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「美しい恋の物語」 読書感想

日本へ帰国して、嬉しいと思ったことの一つに、「紙の本が読める!」ことが挙げられる。

ま、厳密には海外で購入することもできるのだが、書店には売れ筋の本しか置いていなかったり、関税のため割高だったりする。荷物も増やしたくないのでKindleで購入しタブレットやスマホで読んでいたが、やはり長い小説などは紙のほうがいいと感じていた。

そして、久々に手にした紙の本は「美しい恋の物語」。時代や国を超えていくつかの恋に関する小説が収められているオムニバスである。「ちくま文学の森」というシリーズで、他にも「心洗われる話」や「恐ろしい話」など、テーマに沿って選んでいるようだ。編者は安野光雅、森毅、井上ひさし、池内紀の4名。安野光雅氏は先日亡くなったが、私は昔から彼の絵が好きで、その美しい表紙が決め手となり購入した。

電車などで隣の人に見られたら少し気恥ずかしくなるような、ロマンティックなタイトル。どんな甘美な物語が収められているのだろう。

しかし、読んでいくうちにそれは思い違いであることに気づく。「美しさ」も「恋」も、「悲しみ」と紙一重であることに思い当たるのだ。

それは、これらの小説が、刹那的で、幸福な形で成就することはない「恋」の本質を捉えているからである。編者は前述の4名だが、複数人が関わっているにもかかわらず、その視点がぶれることなく物語が選び出されていることにすっかり感心してしまった。

「恋」とは、相手を強く求めながらも、結局直面するのは自分自身だということを思い出す。恋することで自分の中の未知の強さ、勇気、愛情深さに出会うと同時に、弱さ、狡さ、冷酷さを思い知るのだ。

愛が永遠なら、恋は一瞬。そして途方もないエネルギーが凝縮されている。それは人を大きく成長させるが、身の破滅につながる可能性もある。一生恋を知らない人は、ある意味で幸せだ。もちろん、不幸でもあると言えるだろう。「恋愛」とまとめて語られることが多いが、恋と愛はかなりかけ離れていると私は思う。

そして読み進めながら思い浮かんだのは、「多くの親は、自分の子供に『誰かと愛を育んでほしい』とは思っても、『激しい恋をしてほしい』とは思わないだろうなあ」ということだった。子供には危険地帯に近寄って欲しくないだろうから。

その考えを見透かしていたかのように、この本の最後の物語(戯曲)「なよたけ」では、恋に取り憑かれる主人公の父親が登場する。戯曲が書かれたのは昭和18年、舞台は平安時代だが、この父親が、現代でも十分に通用する、とても柔軟な思考の持ち主なのだ。濡れ衣により左遷され、出世コースから外れても腐らず、新しい土地で前向きに生きることを決める。また、文学や芸術に惹かれる息子を頭ごなしに否定せず、息子が勧める本を自分でも読んでみる懐の深さもある。そして、恋によって全てを失った息子をそっと見守り、受け入れる。それができるのは、この父親もまた、恋を経験した者であるからだろう。話が進むにつれ主人公と恋の相手の間の出来事がまるでファンタジーのようで浮世離れしてきて、これはいったいなんの暗喩だろうか?と戸惑うのだが、物語の最後で種明かしがサラリとされる。恋とは壮大でドラマティックな1人の妄想である、と気づかされ、苦笑いしてしまう。こんなこと一生に何度もしていたら身が保たない。

何にせよ、とても有意義な読書時間を過ごすことができた。あと書きの安野氏の思い出話も、記憶と妄想が品よくミックスされ、ユーモアのスパイスが効いた上質な読み物だった。

「ちくま文学の森」シリーズは全10巻で、既に全巻刊行されているようだが、このまま購入して読んでしまいそうだなあ・・・

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