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第8回神谷学芸賞発表

(20200701記)

1 口上

 六月十八日深夜、ちびちび飲みつつ(独り)銓衡会を終えた。

 日の変わる頃、この原稿を書き終え、また一年新たな書物と出会う機会を与えられたことに感謝している。

 タイマーでアップするタイミングを七月一日の十五時に設定して、後は寝るだけ、と言う算段だ。

 気付けば八年目。お遊びとはいえ年季が入ってきたものだと思う。

 何度か書いたように、今回から神谷学芸賞の発表を七月一日、神谷新書賞の発表を二月九日(「中央公論」三月号、すなわち新書大賞発表号の発売前日)に固定する。

 そのため本年度はまだ銓衡対象の刊行月に揺れがあり、本来なら前期の授賞対象でありながら見落とされていた作品が「再発見」され、候補に挙がっていることもある(ただし六月刊行の書籍については引き続き、その年のうちに目にとまることもあれば、気づかぬうちに来年送り、ということも起こり得る)。

 こちらも必死で読んでいるつもりだが、もとより一読者の管見の及ぶ範囲などたかがしれている。

 ましてや個人が好みで選ぶ賞である。「あれがない」「これはおかしい」などと目くじらを立てず、お祭り気分で一緒に面白がってもらえると有り難い。


2 お約束のようなこと

 本賞は私が面白いと感じた書物への答礼である。愉しませてくれた著者への敬意の表れである。

 ゆえに著者の年齢制限はなく、複数回授賞も他賞との重複授賞も妨げない(笑)。

 著者の都合などお構いなし。したがって「お受けになりますか」などと事前にお伺いを立てることもない。

 なんとなれば新刊である限り(復刊は除くことにしている)、著者が亡くなっていようとも差し上げてしまう所存である。

 日本語で出版された単著を、「政治・経済」「社会・風俗」「歴史・思想」「自然・文化」「文芸・芸術」の各分野ごとに顕彰し、特に面白い、優れている、応援したいと感じた書籍のなかから、金・銀・鋼の神谷賞を選ぶ。

 ただしネット上でこっそり告知するだけで賞金や賞状はない。あしからず。

 各分野の割り振りについては、私の主観や恣意的な判断が働いている。

 わかりやすい例で言えば、本年度「社会・風俗」部門に前田健太郎さんの『女性のいない民主主義』(岩波新書)が挙がっていることに違和感を覚える人もいるだろう。

 前田さんが東京大学法学部に所属する行政学者であること、二〇一五年に『市民を雇わない国家』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞「政治・経済」部門を授賞していることを知る人はなおさらかもしれない。

 しかし、私は両書が提示している論点は、もはや政治学を超え日本社会の本質に迫るものだと思っていて、社会構造そのものが抱えた課題をより大きな枠組みで理解する必要があると感じている。それゆえ同書を「社会・風俗」部門に置いた。

 ただ、こうした恣意的ジャンル分けは、融通無碍な読み方が可能な作品には必ずしも有利に働かないことがある。

 複数分野、たとえば「政治・経済」「社会・風俗」「歴史・思想」、どの部門でも賞の対象となり得る作品があったとする。

 ところが、部門賞を選ぶに当たっては、より当該ジャンルとしての性格が強いもののほうが作品としての輪郭がくっきり見えてしまうのである。

 いささか脱線が過ぎたが、ルール面に話を戻すと、見落としが多くなりすぎる翻訳書や編著も対象外とさせてもらっていることはご寛恕願いたい。

 また、別に新書賞を設けている関係上、新書への授賞は極力避けたいと考えている(それだけに、そのハードルを乗り越えて候補に挙がった新書作品の熱量は端倪すべからざるものと言える)。

 一個人が選ぶ本賞に、煩瑣な下読みや数次に及ぶ銓衡委員会などは存在しない。年間を通して新しい書籍を読むたび面白い作品をジャンルごとにリストアップし、とりわけ良かったものを金、銀、鋼各賞の候補として挙げていく。

