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上久保が「政策科学」に思うこと(1)

よく「政策科学」ってなんですかと、いろんな人から聞かれます。答えはよくわからないんですよね。いやほんとの話(笑)。

いろんな大学にある「総合政策系」ということなんだろうけど、経済週刊誌がよく「大学特集」をやるが、うちはいつも「総合政策系」に載っていない(怒)。まあ、うちには総合政策系ですかと問われると、ムキになって「違う、政策科学だ!」というこだわりの強い信念の人もいて、声も大きかったので、それが良くも悪くも学内外で「影響」を与えてしまったところがあります。

一方で、「私は政策科学なんてやってない。○○学をやっている」と学生の前で言い放つ別の意味で信念の人もいた(涙)。学生には「政策科学」という学位を出すのに、先生は「○○学者だ」と既存の学問を大事にし、既存の学会との付き合いを最優先している。

政策科学は学際的だというけれど、その意味はいろんな「○○学」の専門が並んでますので、学生さんは自由に選んで、学際的にやってくださいということだという。ちょっと待ってください、それって学生からしたらハシゴ外されたみたいな話になってませんか?

僕は、ご存じの通り、日本の学会とかにつながりがありませんでしたので、この学部に来た時、「よし政策科学をやろう!」と思いました。自分の専門にプラスしていろんな学問を取り入れようとしたし、ゼミの運営もそういうものを目指したんです。

ところが、2-3年たって、上記のことに気づきました。先生は学際的にやらない、自分の専門に集中する。学生は、いろんな先生と接して学際やってねってことだったんだと。。。。

まあ、僕は特定の「政策」の専門じゃありません。政策過程論なので、すべての政策が事例研究となります。全ての政策は「政治」を通って実現しますからね。だから、学際的にやれるのかもしれませんね。

だから、ゼミの説明でよく言うし、自分の「政策科学者」としての研究の説明にも使うんですけど、「縦割り」にさまざまな「政策分野」が並んでいるのに対して、僕はそれが実現するために必ず通る「政治」という「横軸」を担っているのだといってます。

そういう意味で、「政策過程論」の進化系こそ「政策科学」なのだと言い切ってもいます。

ゼミや大学院の学生には、どんな政策分野でも指導できますといいます。実際、僕の論文の事例は多岐に渡ってますしね。

ただし、その政策が実現するためのプロセス、そこでの障害となる様々な要因は何があるのか、その障害を取り除いて政策を実現させるために何が必要か、ということに焦点を当てなさい、といってます。

端的に言えば、「社会を理解しろ」ということですね。それも、様々な社会の構造を理解しろということです。

僕は、他の先生方は、それぞれ「政策科学」を自由に解釈していいのだと思ってます。理系の先生方のいらっしゃって、全く学問に対する考え方が違いますしね。あくまで、僕の考えていることを、簡単に書いているというだけです。

今日はここまでにします。この続きはまた書きます。


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