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2023年度「上久保ゼミ卒業論文集」コメント

2024年3月20日(水)の立命館大学の卒業式が行われ、上久保ゼミ12代目が無事に卒業しました。毎年恒例ですが、その卒業論文集に書いた私のコメントを掲載します。

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4回生が卒業論文作成に入る時、私は「この時期は、人生にとって最も価値のある時になる。天下国家を語りなさい。思い切り楽しみなさい」と言うことにしている。

しかし、残念なことに、卒業論文の準備に入る時期は「就職活動」と重なってしまう。そこでは、同じような黒髪のヘアースタイル、同じような黒いスーツを着なければならず、面接では当たり障りのない答えを求められる。多様な価値観、個性が重視される時代と言いながら、「まず周囲に合わせる能力を見る」という面接官もいるらしい。息苦しい、窮屈な思いをすることも少なくない。それが「社会」というものかと諦観したくなる時もあるだろう。

だから、せめて週1回のゼミの教室くらいは、自由に、タブーなく、大胆に、天下国家のあり方をスケール大きく考え抜き、議論を楽しむ場にしてほしいと思う。だが、近頃は平日まで「一日インターン」「入社前研修」など企業の行事が入ってくる。企業側はその異様さに全く気付いていない。世も末である。

今年の卒業生(12代)は、この学年だけの独特の困難に直面した。入学直後の2020年4月、新型コロナのパンデミックに襲われ、突如キャンパスが閉じられた。大学側は、過去経験のない事態に混乱し、新入生は置き去りになった。

私は、1回生の基礎演習を担当することになっていた。新入生をケアしないといけないと思った。しかし、学部執行部は、1回生とオンラインで接触してはいけないという。まだパソコンを購入できていない1回生がおり、不公平が生じるからだという。私は、「馬鹿なことを言うな、全員が揃うのを待つよりも、1人でも多くの学生をケアするのが先だ」と考えて、執行部の指示を無視した。毎週、基礎演習が行われるはずの時間帯にZOOMを開き、1回生と話をする機会を設けた。そこに来た数人の1回生の中に、後にゼミ生となる開原弓喜、栗林みのりがいた。

約1か月後、授業が再開された。基礎演習の私が担当するクラスには、ゼミ9代目(当時4回生)の競争力長・中川紗綾をESに起用した。中川は「さあやの部屋」をmanaba+R上に開設し、彼女が身に着けてきた学びの知識・スキルを1回生に伝授し、1回生からの相談に答えた。

また、ZOOMで行われた毎回の授業には、9代目のメンバーをゲストスピーカーとして次々と登場させた。9代目ゼミ長・山本愛子の「私は人生でリーダーしかやったことがないので、就活でリーダー以外の役を務めた時、どうしていいかわからなくて困った。みなさんは、グループワークなどで、いろいろな役を務めたほうがよろしいですよ」という「名言」が飛び出したり、故・畑田晴也は、授業終了後も実に4時間にわたり1回生の相談に親身に応え続けてくれた。9代目は皆、1回生に「こんな大学生になりたい」というあこがれや目標となる姿を示してくれた。

私は、大学生になったばかりなのに、授業もなく、友達も作れない1回生に、夢、希望、志をみせたかった。9代目はその役割を見事に果たしてくれた。この基礎演習のクラスからは、開原、栗林に加えて、水関佑斗、小山稜平も後にゼミ生となった。

この学年が3回生となり、12代目ゼミ生として入ってきた時、大学はコロナ過から平常への移行期であり、混乱期でもあった。彼らはゼミで「天下国家を語り、楽しむ」余裕など全くない日々だっただろう。しかし、それでも尚、彼らが卒業後に歩む人生を思うと、ゼミの時間を大切にしてほしいと思った。多くのゼミの卒業生は、高度職業人を志向し、卒業後は企業等に就職していく。就職すれば、日々の忙しさに追われることになる。おそらく、万巻の書をあさって考え抜き、卒業論文のような長い文章を書くのは最初で最後になるのだ。大学時代に最後になるのは「遊びの時間」ではない。「天下国家を考える時間」なのだから。だからこそ、それを楽しむべきだと思ったのである。

