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生きづらい社会でも、幸せの原則はシンプルだった。

高校時代に人の心に興味を持ち、理系ながら心理学専攻を選んだ私は、もっぱら「幸せとは何か」について考え続けてきた。

幸せについて、色々学んでみたりした。

しかし、人生とは皮肉なもので、幸せについて学んだとて、簡単には幸せになれなかったりする。


ただ、そんなことを言われれば言われるほど、何だかよく分からない「幸福」について知りたくなってしまう。人間の性だ。


少し幸福について調べてみると、私が以前住んでいた神奈川・東京は都道府県魅力度ランキングで上位にランクインしていたが、幸福度ランキングでは最下位近くに位置している。

都道府県別魅力度・幸福度ランキング
東京 :魅力度4位、幸福度46位
神奈川:魅力度6位、幸福度45位

ダイアモンド社 ブランド総合研究所


なぜ日本の中心である首都圏に住む人(千葉県44位、埼玉県37位)は、幸福度が低い傾向にあるのだろうか。

幸福感の正体とは、一体何なのだろうか。




1.なんでこんな簡単に幸せに?!

、、、

今、すごく幸せかもしれない、、、!

移住準備に東京から京都を1人で訪れたとある1日。ここ数ヶ月で味わったことのない幸福感で体中が満たされた。

その日は下鴨神社、鴨川デルタ、京都御所を散歩し、カフェでのんびり過ごし、西陣周りをサイクリングし、地元のお好み焼き屋さんで夕食を済ませ、町屋ゲストハウスに宿泊しただけだ。

下鴨神社の散歩中


あれ、幸せってこんな簡単なの?!

と驚いたのは、私が幸せについて、下記のような捉え方をしていたからだ。

幸せは、努力して掴むものと思っていた。


それが、びっくり。普通に京都の街で暮らすだけで、こんなに幸福になってしまったのだ。今までの努力は何だったのか、と拍子抜けしてしまう。


ますます「幸福」が分からない。いや、違う、今日起こったことが、幸福なのだから、幸福の定義もそれでいいのではないか。

川の音を聴き、森の緑に触れ、リラックスする。自然を味わいながら、体をたくさん動かす。たくさんお腹を空かせた後、スマホは閉まってご飯と酒に集中する。

それが「幸福」なのではないか。


そういえばこの月は下記のnoteを読んで、ながらご飯を辞め、ついでに、毎日2時間くらい行っていたSNS閲覧とネットサーフィンも辞めていた。


幸せって、こんなシンプルだったのか。

心理学の書籍、コーチングセッションでの体験、スマホ抑制、毎日の瞑想、京都での体験、ここ3~4か月のインプットが線になって繋がった瞬間だった。

確かに良く考えてみたら、幸せは五感を満たす瞬間か、人と分かち合う瞬間か、自分らしく生きている時に多い。

崇高なミッションの達成、非日常の旅行や祭り事、自己成長や自己実現ばかりに目が生きがちだが、そんなこともないのかもしれない。


五感を満たし、人と分かち合い、自分で決めろ。

に集約されるのが「幸福」なのかもしれない。


そういえば就活生自体から色んな人に「仕事で1番嬉しかったこと」を聞いて回っていたが、8割くらいの人が、

  • お客さんからありがとうと言われた時

  • 上司やチームメンバーから認められた時

  • チームで達成して分かち合えた時

  • 部下が達成した時

と答えていて、仕事そのもの楽しさや達成やミッションの達成などを挙げる人は少なかったことから、

「結局全部、人間関係じゃん!」

などと、思ったものである。




2.辛いのは、あなたのせいじゃない。

とはいえ、幸せになるというのは、意外と難しい。

周りの話を聞いてみても、

  • 自信がないし自分が好きじゃない

  • 将来が不安で余裕がない

  • 日々何かに追われて辛い

  • 楽しいこともなく淡々と生きている

  • 日々充実しているが、ストレスが多い

等の話は少なくない。

事実、日本人の幸福度は相対的に下がってきているようである。


コロナや経済の影響が多いとはいえ、心の調子が思わしくない人も増加傾向にある。


なぜ、幸せになるために国を発展させ、豊かになってきたはずなのに、さして幸福度は改善されないのか。

夜、雨上がりの、渋谷。


そう疑問を持ちながら、社会を観察すると、どうやら原因は個人ではなく、社会システムにありそうだという仮説が立ってきた。

辛いのは、あなたのせいじゃないのだ。




3.簡単に幸せになれないシステム。

さて、前置きが長くなってしまったが、少し幸福について考察していこう。

幸せの定義は色々があるが、様々な書籍を基に参照するとこんなところであろう。

下記書籍を参考に独自制作



まとめると、

  1. 五感を満たす

  2. 人間関係を充実させる

  3. 目標を達成し、成長実感を得る

  4. 自分で決めて生きる

に分類することが出来る。


その根本には生物学的背景がある。人間は子孫繁栄のために、生存に近づく行動を幸福感情を分泌することで促進し、生存に繋がらない感情を不快感情を分泌することで、回避させる。

