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わびさび

わび・さび
慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど「趣」を感じる心、日本の美意識。美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする。本来は侘(わび)と寂(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い。茶の湯の寂は、静寂よりも広く、仏典では、死、涅槃を指し、貧困、単純化、孤絶に近く、さび(寂)はわびと同意語となる。人の世の儚(はか)なさ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/わび・さび

先日、神楽で笛を吹いておられる林さんが、山桜が好きと仰っていた。

雲南市は桜を推していて、土手には広く桜が植えられている。
この時期は圧巻の風景になる。

特に木次の土手などはたくさんの花見客で大賑わい。

それはとても綺麗で桜の儚さも相成って素晴らしい景色である。

が、私も林さんの意見に一票。
山にぽつぽつと咲くそれは、なんとも控えめでありつつ上品に山を彩る。

長らく都会で暮らしてきて、都会も大好きなのだが、こちらに来てから人混みのストレスが凄かったんだなと感じている。
なんと言っても日々のイライラが減った。

そして現在、我が家は山間部。
見渡す限り、山と田んぼと畑の風景。

お茶と野草を採っているので(バイトで学童にも行くが)、一年の大半は自然の中にいる。

都会も田舎もどちらも好きだが、目に見えて季節の移ろいを感じられるのは田舎のいいところだと思う。

桃や桜の木や、お茶の芽もだけど、生える草も変わっていくし、雨が降って晴れれば草の勢いも増す。自然もなかなかに忙しく変わっていく。

なので、最近は急げや急げで野草の収穫。

よもぎも種類がある。
茎の形状や色も違うし、葉も違う。
私はそこまでこだわっていないので、ひとつひとつの品種名まではわからないし全部混ぜているのだが、足下の野草もよく見るといろんな顔があるものだ。

急げや急げではあるが、午後から明日にかけて雨…
とりあえず午前中によもぎを採った。
今週はずっと晴れ予報のはずでいつでも採れると油断していたが春の天気もなかなか不安定である。

カラスノエンドウなんかはあっという間にアブラムシにやられたり、旬が移り変わりこの場所も違う植物へと変化していくので(そしてあまりにボーボーになると草刈機でガーっと刈っちゃうので)、晴れ間に頑張らねばと思う春。

わびさびというものを、都会にいた頃は頭でなんとなく捉えていたが、田舎にきて体感として理解できてきた気がする。

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