実際に、卒業生がどこまで卒業論文作成を楽しめたのかはわからない。私の言う意味が本当にわかっていたのかも疑わしい。だが、少なくとも言えることがある。彼らだけが置かれた困難な状況に対する、強い問題意識が卒業論文に反映されているということだ。

それぞれが取り組んだ問題は社会の多くの人が日々悩み、試行錯誤しながらも明確な解決策を見いだせていないものばかりである。彼らは、それぞれの問題の解決策を示そうとしたが、同時にその実現のために克服すべき多くの課題があることも知った。

卒業生は、自らの卒業論文の出来に満足していないかもしれない。しかし、それでいい。大学時代は、あくまで人生の準備期間に過ぎない。大学時代にやるべきことは、社会の問題に真正面から取り組み、理想を抱きつつ、それが実現されない理不尽さに直面し、悩み、苦しみ、もがき続けることだ。その答えは今見つからなくていい。社会に出て、答えを見つける人生の旅を続けることが、なによりも大切なことである。個別の論文へのコメントは以下の通り。

『VUCA時代に必要な学校教育とは〜日本に適した教育方法の検討〜』VUCAとは「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字をとったもので、物事の不確実性が高く、将来の予測が困難な状態を指す。VUCA時代に必要な日本の学校教育について海外との比較を通して検証する。そして、今までの暗記型の教育が通用しなくなり、思考型の教育が必要不可欠となってきていることと、現在人口減少が起きており外国人労働者が多く流入している現状を鑑み、日本人が海外に行き「砂を混ぜる」のではなく、あえて、日本において「砂(外国人)を混ぜられる」教育政策の必要性を主張する。

日本の若者の社会的孤立問題~ウェルビーイング経営からのアプローチ~』現代日本社会の問題の1つである、他者とのコミュニティとほとんど接触がない状態を指す「社会的孤立」について考える。会社の経営手法の一つであるウェルビーイング経営の観点から、「職場」の機能の可能性に着目し、➀仕事像・職場環境に対する理想と現状、②職場における人間関係の質と量、③若者の自殺と勤務問題、④職場におけるワーク・エンゲージメントの4つの観点から分析する。そして、職場に対して社会的居場所としての機能を付与・強化させることで、若者の深刻化する社会的孤立の改善に寄与できると主張する。

『教育機会の格差と向き合う−日本におけるリカレント教育浸透を目指して−』教育機会の格差や教育機会保障の問題を解消することを目指す。リカレント教育を含む生涯学習を長期的な視点で取り組むことによって、学校教育だけでなく、人生において平等な教育機会が保障されて、教育格差がなくなり、労働市場の課題解決も図ることができると主張する。その上で、政治が「教育への投資」を政治に後回しの課題と扱う傾向にあり、教育関連の社会問題を解決することの緊急性や重要性を蔑ろにしていることが問題だと指摘する。

『日本と海外におけるスマートシティ政策の比較に基づく今後のスマートシティ政策の検討』課題先進国と表現される日本は、環境問題や少子高齢化、人口減少、都市への人口集中、資源やエネルギーの供給、IT活用の遅れ、災害対策など多くの国が直面している課題を先行して経験してきた。多くの課題を解決できる策が「ICT等の技術を活用することで、自身の抱えている課題を解決している都市または地域」である「スマートシティ」だと考える。海外の事例を検証し、日本のスマートシティの発展の遅れが、ソフト面でのサポート体制の不備にあることを明らかにする。そして、解決策として、「実験特区の設立」「監督省庁の統一と第3セクターの導入」「データ収集・管理の事前準備」の3つの政策を提案する。

『境界知能者を包括する行政・教育制度の提言』境界知能とは知能指数(=IQ)で平均的とされる部分(IQ85-115)と、知的障害とされる部分(IQ70以下)の境目にあたる知能のことである。日本では統計学上人口の約14%にあたる1,700万人が存在する。しかし、境界知能者は軽度知的障害に分類される者よりも犯罪・非行・精神障害に対する耐性が弱く、日常生活においても計算が苦手、感情のコントロールが苦手、注意散漫、適応力の弱さなど苦手とする分野があることもわかっている。軽度知的障害同様の配慮が求められるが、現状をサポートされず放置されている。この現状に対して、境界知能を障害に認定する判定基準の見直し、および全国統一の判定基準の設置によって、関係する公的サービスを受けられるようにすべきと提案する。

