見出し画像

7月26日のお話

2013年7月26日

その日のお客様は、少し変わっていました。

京都市内の北川、山に抱かれるような場所にある私の勤務先、宝ヶ池のホテルにはいくつかのお庭があります。海外からのお客様も敷地内で日本を存分に感じていただけるよう、庭のあつらえは京都らしく、日本庭園はもちろんですが、お客様の故郷でも見かけるような種の花を積極的に選んで咲かせています。

遠い日本までお越しになったお客様が、故郷の花を見つけてふと心を和ませられるように。そういう配慮があるのだと、赴任してすぐの頃に支配人から教わりました。

そんなお庭の中の一つに、小さな”睡蓮の池”があります。市内の仏閣には宗教柄「蓮池」が多くありますが、ここはあえて、世界に花言葉っと伝説を持つ睡蓮がお客様をお迎えします。西洋では水の妖精の化身、生まれ変わり、南米のネイティブ族の間では空の星が姿を変えて池におりてきているという話まであります。

各国で人々を魅了してきた睡蓮ですが、今日のお客様は、チェックインと同時にコンシェルジュの私のところへやってくると、「ホテルのブログに載っていた睡蓮の庭が見たいの」と申し出てきたのです。

お客様は、日系フランス人の女性で、シルバーに輝く髪がとても綺麗で特徴的でした。一見、純粋な西欧人に見えますが、顔立ちは、確かに日本人と言われても良いような、そんな様子です。

お部屋に行く前にさっそく案内して欲しいという希望を承り、ベルボーイの竹下さんにお荷物をお部屋までお入れするようにと指示を出し、私はお客様を、睡蓮のある西の庭へご案内することにしました。

そこは、北側を山の斜面に、西側を川に面した竹林、東側に客室、南側に廊下という位置にあるこじんまりとした庭です。竹林の散策の終着点として設計されており、睡蓮の池の隣には簡単な東屋があります。しかし、メイン庭園から離れていることもあり、普段からあまり人の出入りはありません。

夕方になると、西側の竹林から夕陽が差込み幻想的ですが、庭の角度の関係で綺麗に日がさすのは一年の間でも梅雨時だけで、梅雨が明け夏休みにはもう見られません。今日も、晴たらギリギリ差し込むかという状況です。

そんな西の庭にお客様をご案内すると、お客様は睡蓮の池をみるなり駆け寄り「やっぱり…」と眉をしかめて池の中を覗き込みました。

何かしら、と思い、お客様の後ろ姿にお声がけしようかと迷っていましたら、お客様の方から私へ、池から視線をはずさずに質問が飛んできました。

「この池に、通っている人はいるかしら。」

文字通り、飛んできた、というような鋭さで投げられた質問を受けて、私は何やらただ事ではない様子を感じ取りました。しかし、その質問の意図がわかりません。この池に、通っている?

「宿泊客なら、長期滞在しているはず。そうでないなら従業員かしら。いずれにしても、一月弱だと思うのだけど。」

そう加えて問いかけてくるお客様の勢いに圧倒され、私はえっと、と言葉に詰まってしまいました。

最近、長期滞在のお客様はいらっしゃいません。従業員は、と聞かれ、あらっと思いました。この池に毎日通っている人物といえば、心当たりがあります。

「わ、わたくし、でしょうか。」

何か冤罪を押しつけられたような居心地の悪さを感じましたが、事実、私はここ一月、いえ、それ以上の2ヶ月ほど、休憩時間にこの庭を訪れていました。

「あなた…お名前は。」

私の発言に、ようやくこちらへ視線を向けると、お客様は私の姿を上から下まで確認するようにしたあと、名前をお尋ねになりました。

「森と申します。」

「そう、森さん。あなた、最近何か悲しい出来事がありましたか。」

え?

今思い返しても本当に不思議なお客様でした。私の名前を確認するや否や、突然そんなことを聞いてくるのです。私は心臓が跳躍したような衝撃を胸に受けるほど、ドキッとしました。何を言われているかはわからなかったのですが、私の最近の気持ちを見透かされたのはわかりました。

「あ、はい。」

2ヶ月前、私は付き合っていた男性とお別れをしていました。その相手のことに夢中になってしまっていただけに、その別れの傷は深く、仕事に没頭する今のような時間がないと悲しみに飲み込まれてしまいそうです。

詳しく話しなさいと求められるような視線に、私は図星だった悲しい出来事を説明いたしました。

ここ京都に赴任してすぐに知り合った男性で、西陣織の老舗職人の跡取りであったこと。

きっかけは、ホテルの内装替えのプロジェクトメンバーに入っていたこと。(その彼の家の作品が、スイートルームの壁を飾っていること)

一年ほどお付き合いしていたが、プロジェクトが終わると同時に彼の家から猛烈な反対を受けたこと。

もともと反対されていたようだが、プロジェクトを終えるまで家族は自分の好意を利用していたこと。用が(納品が)すんだタイミングで縁を切るように迫ったこと。

彼からはそれでも、一緒にいたいと言ってもらったが、会社をやめて家に入ると言う選択を迫られると、どうしても従うことができなかったこと。

それを伝えた時の、彼の失意に染まった表情が、彼を裏切り仕事をとったという事実をつきつけられたようで今も頭から離れないことなど。

お客様が聞き上手(というより、話さなければならないような圧力をかけるのが上手)だったこともあり、私はいつの間にか誰にも話していなかったことを初対面のお客様にあけすけにお話をしてしまっていました。