 金・銀・鋼の神谷賞候補は、より面白いと思った作品が現れると交代し、各ジャンルのリストに戻る。いったんリストに挙げた書籍を取り消すことはない。

 こんなところが基本的なお約束、というか考え方である。


3 金・銀・鋼の神谷賞

 早速、金・銀・鋼の三賞を発表する。

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◆金の神谷賞

 待鳥聡史『政治改革再考』(新潮選書)2020/05

◆銀の神谷賞

 広井良典『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)2019/09

◆鋼の神谷賞

 與那覇潤『荒れ野の六十年』(勉誠出版)2020/01

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 今年の金の神谷賞・銀の神谷賞候補は昨年(二〇一九年)の秋からずっと、広井作品と刈谷剛彦さんの『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)が独走し、まったく固定されたままだった。

 それを土壇場で覆したのが待鳥作品である。

 編集者は会議で企画を通そうとするとき、テーマの社会的意義、現代性、書き手とのマッチングなどを厳しく問われる。

 その点、本書は完璧である。

 世界はコロナ禍に覆われ、政権は晩期とも言うべき状況にある日本。

 このタイミングで一九九〇年代以降の統治機構改革の歴史を振り返り、代替のない、不可逆の隘路に陥っている日本政治の惨状を、かつて追い求めた理想像とのギャップをなぞるように検証する。

 地道な作業にあたり、いま待鳥さんほど適した著者はいないだろう。見事と言うほかない。満場一致(笑)で金の神谷賞は本作に差し上げる。

 二〇五〇年を見据え、超ロングスパンのシミュレーションを提示した広井さんの作品も、刊行された二〇一九年九月には、よもや半年後に世界の姿が斯くも変貌するとは想像だにしなかっただろう。

 それでも本書が投げかける政策選択をめぐる問いは重い。いや、現下においてむしろその重みを増しているのではないか。そう考えて銀の神谷賞とさせていただいた。

 鋼の神谷賞。本賞は、著者の「鋼」の執念がなければ世に送られなかったであろう重厚長大な書物に贈ることを目的に、第四回神谷学芸賞からスタートした。

 第五回こそ受賞作なし、だったものの、第四回の瀬川高央さん『米ソ核軍縮交渉と日本外交』(北海道大学出版会)と小野沢透さんの『幻の同盟』(名古屋大学出版会)に続いて、第六回は山崎正和さん・田所昌幸さん編『アステイオン創刊30周年ベスト論文選』(CCCメディアハウス)と上川龍之進さんの『電力と政治』(勁草書房)に贈られ、昨年の第七回には斎藤幸平さんの『大洪水の前に』(堀之内出版)へと引き継がれた。

 みんなよく見ているもので、じつは昨年「斎藤さんの作品はそんなに分厚くない」という指摘があったことは白状する(笑)。

 しかし同書には、執念というか情念というか、なんだか著者の芯を強く感じさせるものがあった。

 今年、與那覇作品を鋼の神谷賞とさせていただくのも同じ理由からである。

 正直に言えば、歴史学者廃業を宣言してからの與那覇さんの文章は読んでいて非常に辛いものがある。歴史学の現状に対する憂いが昂ずるあまり、先学への敬意という観点からすると首をかしげたくなる評言が散見されるためだ。

 ただ、双極性障害に苦しむ歳月を経るなかで、精神の安定を保つためには、いくつかの「敵」を用意し、それと戦うことで気持ちを奮い立たせる必要があったのではないか、強いて「敵」を打つ鞭はそのまま我が身をも打ち据えるのではないか、などと想像したりする。

 研究、といって狭すぎれば、本を書く、すなわち自分の考えや思いを広く世に顕す覚悟というものは尋常でない精神力を必要とする、と私は考えている。私が常に、自分に文章は書けない、と断じ、世の書き手に強いリスペクトを抱くのも、それ故と言える。

