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【連載エッセー第38回】チェーンソーを握る

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(3月からは月3回のペースで連載します。)
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 実は1年ほど前からチェーンソーを使っている。薪づくりのためだ。できるだけ機械や電気を使いたくないので、なるべく鋸だけで薪づくりをしたかったのだけれど(第5回を参照ください)、チェーンソーに手を出すことなった。

チェーンソーの手入れも学びつつある

 薪にする木の入手方法が関係している。移り住んで最初の年は、すぐ近くの山で伐られて山積みに置かれていた杉の枝をもらっていた。それは鋸で切ることができた。ただ、いつまでも近所の杉に頼れるわけではない。持続的な薪の入手方法を考えていたところ、学校の保護者仲間で薪ストーブを使っている人が仲介してくれて、造園業者の方にトラックで木を届けてもらえることになった。伐採されて、処分される木だ。

 地元で育った大きなケヤキや、京都市内の円山公園で生きていたシイが、我が家にやってきた。そこそこ長くて太い、ごつい木が、家の横で山をなした。

 直径10センチ以下の枝なら、それほど苦労しなくても鋸で切れる。15センチくらいのものも、手強いけれど、がんばれば切れなくはない。ところが、20センチほどになると、「うっ…」となる。30センチ近いものを前にすると、丸太を切るための穴挽鋸(あなひきのこ)を手にしてさえ、とても気力がわいてこない。

 木を鋸で切る大変さは、木の直径に比例しない。断面積に比例するわけでもない。ある程度の太さまでは、太さに応じた時間をかければ、無理なく切れる。ところが、その「ある程度」を超えると、うんざりするほどしんどくなる。途中まで切れた木の断面に鋸の刃が挟まってしまい、鋸を動かしにくくなる。仕方なく別の角度から切り進めると、先に切っていたところとずれて残念な結果になってしまうこともある。

 ごろごろと積み上がったケヤキやシイを前にして、チェーンソーに頼るしかないと思った。何かとお世話になっている近所の方にお願いして、チェーンソーの使い方を教えてもらい、電動式チェーンソーを借りた。

 チェーンソーを使ってみると、恐怖感は思っていたより少なかった。油断せず、基本的な注意点をしっかり守っていれば、大きなケガはしなくてすみそうだ。

 とはいえ、太い木は、手頃な長さに切った後に斧で割るのにも苦労をする。シイの割り方はコツをつかんだものの、ケヤキを割るのが難しかった。また、ケヤキにせよ、シイにせよ、枝分かれの部分や、木の繊維がひどく複雑になっている部分は、なかなか斧では割れない。

太い松の木を斧で割っていく

 薪づくり初心者の素朴な感覚からすると、直径が20センチ以上もあるような太い枝や幹を日常の薪に用いるというのは、当たり前のことではないように思う。「自動車で運搬→チェーンソーで切断(玉切り)→薪割機で破砕」といった流れを前提にした、機械文明の産物のような気もする。

 本当は、細い「柴」を生活の中心に据えるのが自然なのかもしれない。桃太郎のおじいさんも、山へ柴刈りに行ったのであって、丸太を伐り出しに行ったわけではない。二宮金次郎の銅像も、太い木を割った「薪」ではなく、「柴」を背負っている。

 ただ、手頃な枝を集めるためには、そのための土地が必要になる。土地に心当たりがない私たちは、造園業者から運ばれてくる木に頼るしかない。そうすると、チェーンソーを使うことになる。

 薪のつくり方にしても、社会の仕組みと切り離しては考えられない。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』
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