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【連載エッセー第31回】カリンを惜しむ

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
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 私が勤める大学では、秋が深まる頃から、樹木の剪定が進められる。ときどき、教職員への一括送信メールで剪定作業のお知らせが届く。

 以前は意識することなくメールを「ごみ箱」に送っていたのだけれど、大学で薪づくりをするようになってからというもの、しっかり連絡内容を確認するようになった。伐られた枝を確保しなければならないからだ。 

 剪定作業をしている現場に行けば、業者の方と話ができたりする。うまくいけば、枝を適度な長さに切ってもらえたり、大学内に私が(勝手に)設けた薪づくり作業場まで枝を運んでもらえたりする。業者さんとしても、私に枝を渡してしまえば、枝の処分に手間と費用をかけなくてすむ。

 先日、「支障樹木を伐ります」というメールが届いたので、作業日時を覚えておいた。「支障樹木というのは、どれのことだろう?」と思いながら対象の場所に行ってみると、背の高いカリンの木が大胆に剪定されていた。 

枝葉を伐られて寒々しくなっている

 作業をしていた方に聞いてみると、カリンの実が落ちてくると危ないから枝を伐るという話だった。たしかに、カリンの実は大きくて堅いから、頭に当たると大変なことになりそうだ。とはいえ、それを防ぐために片っ端から枝を伐ってしまうのは、なんとも残念な気がした。

 モヤモヤしつつも、伐られてしまったものは仕方がないので、とりあえず、薪にしやすそうな枝を薪づくり作業場に運んだ。そして、熟しきっていない実が地面にたくさん散らばっていたので、それを拾い集めて研究室に持ち帰った。

研究室に入るとカリンの甘い香りがする

 大量に拾った実は、カリンのシロップを作るという人に渡したり、カリン酒を試してみるという知り合いに引き取ってもらったり、カフェを営んでいる方に届けたりした。それでも、大学のカリンの木のまわりには、まだまだ実が残っていた(拾う人は少ないようだ)。

 それにしても、カリンの実が落ちてくると危ないから枝を伐るという発想は、いかがなものだろう。

 異国の地では落ちてきたヤシの実で亡くなる人がときどきいるそうだけれど、カリンの実で大ケガをしたという人の話を私は聞いたことがない。安全の確保も無視はできないけれど、カリンの実の落下を心配するくらいなら、そこらを自動車が走り回っていることをもっと心配したほうがよい気もする。私自身は、カリンの実に当たってしまうことがあったら、まれにみる不運と思ってあきらめたい。

 敷地の管理者として大学が不安を感じるのであれば、「カリンの実の落下に注意してください」という(イラスト付きの)立札でも置いておけばよいかもしれない。枝を伐ることだけが解決策というわけでもないだろう。

 大学が本気で安全を追求するというのなら、私としては、先に学内の自動販売機を撤去してほしい。売られているものの大半は、多かれ少なかれ、人間の体にとって危険な気がする。自動販売機に電気を使って温室効果ガスを発生させることも、間接的に私たちの安全を脅かす。

 大学だけの話ではない。社会全体を考えても、「落石に注意」とか「スズメバチに注意」といった掲示をすることばかりが大事だとは思えない。強く注意を呼びかけたほうがよいものが、ほかにいろいろある気がする。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』
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 #里山 #里山暮らし #山里 #カリン