 私がこの著者に肩入れするのは、良かれ悪しかれ如何ともしがたいモノ書く人の業の深さを痛感するからだ。かつて、本書の第七章に収められた「無縁論の空転」の初出を読んだときの驚きが鮮やかによみがえる。

 次のステップへ進んでほしいという応援の気持ちを込めて 、鋼の神谷賞を贈らせていただく。

 続いて部門賞である。


4 「政治・経済」部門賞

 まず「政治・経済」部門から紹介する。

 候補作を一瞥しただけで、今年一年、私がいったい何に関心を持って編集活動を行ってきたかバレそうである。

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◆候補作品

 帶谷俊輔『国際連盟』(東京大学出版会)2019/06

 芝崎祐典『権力と音楽』(吉田書店)2019/07 ★

 池田謙一『統治の不安と日本政治のリアリティ』(木鐸社)2019/07

 田中(坂部)有佳『なぜ民主化が暴力を生むのか』(勁草書房)2019/08

 松尾隆佑『ポスト政治の政治理論』(法政大学出版会)2019/08

 大海渡桂子『日本の東南アジア援助政策』(慶應義塾大学出版会)2019/09

 石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義』(勁草書房)2019/11 ★

 伊藤真利子『郵政民営化の政治経済学』(名古屋大学出版会)2019/10

 清水靖久『丸山真男と戦後民主主義』(北海道大学出版会)2019/11

 森靖夫『「国家総動員」の時代』(名古屋大学出版会)2020/01

 八代拓『蘭印の戦後と日本の経済進出』(晃洋書房)2020/02

 牧野雅彦『不戦条約』(東京大学出版会)2020/02

 酒井一臣『金子堅太郎と近代日本』(昭和堂)2020/03

 熊倉潤『民族自決と民族団結』(東京大学出版会)2020/03

 長沼伸一郎『現代経済学の直感的方法』(講談社)2020/04 ★

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 オリジナリティの高さは常に評価の重要な軸である。不勉強と言われればそれまでだが、今まで考えたことのなかった切り口を提示されると思わず引き込まれてしまう。

 私が宮城大蔵さんや宇野重規さんを敬愛してやまないのは、かつてご両所の作品によって全く想像もしていなかったところに思考の補助線を引かれ、そのことで、今までなんとなく疑問に思っていたことやすっきりしなかったことが、まるで雲が晴れるかのように明快な姿を与えられる経験をしているからである。

 帶谷作品、池田作品、大海渡作品、森作品には教えられるところが多く、かなり迷った。

 加えて私の読書傾向ゆえ、「政治・経済」部門と言いながら、「歴史・思想」部門での銓衡となってもおかしくない作品が多く、両部門の兼ね合いという意味からも苦しい銓衡となったが、最後は、これ以上どうにもならず、石田作品、芝崎作品、長沼作品と、断をくだした。

 石田作品は「歴史」だろう、と言われれば反論しにくい。しかし、原初の法、という観点から、人類学や社会学の領域を縦断した本書は、最後に「政治」の本質的問題へ帰るのではないかとの思いもある。いちいち感嘆しつつ読んだ。

 もう一方の芝崎作品については、自分のお手伝いする仕事と直接的には関わってこない音楽という通奏低音が、読書をより楽しいものとした節はある(苦笑)。

 これも「歴史」が本籍ではないか、と言われそうだが、主題はあくまで「権力と音楽」であって「音楽と権力」ではない。眼目はドイツの戦後処理なのである。

 長沼作品は思考実験として非常に面白いと感じた。先にKindle版を購入したところ、肝心な部分が頭に入ってこなかったため、改めて紙で買い直した次第。

 私は、二〇一七年にサントリー学芸賞の「政治・経済」部門を制した、伊藤公一朗さんの『データ分析の力』(光文社新書)と同じ流れの中に位置づけて本作を読んだ。

 ただ、長沼さんの筆致は、私にはややノイジーに感じられる。その語り口ゆえ、「はじめに」や各章の導入部だけ読むと、抵抗を感じる読者もいるのではないかと危惧する。

 議論が枝葉を広げ、思いがけないたとえや脱線が起こって面白くなってくるまで、ほんのちょっと我慢して読み進めて欲しい。

 本部門、とりわけ政治分野については、例年、自身の偏狭な読書傾向が端的に表れてしまい、理論や思想にもっとフォーカスすべきではないかという自問は常にある。今後の課題とさせてもらいたい。