本当に愛していたのですが、自分の信じる生き方を曲げられなかったのです。それはきっと、お互いにです。私の大切にしたいことと、彼が大切にしなければならないことが、これから先の人生で交わることがないような気がしました。

ふと気がつくと、私は自分のほおに涙が伝い、お客様の前で泣いてしまっていました。慌てて、廊下に背を向けて背筋を伸ばします。もし周囲から見られても、お客様とお話をしている業務中のコンシェルジュに見えるよう、そっと涙を拭くとお客様の方を真っ直ぐに見つめました。

お客様は、睡蓮の池の辺りで腕組みをしながら私を見つめています。お客様の表情は先ほどとあまり変わりませんが、同情や哀れみ、涙を流したことへの避難の色はなさそうです。

「第三者が人の恋路にとやかく言うものではないから、コメントは控えさせていただくわね。でも、もうあなたはこの庭にきてはダメよ。当分。」

きてはダメ?どういうことだろう。きょとんとする私を、お客様は手招きをして睡蓮の池のそばに誘いました。

「気を付けて、そっとごらんなさい。一輪だけ、睡蓮がさいているでしょう。」

お客様が指差すところには、たしかに、池に浮かぶ一輪の睡蓮の花がありました。池の色は黒いのに、その池の汚れを一切よせつけないような純白の花弁と眩しいほどの黄金の雄しべと雌しべが王冠のように抱かれています。

とても美しい。静かに美しくただ咲き、人を魅了する。王冠を戴きにいだくのではなく、包み込むように抱える仕草は、その権威を振りかざさず隠すような謙虚さも見て取れます。

波ひとつない水面にそっと咲く睡蓮は、改めてみると本当に美しい。

…。

「あぶない!」

そう言われて、お客様に強く腕をひかれ、はっと私は我に返りました。みると、私は池の方に踏み込もうと一歩前にでかかっていたようです。

「え?」

お客様に止められなかったら、池に落ちてしまっていたでしょう。

「だから、そっと見てって言ったでしょう。」

何が起こったかわからず、池から後ずさる私を見て、その距離の取り方にうなづくと、お客様は言いました。

「これでわかったでしょう。この睡蓮は、ニンフになってしまったのよ。」

ニンフ、それはギリシャ神話で、英雄ヘラクレスに捨てられて惨めさに耐えきれずナイル川に身を投げた女性の名前です。身を投げた後、睡蓮に生まれ変わったとか。

「あなたがこの花をニンフにしたのよ。」

お客様がいうには、長く生きる植物は人間の言葉を理解し様々な反応を見せるのだと言います。そしてそれは花の伝説として今も世界中で語り継がれており、睡蓮の場合は、失恋した女性を誘うニンフになる場合と、人々の笑顔を望む星の化身となる場合と、語りかける言葉により睡蓮の花の性格がかわるのだそうです。

私が、彼に対する悲恋ばかりをこの池に語りかけたから?

まさか。

お客様にからかわれているのだと思いましたが、次の瞬間、いつの間にか沼の中に入ろうとしていた自分の先ほどの行動を思い出し、背筋がぞっとしました。

「本当に…。」

つい出てしまった言葉を聞き止めたお客様は、はぁ?というように大袈裟なリアクションをとると「本当も何も、あなたさっき呼ばれてたでしょ。」と呆れたように言いました。

「申し訳ありません。」

素直に謝ると、お客様は睡蓮の正しいめで方はね、と教えてくれました。

真っ黒で深さのある沼を好む睡蓮は、実は太陽が大好きなの。彼女たちが生息できる沼は、日当たりがそれなりに必要で、さらに、真っ黒に見える水も沼の下にある睡蓮の根まで届くほど透き通っていないと花をつけられないのよ。

「あなたは近くっと危ないからそこから見て。そこからでもわかるでしょう。」

水を透けて下の方にまっすぐ伸びる茎と、それらを支えるように沼の中を縦横無尽に泳ぐような根。確かに真っ黒なはずなのに、よく目を凝らしてみると太陽の光を受けてそれらが見えます。

「一見真っ黒でも、水が澄んで穏やかなら、光は奥底の根っこまで届くのよ。」

お客様はそういうと、あなた、運がよかったわよ。と言いました。

「あのブログの写真。数日前に知り合いが私に見せてくれたの、なんだかこの睡蓮、存在感が妙に気になるって。」

たまにいるのよね。こう、何も知らずに、長寿の植物に絡まれちゃう子が。そう聞いた時、私はこの睡蓮は、このホテルを作るときに市内の由緒ある旧華族のお庭から株分けをしてもらったのだと聞いたことを思い出しました。そして同時に、幼い頃に母から聞いた言葉も。

「植物には、良い言葉をかけてあげないといけないと言っていました。母が。」

ガーデニングが趣味の母は、毎朝植物たちを褒めちぎり、素敵な音楽と素敵な言葉をかけることで美くしく咲いてくれるのだと信じ、幼い私の前でそれを繰り返していました。

「お母様は、よくわかっていらっしゃるわね」

お客様はそういうと、これでゆっくり京都観光ができるわ、とお部屋にお戻りになりました。

私は、その後も西の庭をとおりかかるたびに、ごめんね、とつぶやき、そしてありがとう、とお礼を言うようになりました。

睡蓮のめで方として教えてもらったお客様のひとこと。一見真っ暗な中でも、心を澄んだ状態で穏やかに保てば、光は心の奥の傷に必ず届いて癒してくれる。その言葉が、あの日以来、私の気持ちを少しずつ希望に向けて言ってくれたからです。

あのお客様をここに読んでくれたのも、睡蓮なのかもしれないと、私は思うようになりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?