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ツイッターというゲイたちの墓場について(順次更新)

この記事を見ているあなたへ、ここ近年LGBTQ+という単語を聞いたことのない人はいないだろう。ことあるごとにやれ多様性だのやれ同性婚などなんか騒いでる人もいればぼーっとそれを見てる人、火に油を注ぐような人もいる。今回はそんなどんな方向から意見を述べても(当事者の私(ゲイ)でも)批判が来そうな内容は書かない。
私がいまから記事にするのは今のゲイたちがいま、どこにいるのかについてを書いていく。
なお私自身もその当事者(ゲイ)であるためできるだけ多くの人か読みやすいように書くが、私にとっての当たり前と読み手の当たり前が異なるかもしれないがそこは頑張って。

メジャーなゲイコミュニティーとは?

今はxだが、こちらの都合でツイッターと呼ばせてもらう(めんどくさい)
皆さんがよく思い浮かべるのゲイのコミュニティは東京では新宿二丁目、大阪だと堂山などのゲイバーが挙げられるだろう。
これらはたびたびメディアで取り上げられるためゲイのコミュニティとして一番思い付きやすい場所である。
だがスタバみたいに高頻度で点在するわけではないので思い付きやすいだけであって、身近ではない。
特に身近ではないという点からしたら多くの当事者からしたらそうだろう。では何が最も身近であるか?お察しのとうり、ツイッターなどのSNSである。
私は大学生になった時にこの界隈に初めて入るためのツールとしてツイッターを始めた。ツイッターなどのSNSの特徴はすぐに同じ趣味志向の人と検索はハッシュタグなどから関われることである。実際私も#ゲイのタグをつけて関わりを増やしていった。
そしてなにより簡単に誰でも人と繋がれる点も大きな特徴だ。
そもそもゲイバーなどのコミュニティはある程度年齢を重ね、足を運んでその場に行かなくてはならない。それに比べてツイッターはゲイコミュニティに入るためのハードルは低く、なによりゲイバーに行くよりも年齢、金銭的面といったある程度の条件は無視できる。
これはゲイコミュニティだけでなくわかりやすいものだとアニメやゲーム、それぞれのフェチニズムといったある程度の界隈と呼べるくらい広いコミュニティに属してる人や眺めている人は誰しもが感じたことのあるSNSと現実の違いである。
なぜ私たち当事者(ゲイ)にはSNSなのか?それは単純な話、現実には当事者にとっての用意されたコミュニティが少ないから仕方なくネットで実際にいるかもわからない仲間とのコミュニティを築いていくのである。

ツイッターでのゲイコミュニティの形

ここでコミュニティを築くということはそれ相応の知識が増えていく。オタクたちがネットミームを使ったり、異性愛者同士がアダルトビデオでよく使われる言葉を面白がったり、専門家が様々な知識を前提とした話し合いをするようにもちろんここでも独自の言葉が使われる。
例えば「有」「無」
これは恋人がいるかいないかを示す単語である。「有」は恋人がおり、「無」は恋人がいない。どうでもいいことだと思うだろう?
だがこの表示がなくては「友達」として相手を見るか、「恋愛対象」として相手を見るかで接し方が変わってくるだろう。もちろん現実でも「男と女の友情はできるのか?」という論争がなされることが多々ある。それと同じように相手をどう見るかというのは重要であり、同性愛者しかいないゲイコミュニティにとってそのような事を考える頻度は高くなっていく。
ゲイコミュニティにいる目的は人それぞれであり恋人が欲しい人、性的関係だけを築きたい人、友達が欲しい人、あるいは友達と恋人両方欲しい人などがいてわかりやすい。
だが「有」や「無」という表記をつけないゲイは多い。
私の知り合いにもともと異性愛者であってつい最近同性愛者になり、ツイッターにアカウントを立ち上げた人がいる。
彼曰く「恋人ができたらツイッターから恋人いるとかいないとかわざわざ書かないよ」と言っていて、だがしかし彼は友達も同時に募集している。
彼は同性愛者としての経験は浅いため、何年もゲイという違和感に付きまとわれることがなかった。
私はその付きまとわれる年月が長いほどこのコミュニティの価値が高くなり、たとえ恋人ができたとしても、わざわざ「有」という表記とつけてでもここに残りたいと思う人によってできた特有の言葉であると思う。
つまり、ようやくみつけたこのゲイコミュニティの価値によって「有」か「無」という記号をプロフィールに付け足すか否かがつけているゲイといないゲイの違いであると私は考える。
その点に加え、承認欲求やフォロワーが増えたアカウントへの愛着などが重なりゲイコミュニティへの価値をますます左右されるだろう。

他にも紹介したい特有の単語として、「h数字」がある。hの後ろには例えば20歳だったらh15またはh16と表記する。これは平成15年生まれ、平成16年生まれという意味でありそれを省略してこう書いている。インスタグラムなどでよく見かけるのは「03」「04」など2003生まれ、2004生まれを意味する表記をする。
これは、Twitterというコミュニティが長くにわたってできた名残りであると私は思う。なぜゲイコミュニティにこのような表記が多いのか。Twitterは今も昔もゲイコミュニティの主な活動拠点であるからである。ゲームや漫画、アニメ、スポーツなど趣味での関わりが中心とした界隈にはあまり年齢という条件は必要かない。目的がそのものに対して感想を共有するのが第一の目的であるからだ。ゲイコミュニティではゲイであることを語る、エッセイイストの集まりではなくあくまで友達や恋人を作ること目的とする。つまり語りあうのではない、正直になれるところを作るのが目的であるのだ。そのために「有無」と同じように必要であるからだ。
同じ性的指向を持った仲間であるにしても年齢という差はリアルの方でももちろん、ゲイコミュニティの中でも重要であり年が上か下かでどう相手に接するか、TwitterというあくまでSNS上の関係でどう立ち回りをするかとてもわかりやすい。
ただ、私がこの界隈に実際に触れてみてわかったことはあまり年齢という要素のは最初だけ必要になってくると思う。
同じ「ゲイ」という仲間では上も下もだんだんと関係なくなっていく。
部活を引退!学校を卒業!就職につく!出世する!のようなイベントはこのコミュニティにおいてあまり重要ではないからだ。
単純な話、先輩後輩の別れが来ない、SNSは永遠に関わりを持つことが許されたツールであることの特徴であると私は思う。(関係の亀裂はしばしば起こるが…)

