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あきらめること

みなが声を掲げて同性愛者の権利を守ろう!!みたいなことをよく聞く。そしたらそれを批判する人がいてハイハイめんどくさい論議が始まります。

もちろん当事者もそれに加わるし、そうでない人もそれに加わる。人がいればいるほど時間がかかり結局薄い結論だけが適応される。

その時間の中でもちろんあきらめる人もいる。今日はそれに注目してみよう。

「あきらめた人」とは誰のことだろう?
俺のゲイ友達の話をしよう。彼は自分は誰にも囲まれず、一人で死んでいくと言っていた。
俺から見た彼はまさに天然の人たらしであって、人から好かれる才能に恵まれている。あまりにちぐはぐな発言に俺は驚いた。
すごく寂しそうな表情をしていた。
なぜだろう?彼はなぜ諦めたのだろう?
たくさんの人が声を上げて理解しようとしているのに。
もしかしたら皆が皆を理解しあえるそんな世界が来るかもしれないという期待、高揚があるのに。

諦めてしまう人はそんな理想的な世界が適応されない限り諦め続けてしまう。彼らにとって必要なことは彼らの努力ではどうにもならない願いをかなえてあげることだ。
今の現実では男同士で家族を持つことの違和感をぬぐえない。彼はその違和感を完璧にぬぐうことを望んでいる。
少数派の人間にとってその違和感が永遠に付きまとう。
仕方がないのだ。人が人である以上、ある程度の定義を守ろうと努力する。

では諦めた先に何があるのだろう?
変わらない現実である。そう、たとえ諦めなかったとしても途方もない願いはかなわない。変わらないのだ。どうしようもないこと、だから諦める。
諦めたほうが楽だから…

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