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上久保が「政策科学」に思うこと(2):他のゼミの「研究の終わり」が上久保ゼミの「研究の始まり」

上久保が「政策科学」に思うこと(1)』の続きになります。近頃のうちの学部の学びについて1つ気になっていることは、政策課題に関する課題を学生に与えて、それを解くということを重視しているように思えることです。

「当たり前やん」と言われそうなのですが、そうではないと思うのです。少なくとも、僕がうちの学部に来た13年前、既に今は引退された当時の諸先輩方は、そういうことは言ってなかったように思います。

例えば、学部内で行われる学生の研究発表会です。4-5年前からですかねえ。ある1つの政策課題に対して、経済や統計の手法を用いて1つの答えを出した研究が非常に評価されるようになりました。

ある年には、「仮説を立てたのだけど、経済学の手法で分析した結果、仮説は間違っているとわかりました」と発表して、上位入賞しました。先生方も「あれはしっかり研究してるねえ」なんて、立ち話しているので、そうなのかなあって思いました。黙ってましたけど(笑)。

私がどうしてそう思ったのかというと、経済学の研究なら、それでいいのかもしれません。経済学の手法をよく理解している、すばらしいということになるのでしょう。

でも、うちは「政策科学部」なのです。「間違っているとわかりました」ではすまないのではないかと。社会の問題に対して、なんらかの「答え」を出さないとダメでしょって思うわけです。

今年の発表会でも、「ある国の貧困の問題を解決するには、男女間の教育格差をなくすことが重要だ」と開発経済の手法で証明したという研究がありました。

でも、その国が「男女間の教育格差」を埋めるには、複雑に絡み合った社会のさまざまな問題を紐解いていかないといけないことは、誰でも知っていることなのです。それをどうするかを考えない限り、「男女間の教育格差をなくす」という「政策」は実現することはないのです。

発表会の二次予選でその発表の審査をしましたので、質問をしたわけですが、全く答えはなく「これから考えます」でした。

分析自体はよくできているので、私は「忖度」して「空気を読んで」高得点をつけましたが、それでいいのかよとは思いました。

「経済学」としては答えを出しているのだけど、「政策科学」としては、なにも解いていなかったからです。

別の例えですが、「災害発生時に、外国人が言葉がわからず右往左往することがないように、日本人にシンプルな表現の日本語を教育する」という研究がありました。

これは、テーマ設定としては素晴らしいんですよね。審査をしていてうなりました。まさに今、真剣に考えねばならない政策課題だと思いました。

ただし、残念なのは、「日本人がシンプルな日本語を身に着ける」というところで止まってるんですよね。どうしてこういうことが必要になっているのかという背景と、この教育が行われると、いったいどんな問題が生じるのかという深刻な問題には、一切触れていないわけです。

あえて、大胆に言えばなのですが、例えば「男女間の教育格差をなくす」
「シンプルな日本語を身に着ける」というような学生の「政策提言」など、無意味だと思っています。

「政策提言」など、世の中にあふれているからです。学生のようなアマチュアが、先生に与えられた課題をちょっと解いてみた程度のものは、ゴロゴロある。世界中に政策にかかわるプロがいて、現場で汗を流している人がいる。

そのような人たちの提言は、ネット上に数限りなくあるのです。論文や論考、SNS上での発言や、議論。

「政策提言」をしたいなら、まずそのようなものを拾いまくることだと思うのです。

だから、私はゼミ生に、「君らが考えるような政策提言は、すでにたくさんでている。それをぜんぶ拾い上げろ。それがスタート点」だと言います。要は、他のゼミが発表する「課題を解いて、提言」というゴールを、研究のスタート点にせよと言ってます。

そして、ずらりと並べた「政策提言」を批判的に検証し、どれが現実の社会に合っているかを考える。よりよい政策がいくつか絞れたら、そこからが研究の本番です。

「なぜ、より良き政策が実現しないのか」

こそ、本当に取り組むべきことです。例えば、その政策で「得をする人」ばかりではなく、むしろ社会全体を考えればいい政策が、多くの人を苦しめることもよくあることです。そういう「損をする人」は必ず政策実現の阻害要因になる。彼らを納得させるにはどうするか。

さまざまな「社会構造」が政策実現を阻むこともある。文化や習慣、歴史的経緯、宗教などが問題になってくることもある。

そういうさまざまな政策実現のハードルを越えるにはどうするか、1つ1つ解いていくことが大事です。

その先に、既存の政策を少し変えることで、ハードルを越えられるということが発見できるならば、すばらしい研究成果です。発見できなくてもいい。どうして実現しないのかを、可能な限り理解できれば、それですばらしい研究だと思います。

大学生の多くは、卒業後就職などで社会に出ることになります。その時に重要なことは、22歳ならば22歳なりに、「社会とはどういうものか」を理解していることだと思います。

ある程度理解していれば、怖いものはないし、仕事でもなんでも困難に直面した時、それを解決する考えも出てきますしね。

前回も言いましたけど、「政策科学」の解釈は、先生の数だけ多様であっていいのだと思います。いろんな考えがぶつかって、切磋琢磨すればいい。それが近ごろないのが問題な訳でして。。。

まあ、要するに僕の考える「政策科学」の研究とは、ある社会問題が発生したこと、その背景にあるものを理解するところから、さまざまな解決策を掌握し、そのよしあしを分析し、よりよき解決策(政策)をいくつか決める。そして、なぜそれが実現しないのか、個人の選好、人間関係、制度、社会構造、文化、宗教、歴史、などの問題を明らかにする。そういう1つのストーリーを作ることだと思います。

計算式を解くのではなく、物語を作るのです。

尚、似たようなことはこちらにも書いてます。よろしければ、お読みくださいませ。





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