5 「社会・風俗」部門賞

 今年いろいろな意味で焦点となったのがこの部門だった。

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◆候補作品

 鈴木國文『「ほころび」の精神病理学』(青土社)2019/07

 前田健太郎『女性のいない民主主義』(岩波新書)2019/09 ★

 田中聡『電源防衛戦争』(亜紀書房)2019/09

 広田すみれ『五人目の旅人たち』(慶應義塾大学出版会)2019/10

 太田省一『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)2019/10

 永嶺重敏『歌う大衆と関東大震災』(青弓社)2019/10

 阪本博志『大宅壮一の「戦後」』(人文書院)2019/11

 松山秀明『テレビ越しの東京史』(青土社)2019/11

 久保明教『「家庭料理」という戦場』(コトニ社)2019/12

 小林盾『美容資本』(勁草書房)2020/03 ★

 下夷美幸『日本の家族と戸籍』(東京大学出版会)2020/04

 面矢慎介『近代家庭機器のデザイン史』(美学出版)2020/05

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 たまたまテレビ番組・テレビ局を題材とし、刊行時期が重なったためメディアに取り上げられる機会の多かった広田作品、太田作品だが、個人的にはどちらにも食い足りなさが残った。なぜこのような構成になったのか、担当編集者にお話を伺ってみたいところだ。

