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金曜日の日記/『J・エドガー』『ボクらを見る目』などなど

 以前に刺繍のブローチなんかをウェブで販売していたのを再開しようと思い、撮影したりサイトを整えたりした。きれいに撮った動物のブローチがカメラロールいっぱい並ぶさまに「我ながら可愛いなぁ」とにやけ、そのあとすぐ、強烈に嫌な気持ちになった。「我ながら」って? 刺繍は自分が作ったものだけれど、ブローチとなったこれらは私とはまったく別の個体だ。作品はこども、のような言い回しをよく聞くけれど、作ったもののことを所有物のように思う感覚はすこし怖い。「みんなとっても可愛いね」と思い改めた。

 ひさしぶりに友人へ手紙を書いた。美術館や旅先でちょこちょこ買い溜めているポストカードの束から、友人がよろこびそうなものを選ぶのがたのしい。今度旅行に行く日が来たら、たくさん可愛いカードやおもしろいカードを買おう。自分は家がすきなインドア派だと思っていたけど、案外旅行がすきだったんだと最近気がついた。

 今週は本をほとんど読まなかった。その分の時間は、毎朝のこどもとの散歩と、夜に家でふみふみするマシンを使った運動にあてて、毎日8000歩歩くのを目標にしてみている。昔あったようなキーホルダーになってる万歩計ゲームが欲しいなと考えていたら、『どこでもいっしょ』とかポケットステーションとかを高校生のころにやっていたことを思い出して懐かしくなった。そんな感じで過去の記憶がパカンと開く頻度が最近増している気がする。

 ときどきやってくるレオナルド・ディカプリオを観たい期が訪れたので、今回はイーストウッドの『J・エドガー』。昨日からふみふみタイムに観始めた。FBI長官を長く務めることになるディカプリオ演じるエドガーが、国を守るための仕組みづくりをしている。ここ数週間は現実でも歴史の教科書に載りそうな出来事が多々起きていて、私の身近でも政治や人権への関心が高まっているのを感じる。何かを変えようとするときの国やひとの動きというのが、とても気になる。人種というもののこともここ数日考えさせられ、以前Netflixで観たドラマ『ボクらを見る目』の、あまりに理不尽で目を離せなくなった苦しみを思い出した。映画やドラマを観るとよくわからないことがたくさん出てきて、観終わってから、あるいは観ながら、それらを調べることになる。その発見から理解までの流れというのは、映画をはじめとした芸術が与えてくれる貴重な機会だ。多少無理をしてでも観ないと。『ボクらを見る目』は役者が少年役もみんな素晴らしい演技と愛おしいキャラクターで、エンディングまですべてが印象的で忘れられない。

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