つまり、幸福感は、もっとその行動を増やして欲しいという体からのメッセージでもある。


こう考えると、直感で感じた

「五感を満たし、人と分かち合い、自分で決めろ。」

と、さして差分はない。やはりシンプルだ。


それでも私たちが中々幸せになれないのは、どんなシステムの影響なのだろうか。

私の仮説は「IT革命による情報量増加」だ。

前述の4つの幸福の定義に則る


現代社会は情報量が多すぎるのだ。

体を動かさなくても、通販で買い物ができ、デスクワークで仕事ができ、オンラインで打ち合わせができるので、運動しなくなる。自然に触れなくなる。食事が雑になる、

SNSで人間関係が可視化された結果、他人と比較できることで、自分が好かれている実感がなくなる。

学歴、人間関係、キャリア、収入の序列が可視化された結果、人と比較してしまい、成長実感を持てなくなる。

何より、情報が多すぎるため、自分で選ぶより、他人が決めた解に従う方が最適な気がして、自己決定をしなくなる。


私たちは、豊かになるために、技術を発展させ、効率化し、正解を探し求めた結果、

「正しく生きなければいけない」呪縛に囚われ、かえって生きづらくなっているのではないか。


冒頭の伏線もこれで回収することが出来た。

情報量の多い首都圏の幸福度が低い傾向にあり、沖縄県の幸福度が高いのは納得できる。


(だから、私は首都圏から移住した)


それでも日本社会の情報量が減らないことも、システムで説明することが出来る。

まず、人間の脳は狩猟時代に未知なる危険を速やかに察知できるよう「未知なる情報」「危険と思われる情報」が視界に飛び込んできたら、注意を惹かれる構造になっている。

つまり人間の脳にとって「新しい情報」は麻薬であり、「新しい情報」が流れ続けるSNSやネットサーフィンを辞めることが出来ないのは、脳の報酬系がそうなっているからである。


その結果として、

私たちは資本主義社会のシステムの中で、無意識のうちに大量の情報に支配され、不安を抱え、自分の心ではなく、社会の正解を追い求めるようになっている。

急速に発展しすぎた資本主義社会のシステムが、数万年の時を経て繁栄してきた生物としての幸福を求める本能に対応するのは、時間が短すぎたのだ。




4.心を取り戻し、自由になれ。

悩みがちっぽけに感じられる広大な琵琶湖


自分の感情が、社会システムに影響を受けていることを実感すると、途端に馬鹿馬鹿しくなってはこないだろうか。

人は皆、幸せになりたいし、人に喜んで欲しいし、お金をたくさん稼いで、美味しいものを食べて、好きな人と過ごして、自由に暮らしたいはずだ。


それでも、システムにのまれ、正解を意識して生きるようになると、

「そんなんじゃ上手くいかないよ」
「もっと○○したほうがいいよ」
「なんで成果が出せないの?どうするの?」

と自分の正解を信じたいがために、他人にも求めるようになり、その相互作用で生きづらくなってくるのである。


ただ、このシステムを理解すると、本質に立ち返ることができる。

毎日五感を満たず時間を作り、関わった人と良好な関係を築き、迷ったら自分の軸に従って行動すればよい。

社会に飲まれそうになったら、環境を変えて、自分が生きやすい生き方をすればよい。


心を取り戻すため、自由になってよい。

香川県の豊島で、はしゃぐだけの写真。


もしかしたら、

「好き勝手生きたら将来が心配…」
「周りの目が気になる…」
「成功しないと幸せになれないじゃん!」

なんて思うかもしれない。

しかし、心理学の研究で、数十年単位に渡る幸福感と収入に渡る追跡調査を行った結果、

成功したら幸せになるのではなく、幸せに生きている人が成功する。

という結果が出ている。


もう、自由を妨げる、障壁はない。





5.私たちは、どう生きるのか。

しかし、

「で、あなたは、どう生きるの?」

の問いに対して、私は単一的な答えを持ち合わせていない。


心理学や統計学の限界は、あくまで全体の傾向値であり、個別具体の事象を測れないことにある。

東京で最先端の情報に触れ続けることで、知的好奇心を満たし、幸せに暮らしている人もいれば、私のように京都移住を選ぶ人もいる。


ただ、幸福の原則に従うならば、答えは自分自身で選ぶしかないということになる。


思い切り体を動かせ、腹が減ったら上手い飯を食え、ただしながらご飯はやめて飯に集中しろ。睡眠をさぼるな。寝る前に電子機器を見るな。7時間以上寝ろ、朝起きたら太陽光を浴びろ。自然に触れろ、森のせせらぎや川の音に耳を澄ませ、ついでに好きな音楽も聞け。好きな人と過ごせ、スキンシップを増やせ、人を喜ばせろ、そして素直に自分も喜べ。情報に埋もれるな、SNSで一喜一憂するな、人と比べるな、良い自分もダメな自分も愛せ、自分の頭で考え、体で感じ、心に従って行動しろ、瞑想しろ、自分の欲に忠実になれ。正解を探すな、行動しろ、失敗しろ、間違えたらやり直せば良い。それを毎日続けろ、成長とか、自己実現はそれからにしろ。

2022年1番感動したご飯。


そして、鵜呑みにせず、好き勝手生きろ。


この文章が自分の生き方について見つめ直すきっかけになったら幸いである。

~fin~

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