 例年通り多様な作品が挙がったが、今年この部門賞に前田作品が与えたインパクトは甚大であった。

 「お約束のようなこと」で書いたように、本作が日本社会に向けて放った警鐘は痛烈なモノだ。こういう書物を「木鐸」と呼ぶのだと思う。著者の力量には感服する他ない。

 不明を恥じるが、私は著者の前作『市民を雇わない国家』をまったく見落としており、二〇一五年の第三回神谷学芸賞候補にも挙げていなかった。

 遅ればせで同作を読んだとき、そしてそこに書かれている指摘を理解したとき、まさに息をのむ思いをした。

 すでに十分売れている本書も、さらに多くの読者を得てしかるべきと思う。

 もう一点は数理社会学の使い手である小林さんの作品を取った。社会の様々な分野で計量の使い道は多く、その可能性の一端を見せていただいた。

 「なぜ人は見た目に投資するのか」という、惹句(サブタイトル)からも想像されるように、読み物としての面白さもある。

 ちなみに本書は「シリーズ 数理・計量社会学の応用」の第一冊目なのだそうだ。今後このシリーズが、どういう作品をラインナップしていくのかにも興味を引かれる。

 計量はあくまでツールでありプロセスである。容易にパターン化する。来年以降も計量を用いた各分野の研究がユニークであり続けられるかは、わからない。

 ツールが洗練されるにつれ、ユニーク・イシューに頼らない、あるいは、まさにそこから普遍をつかみ出す、学問的膂力がこれまで以上に求められることになるだろう。


6 「歴史・思想」部門賞

 さて、毎年、苦心惨憺、呻吟の果てに受賞作を選んでいるのがこの部門である。一口に言えば、良作が多すぎるのである。

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◆候補作品

 長南政義『児玉源太郎』(作品社)2019/06

 桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史』(白水社)2019/07

 苫野一徳『愛』(講談社現代新書)2019/8

 岩橋勝『近世貨幣と経済発展』(名古屋大学出版会)2019/09

 苅谷剛彦『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)2019/09 ★

 胎中千鶴『叱られ、愛され、大相撲!』(講談社選書メチエ)2019/09

 山森宙史『「コミックス」のメディア史』(青弓社)2019/10

 名越健郎『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)2019/12

 菅(七戸)美弥『アメリカ・センサスと「人種」をめぐる境界』(勁草書房)2020/01

 代珂『満州国のラジオ放送』(論創社)2020/01

 和泉真澄『日系カナダ人の移動と運動』(小鳥遊書房)2020/01

 沢辺満智子『養蚕と蚕神』(慶應義塾大学出版会)2020/02

 五百旗頭薫『<嘘>の政治史』(中公選書)2020/03

 熊野直樹『麻薬の世紀』(東京大学出版会)2020/03

 君塚直隆『エリザベス女王』(中公新書)2020/03

 近内悠太『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング)2020/03 ★

 詫摩佳代『人類と病』(中公新書)2020/04

 田野大輔『ファシズムの教室』(大月書店)2020/04

 三宅芳夫『ファシズムと冷戦のはざまで』(東京大学出版会)2020/04

 野添文彬『沖縄米軍基地全史』(吉川弘文館)2020/05

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 今年は苅谷作品が他を制した。

 本作も「社会・風俗」部門ではないかという意見があろう。しかし、日本の近代化と、その後のナショナルポリシーの喪失を、教育を補助線に描き出した斬新さは、多くの歴史叙述と並べてこそ価値がある。

 オックスフォードに移って一〇年。これまで新書などの形で散発的に発表されてきた、氏の日本の高等教育に対する疑念や不安が大きな塊となって提示されている。

 私も、この三〇年の日本の教育制度改革、とりわけ大学と大学院をめぐる改革はほぼすべて間違っていると考えており、危機意識は強い。そこに見事にテーマがフィットした。もっと話題になって、議論と再改革の起爆剤になって欲しい一書である。

 岩橋作品、名越作品、代珂作品、五百旗頭作品、熊野作品も非常に面白く、もう一作を近内作品としたことに意外を感じるかたがいることも想像に難くない。

 正直、本作が哲学としてどれほど新しいのか、まだ判断がつかない。なにしろ私は、東浩紀さんの『存在論的、郵便的』(新潮社)を読み上げるのに二年かかったぼんくらである。

 ただ、第五章「僕らは言語ゲームを生きている」を読んで私は西周を想起した。その理由をきちんと説明することは難しく、うまく言語化するための手掛かりを求めて、おそらくこれからも本作を読み返すことになるだろう。

 ちなみに詫摩作品については、現在もリストアップが進む神谷新書賞の候補作のなかで、今のところトップを驀進中であるとだけ言っておく。


7 「自然・科学」部門賞

 どうしても読書量が少なくなる「自然・科学」部門については、受賞作を二作にすると競争率が低すぎるという意見もある。

 授賞数をいたずらに増やさないためにも、当面、このまま呻吟を続けるつもりであるが、リストアップ作品の多い部門は三作授賞の可能性が高まる、くらいの幅は持たせた方がいいのかもしれない。

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◆候補作品

 郡司芽久『キリン解剖記』(ナツメ社)2019/07

 井田茂『ハビタブルな宇宙』(春秋社)2019/11 ★

 菅付雅信『動物と機械から離れて』(新潮社)2019/12

 渡辺茂『動物に「心」は必要か』(東京大学出版会)2019/12

 樋口直美『誤作動する脳』(医学書院)2020/03 ★

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 樋口作品は迷った。それは作品云々ではなく、このままでは医学書院に白石正明さんがいる限り、永遠に同社に神谷学芸賞を出し続けることになるのではないかという怖れからであった(笑)。

 しかし誰になんと言われようと「シリーズ ケアをひらく」は素晴らしい。昨年も同じようなことを言ったが、一人でも多くの人に読んで欲しい。

 もう一点を郡司作品にするか、井田作品にするかは難しい判断だった。どちらも好きなタイプの書籍なのだ。

 最後まで迷って、「アポロの子(一九六九年生まれ)」は宇宙を取ったということである。高校では大林辰蔵さんの後輩だし(←ややマニアック)。


8 「文芸・芸術」部門賞

 最後は「文芸・芸術」部門である。自分の担当する書籍のジャンルからかけ離れた、完全に趣味の読書であり、数こそ少ないがリストには「政治・経済」部門とは別の意味で、私の好みが濃厚に現れている。