『京都市のまちづくりについて~交通特区新設の提案~』京都市の観光と交通事情に関して、丹念な文献調査とフィールドワークによる情報収集により、考察を重ねた。そして、古い街並みの特徴を持つ京都市では、狭い道路や不足する駐車場、増加する観光客向けタクシーがモビリティの問題を引き起こし、それが地域住民にも影響し、市バスの遅延や混雑が住民に負担をかけていることを明らかにする。そして、解決策として「京都市への交通特区の導入」を提案する。繁華街である河原町エリアや祇園、清水寺を囲むように御池通、烏丸通、四条通、東大路通を領域として仮想エリアを設定する。そしてエリアに関して、国内外で打ち出されてきた乗り入れ制限やロードプライシングなどの規制の導入に加え、シンガポールで実験の進む次世代のITS(高度道路交通システム)で道路課金システムの導入により、道路交通の改善と観光客の鉄道へ移行の可能性を検討する。

『財政とスポーツ産業の可能性~スポーツDXの観点から考えるスポーツの未来~』日本は長期にわたって財政赤字が続いており、新たな財源確保に迫られている。一方、日本のスポーツ産業は世界と比較してまだ発展途上であり、スポーツ産業が財源確保の1つとして機能するのかという問題意識を持つ。現状、スポーツ産業が国内市場に留まることが問題であり、マーケットを海外に広げていくことで収益化を図る手段を増加させることが不可欠であると主張する。その手段として、リアル配信型の有料TVや、海外スポーツベッティングなどのデータビジネス、スポーツトークンなどのデジタル資産などのスポーツDXの可能性を検討する。

『冷戦後のキルギス共和国における法執行機関の変遷―政治的契機に際する警察機能の分極化と警察改革の停滞―』地域諸国の安定化を担う主体として、実力組織である法執行機関(行政警察)に焦点を当てる。まず、法執行機関を含む実力組織を、政治体制の安定性を決定する主体であり「中立権力」と捉える。キルギス共和国では、財政負担の抑制やクーデター防止を目的に軍隊を縮小し、警察や民兵といった補助的な実力組織を強化する制度装置が存在していると指摘する。それは、中東諸国とは異なるクーデター防止装置である。キルギスなど中央アジア諸国の軍隊と法執行機関が忠誠心を堅固にすることは、政治体制の脆弱性や軍・警察機能のロシア依存を解決する手段であるとも主張する。

LGBTQ+と教育~小学校教育に焦点を当てて~』LGBTQ+当事者は社会的に排除されやすく、孤独感、孤立を感じやすい。その現状を変えるために、(1)教員がLGBTQ+に関する授業を行うことができれば、学校全体のLGBTQ+への知識不足は解消するのではないか。(2)教員養成大学の段階でLGBTQ+に関する授業を必須にすれば、教員になった際に十分な対応ができるのではないかと考え、教育現場の現状を調査した。その結果は「LGBTを自認する生徒は通っていない・通っていないと予想する」という現場の現状認識であり、実際に授業で取り入れているという事例もなかった。また、教員養成大学でLGBTQ+の授業を行う場合、大学生の生徒が教員になった際の考え方を指導していた。理想と現実のギャップを理解した上で、まずはLGBTQ+教育のための教員の負担を減らすために、教員の労働時間及び労働内容の見直しが必要だと提言する。

『「無敵の人」というネットスラングから見る現代社会の排除構造』「無敵の人」とは、「社会的に失うものがないため、躊躇なく凶悪犯罪に及ぶ人」という意味合いで使われるネットスラングであり、これまで学術的に言及されることはなかった。その「無敵の人」という概念を学術的に整理し、その要因である「社会的排除」の構造分析を試みる。社会には普遍的に、様々な側面で「排除」の構造があり、それは社会関係のなかで現れる。質的にも量的にも 「つながり 」の欠如は、個人の主観的な 「社会的排除」につながり、「自己破壊行為」の動機づけの要因になりうる。しかし、個人の動機づけに政策が介入することは原則的に不可能である。結局、自己破壊行為に対して政策ができる最も効果的なアプローチは、「社会的排除の解消」となることを明らかにする。