他にもさまざまな単語があるが、個人的に重要だと思う単語2つを解説してみた。
今度まとめた記事を書こうと思う。

「有」「無」や「h~」は誰が始めたかなんてわからないネット文化の一つである。
こう見ると少しこのゲイコミュニティに対して歴史を感じると思わないか?
それにこれらの単語は流行りとか、一時期にこぞってやるものではない。例えば性格診断の結果をステータスに書いたり、有を🐜や無を🍐という記号に表すような、最近よくあの人がやってるから俺もやろうというものではなく、時を得ても変わらずに続く文化であると私は思う。
ゲイコミュニティの特徴として歳の差があまり関係ない関わりを持てるのが大きな特徴であると私は先程述べたが、その分世代交代というコミュニティの形の変化がとてもゆっくりかつあまり変化のないもので、たとえば「Z世代」などといった区切りがない。それこそ「h~」と毎年区切って「えっこんな若い人がやっとるの!?」となる程度だ。その理由はSNSという自由な場は同性婚の適応!部活動の撤廃!成人年齢の引き下げ!などといったイベントはなく今も変わらずに同じであり続けるのだ。
私はゲイコミュニティの形は今もなお年齢、居場所、人との関わりという三つの点で現実とは違った大きな特徴を持っていると考えていて、それはTwitterという環境に加えて歴代のゲイたちが行き着きたかった終点がここしかないずっと残り続けるものであり、今もなお変わらない墓場であると私は思う。

ゲイコミュニティはなぜ変わらないのだろうか

このコミュニティにおいて重要であることは、ゲイにとっての居場所があることである。
それはこのコミュニティにいる人の多くが考えていることであり、不変かついつでも帰れる安心できる仲間がたくさんの場所がいつまでも続く、その理想を無意識に掲げておりだからこそよっぽどのことがない限り大きな変化が起こることはない。
ではここでいう大きな変化とはどのようなものだろうか。
例えば、このゲイコミュニティ、つまり男だけしかいないこの界隈に一定数のゲイと友達になりたい誰かが入り込んでたくさんの関係を作ったり、あの有名人がゲイだった!しかも二丁目に通ってツイッターによく絡んでくる!
のようなことがない限り不変のものであろう。しかしやはりそれらは現実的ではない。前者の話ではそれこそリアルの関係に疲れたり、ゲイコミュニティでちゃんと自分をさらけ出したい人にとっては非常に迷惑な話であろう。そもそも、「自分とは違う性的思考の方と友達になりたい」と「自分と同じ性的思考の人と友達になりたい」ではやはり目的が根本的に異なるのがわかるだろう。後者の話は、これはリアルの世界でも有名人の個人間のSNSの介入はいろいろと問題になってしまうのでゲイであろうとなかろうと当たり前のことであろう。
他にもBL好きの腐女子などが男同士の恋愛を見たいがために覗きに来ることがあるかもしれないが、そもそも女性に興味のない男たちだ。関わろうなんて考えにはならないだろう。どうぞ勝手に見てってください、ですができるだけ話しかけないでくださいというのが本音である。
ゲイでしか手を付けられない、だからこそその形態を変えるべつの要素が入る隙がない、その結果が昔から変わることのない小さな社会が残り続けているのだ。

「ゲイでしか手を付けられない」

ではほかの性的思考であるレズビアン、トランスジェンダーの人たちが手を付けられるようなコミュニティ、いわゆるレズコミュニティやトランスコミュニティは存在するのだろうか。

少数派の女性のためのコミュニティ

これを考えるきっかけになったのLGBT+のためのイベント、TRP(東京レインボープライド)についてゲイの友達と話す機会があった。
TRP(東京レインボープライド)は、「LGBTQ、いわゆる性的少数者が、差別や偏見にさらされず、前向きに生活できる社会の実現」を目指した団体、およびイベントの総称。(Wikipediaより引用)

テレビやSNS等で何となく知っている人もいるのではないだろうか。
ここで考えてほしい。君たちの想像するTRP、あるいはLGBTのためのイベントとは何だろうか?
私がまず初めに思い付いたのは裸の男である。ひげ面にムキムキの筋肉を露出して虹色の装飾を身にまとっている裸の男が私の頭の中に浮かんだ。
これは私がゲイだからだろうか?いいや違う。

このイベントはもはやLGBT+のためではなくゲイのためのイベントとなっている。
これは実際に行った友達が「知り合いのゲイがたくさんいて楽しかったよ~」と言っていた時に疑問に思った。確かに彼もあまりレズビアンのような女性はいなかったこと、トランスジェンダー男性がおおくトランスジェンダーの女性らしい人はあまり見なかったと言っていた。

では彼女たちのような少数派の女性はどこにいるのだろうか?






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