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◆候補作品

 高橋知之『ロシア近代文学の青春』(東京大学出版会)2019/06

 服部徹也『はじまりの漱石』(新曜社)2019/09 ★

 平倉圭『かたちは思考する』(東京大学出版会)2019/09 ★

 井田太郎『酒井抱一』(岩波新書)2019/09

 源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか』(慶應義塾大学出版会)2019/10

 土田耕督『「めづらし」の詩学』(大阪大学出版会)2019/11

 川島幸希『直筆の漱石』(新潮選書)2019/11

 川平敏文『徒然草』(中公新書)2020/03

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 どれも面白く教えられることの多い、充足した読書だった。

 よほどの漱石好きが読んでも初めて知ることが多いと思われる服部作品と川島作品。でも二作とも漱石というのもどうかと思い、今回は服部作品を取った。採否を決したのは索引の有無である。

 すでに多様な活躍をされているのに、今回本を読むまで知らなかった平倉圭さん。見ること、知ること、そして再び見ることへ帰ること、という多摩美術大学美術学部芸術学科出身の私には、とても響くところのある作品だった。

 ちなみに井田作品、川平作品は岩波、中公の新書編集部の力量を遺憾なく見せつける良書である。このテーマを知ろうとするとき決定的な一冊として長く売れるだろう。

 でも新書として整理され、さっぱり読めるのは善し悪しである。お二人とも、もっともっと趣味全開で書けるかたのようにお見受けするので、そちらを読んでみたい気持ちもある。「目指すところが違う」と叱られそうだが…(苦笑)。


9 総括

 最後に改めて本年度の神谷学芸賞受賞作を紹介しよう。

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◆金の神谷賞

 待鳥聡史『政治改革再考』(新潮選書)

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◆銀の神谷賞

 広井良典『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)

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◆鋼の神谷賞

 與那覇潤『荒れ野の六十年』(勉誠出版)

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◆政治・経済部門賞

 石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義』(勁草書房)

 芝崎祐典『権力と音楽』(吉田書店)

 長沼伸一郎『現代経済学の直感的方法』(講談社)

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◆社会・風俗部門賞

 前田健太郎『女性のいない民主主義』(岩波新書)

 小林盾『美容資本』(勁草書房)

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◆歴史・思想部門賞

 苅谷剛彦『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)

 近内悠太『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング)

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◆自然・科学部門賞

 樋口直美『誤作動する脳』(医学書院)

 井田茂『ハビタブルな宇宙』(春秋社)

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◆文芸・芸術部門賞

 平倉圭『かたちは思考する』(東京大学出版会)

 服部徹也『はじまりの漱石』(新曜社)

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 これだけ躍起になって新書や選書をはずそうと意地悪している神谷をもってしても、待鳥作品、前田作品を看過することは出来なかった。

 候補作のなかにも、候補に挙げようか迷った作品のなかにも新書・選書は多い。唸るような出来映えの作品もあった。

 そのことがすべてとは言わないが、「人に読まれてナンボ」は書物の避けがたい運命である。

 手に取りやすい、読みやすい、売れやすい、著者にも、出版社にも、書店にも利益が大きい……。

 となったときに、索引や参考文献が落ちていることが多い、学術出版としていかがなモノか、などと、新書・選書に難癖をつけることにどれほどの意味があろう。

 自身が多く手がけるA5判ハードカバーの教養書の役割とは何か、その置かれている現状に考え込まざるを得ない。

 まったく惑い多き読書人生である。

 さて、次はどんな書物との出会いが待っているのだろうか。既に来年度の候補作のリストアップは始まっている。

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