『「場」の喪失がもたらすこれからの日本への希望~変わりゆく時代の中で~』従来、日本では人生の成功モデルが確立されており、ライフコースに一度乗ることができれば、終身雇用・年功序列賃金など安定の生活が待っていた。しかし、1990年代に起こったバブル経済崩壊や脱工業化による産業構造ならびに就業構造、職業構造の変化により、通常多くの人が乗ることができていたライフコースが不安定になった。そこで、社会学的なアプローチにより流動化している日本でどうしたら幸福に暮らすことができるのかを考察する。現在の日本では、自分で人生のライフコースを自身で創っていかなければならなくなり、自己決定の機会が格段に増えている。それは、若者の幸福度を増加させ、日本社会に正の影響を与えることを考察する。

『ベーシックインカムによる働き方改革の実現可能性』ベーシックインカムが、政府が全国民に対して健康で文化的な生活を送るための現金を支給する社会保障政策としてではなく、労働政策としても機能する可能性があることを考察する。まず、ベーシックインカムが実現すれば、現行の生活保護によって生じている『貧困の罠』が解消され、さらにAIの発達によって生じると予想される失業者に対するセーフティネットとして機能し、現行の社会保障制度より優れたものになりうることを明らかにする。次に、ベーシックインカムが実現すれば、日本従来の労働観に変化が生まれ、職業選択の幅が広がり、働きがい・やりがいの面での働き方改革につながると主張する。そこで、ベーシックインカムの実現可能性について財政面から検証した。歳出削減・増税(消費税、所得税、法人税)・租税回避行為への対策・富裕税に加えて、企業からの徴収する新制度を導入する場、ベーシックインカムの実施に必要な年間約100兆円を確保できることを試算した。

これから社会に出る卒業生に伝えたいことがある。在学中、コロナ禍に見舞われ、大学は混乱の極みの中にあった。授業は完全な対面で行われず、遠隔やハイブリッド形式で行われた時期が長かった。だが、それは決して単なる「緊急事態」からの避難だったわけではないということだ。

君たちは、苦難が続く中で、遠隔授業、ハイブリッド授業の手法の様々なバリエーションを学生主導で創り出した。これらは、コロナ禍が収まった後も、上久保ゼミの学びの手法として残るだけではない。そのすべてが、これから新しい学びの形となっていくだろう。君たちが、「新しい大学」を創ったのだということを、誇りに思ってほしい。

12代目は、「最も上久保ゼミらしい」世代となった。それは、全員がこのゼミが掲げる「個人主義」「自由主義」を体現する成熟した大人だったからだ。さまざまな困難が君たちを、先輩たちよりもより成長させたということだ。「艱難汝を玉にす」という。これからも、決して困難から逃げないこと。困難は自分を成長させる好機、むしろ幸運の始まりだと前向きにとらえることが大事だ。

これから君たちが旅に出る社会は、想像を超えて変化していくことになる。時には、その変化に翻弄されて、うまく対応できないと悩み、苦しみ、悪戦苦闘することもあるだろう。しかし、それはすべて、新しい社会を創ることの一端を担っていることなのだ。何があっても、高い志を持ち、前を向いて人生を歩んでもらいたい。

私は、上久保ゼミを「日本一の社会科学のゼミ」と言って憚らない。国会議員であろうが、財務省のエリートであろうが、世界の民主化運動の闘士であろうが90分間容赦なく質問を浴びせ続けられる。こんな若者の集団が、このゼミ以外のどこにあると言ってきた。俗に「質問力が大事」という。それは、日本人が国際政治・ビジネス・学問の世界で闘う際、最も苦手としていることだからである。しかし、この若者たちが2年間、クリティカルアナリティクス(CA)に取り組み、身に着けてきた洗練された批判精神は、世界中のどこで仕事をしようと、負けることはない。

社会は厳しいところだ。自分たちが上に立つまで批判精神を隠さなければならないかもしれないが、常に自分が動かす立場になったらどうするかを考えておくことを忘れてはいけない。上久保ゼミで学んだことは、就職してすぐに役立つことだけではなく、社会のどこかで部下や家族を背負うリーダーになる時のためにあり、長い人生全体で成功を勝ち取るためにある。みんな、がんばってください。

 2024年2月1日
立命館大学政策科学部 教授
上久保 誠人

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