしゃいだ子どものようなメニューを頼んでしまう。 好きなメニューはメロンクリームソーダ。それからプリン。できればプリンア・ラ・モード。肝心のコーヒーは最近まで苦手で

          喫茶店について

          ピラニア

          祖父の書斎に、はるか昔に誰かからもらったというピラニアの剥製らしきものがある。 私が「ピラニア」なるものを初めて見たのはアニメでもなんでもなく、この剥製である。 剥製はとても軽く、経年も伴ってか儚く淡い色合いで、パッと見はなにか美しく美味しそうな干物のようであった。 今の私は、もちろんピラニアが凶暴ということも知っているし、あの時見た儚い魚なんてものではないことも知っている。 それでも時々、思い出してしまう。あの淡い魚がどこか澄んだ川を、暴れ回るのではなくゆったりと過

          秒針の反対側

          時計、ことに腕時計を見るとき、いつも見てしまう場所がある。 秒針の反対側だ。 最近はデジタル表示のものも増えたが、私自身は秒針まで時計を必ず買う。 そして秒針を見て考える。 「秒針の反対側は一体何の時間を刻んでいるのだろう。」 秒針の反対側、少し文字盤にはみ出したあの部分はこちらの世界と同じリズムとスピードで、どこか違う世界の時間を刻んでいる。 この秒針の反対側には、どんな人達がいるのだろうか。 散歩をしている老人がいるかもしれないし、向こうの世界にサラリーマン

          秒針の反対側

          煙草

          私はまだ煙草を吸ったことがない。しかし密かな憧れでもある煙草の匂いをかぐと思い出す風景がいくつもある。そして煙をくゆらせる姿には性別を問わず色気を感じる。 なかでもひとつ、印象的な体験がある。 同級生とロシアからの留学生との3人で飲食店に行った後のことであった。 数少なくなっている店前の喫煙スペースで、ロシア人の彼女がチェリーの描かれたパッケージから細身の煙草を取り出し、おもむろに吸い始めた。続いて出てきた同級生も一本拝借する。 当時の彼氏が煙草を毛嫌いしていたため私

          紙スプーン

          その生き様が好きなものの1つに、給食などでついてくる紙スプーンがある。 彼らはいつも自然と食事の傍におり、使われるときふいに立ち上がってみせる。 あのなんとも言えない点線が紙切れを1本のスプーンにする。 そして、食べ終わると彼らはまた紙切れに戻ってしまう。そうして紙スプーンの一生は大きく目立つことなく終わる。 時たまいたずらに力を入れられてスプーンの役割を失っているものがあるが、あれは実に可哀想だと思う。だって自分の一世一代の大仕事を果たせないのだもの。 紙はスプー

          ぶぅくん

          「ぶぅくん」と呼んでいるぶたのぬいぐるみがある。 ぶぅくんと出会ったのは忘れもしない幼稚園生、6歳の時だった。近くの100均で他のぬいぐるみに埋もれているのをとりだしたのだ。 クリリとした目、ほどよいぐったり具合。私は彼を掴んだ瞬間に名前を決めた。ライナスの毛布にも等しいぶぅくんとの出会いだった。 それからの日々は大変だった。主にぶぅくんと両親が、だが。 私はどこでもぶぅくんを連れ出そうとした。一緒に外で遊んでは泥まみれになり、おやつを分け合っては彼の口元をアリの大衆

          落ち葉と蝉

          「冬が近づいてきたね」 入院患者と看護師がベランダから見える色づいた木を眺めていた。 同じく入院中の私は2人の会話につられて目線をふとあ上げる。 赤く染め上げられた葉が方々に小さな手を広げ、風にあおられて時折ひらりと落ちていく。 ひとしきり眺めたあと視線を戻そうとすると、ベランダの隅のほうに蝉の亡骸が落ちていた。 こんな時期に?と思わず目線が止まる。 どうやら少し日が経っているらしく、蝉の腹はカサカサで、生きている頃のあのパンパンに中身の詰まったような生々しい腹は

          自分の感受性

          茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」が好きだ。 どこがって、読後にやって来る痛いところを突かれたような、横っ面を張られたような、はたまた擦り傷のようなひりひりとした感覚。 初めて読んだのは確か、中学か高校の国語の資料集だった。 まさに衝撃そのものだった。 その通りだ、と思った。毎日毎秒心はカサカサになってどこか頑なになっていく。昔はあんなに色々なものが美しく忘れがたいものであったのに。 初めて詩を読んでから何年も経つけれど、未だに読むたびに私は反省する。もっと感

          自分の感受性

          卵を割るとき

          卵の殻を割る瞬間、いつも私は身構えてしまう。どんな音で生まれるのか、どんな黄身が生まれてくるのか潰れずに生まれてくれるだろうか……。いつも心配は尽きない。 もちろん、卵の中身がひよこではないということは分かっている。しかしたとえ行き先が胃袋であるとしても、卵というものはそこに生々しい命があることを嫌でも感じさせるのだ。 一人暮らしを始めた頃、買ってきたパックの卵を落としていくつかダメにしてしまったことがある。慌てて拾い上げるとパックの中でいくつかの卵が潰れており、悔しそ

          卵を割るとき

          軒下のビー玉

          今は亡き祖父母の家の軒下に、一筋だけ緑色が入ったビー玉が落ちていた時期があった。 私と弟妹はそれを見つけて取り出そうと躍起になった。しかしビー玉はいくつか置かれた木材に挟まれて動かないのである。 そのうちに弟妹が興味を失っても、水に溶かした絵の具の最初の一滴のような、緑と呼ぶには淡すぎるようなそれを私はじっと見ていた。 そのビー玉への妄想はいくつも膨らんだ。取り出して眺めたらどんなに綺麗だろう。木材の隙間にあってなお太陽に照らされた時のきらめきを忘れられなかった。 わ

          軒下のビー玉