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浮かれた時間の話とすこしのエッセイ

7月、私は岡山県児島という聞き慣れない地域に一人、降り立っていた。到着するとそこには数多のデニムが連なって揺られている。

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自粛期間が明け、県を越えての移動が可能になった月、無類の旅好きとして、何がなんでも、自分の今いる場所を少し離れてしまいたかった。

そうしてふと思い立ったのが、未来チケットとして購入していたfloatへの訪問だった。

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岡山駅から30分かけて児島駅に到着し、そこからまたバスに乗る。バスは、1時間に1本しか無いようで、しばし、全国どこにでもあるコメダ珈琲で時間を潰すことにした。

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アイスコーヒーを頼むときは、えらく陽気な店員さんが親しげに話しかけてくれた。多分、店がかなり暇だったに違いない。溢れそうなミルクと小袋の豆菓子をくれる。別に私だけに特別にくれたわけじゃない。全国どこでもドリンクを頼めばついてくる。旅先だからといって、別に何も特別なことはしない。

そう、ここでいつもと違う、ブーツ型のドリンクとかを頼んではいけないのだ。あくまでも、旅先ですら、日常のように振舞うのが、私の旅のスタイルなのだ。間違えても、絶対に大きなパンケーキみたいな顔をしたスイーツなんかを頼んではいけない。

時間がきて、駅の方に向かう。タイムズとかバス停とか、どこにでもある風景が続いていた。全然インスタ映えない看板とかを切り取りながら、バスに乗り込む。

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聞き慣れない地名、一生会わないであろうバスの運転手さん、道を歩くおばあちゃん、どこにでもあるコンビニ、そんな風景を眺めながら、宿にたどり着いた。

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ぎこちなく挨拶をして、好青年風のスタッフに部屋に案内される。なんとなく説明を受けて、イケウチオーガニックのタオルを受け取り、一息つくと、部屋には選書してもらった本が置かれている。

期間限定のプランを購入していて、本が一冊ついてくるというものだった。デニムのブックカバーに入った、海に関連する書物。なんと幸先のいいスタートだ。青が好きな私にはたまらない配置。

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お部屋からは、海が見渡せて、小波の音がかすかに聞こえる。

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だいたい、こういうところに来ると、たんまり提げてきた本なんて読む気がなくなるのだ。思いっきり本だけを心ゆくまで読むぞと決めているにも関わらず、いざ、到着するとほとんど読まないのだから困ったものだ。

本なんていうものは、都会の暇つぶしなのかもしれない。


--そんなところで、floatでの3日間は幕を明けた。

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特別、どこかに観光に出かけるというわけではなく、いつものように大学の授業を受けながら、たまにLINEを返して、気が向いたら写真を撮る。雨だったというのもあるが、せっかく岡山まで来たというのに、結局、ほとんどずっと宿の中にいた。

いつも通り充電をして、代わり映えのないSlackの通知音を聞いて、たまに眠くなって、横になる。

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宿には、運営を手掛ける、デニム兄弟(山脇さん、島田さん)、終始笑顔がすてきなスタッフのKさん、住み込みで生活をするYくん。他にも、たまたま居合わせた憧れのライターさんや、東京からやってきた会社員の方、実は共通の知り合いがいた人、アーティスティックな家族、他にもいろんな人が代わる代わるやってきた。

floatへの訪問が非日常な私、ここにいるのが日常的で当たり前な人。とても心地よい距離感で、中毒性の高い刺激もなく、ただ波のようによせては返し、誰もがほどよく漂っていた。

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デニムを生業にする彼らの手には、藍の色が残っていた。恥ずかしながら、誰も気にしないようなところに心底惹かれてしまう。でも、爪先についた藍も、彼らにとっては日常で、私にとっては非日常である。たったそれだけのことだった。

みんなで観戦した野球の中継も、不意にかかってきた音楽に身を任せた時間も、そこにあったポテチも、全部、私にとって非日常であるだけだった。少しばかり、「ここが日常になればいいのにな」なんていう淡い期待を抱いた2日目の夜だった。

忘れていたといわんばかりに作ってくださったクリームフロートは、夏の味がした。結局、岡山名物なんて一口も食べなかったけれど、これが私にとっての岡山名物になったことは、言うまでもない。

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朝が来て、3日も経ったのかと思った。いつもは、旅が一瞬で終わるように感じていた。だけど、ここでの3日間は、不思議なくらい長い夢を見ていた気分だった。

少し雨が止んで、霞がかった、海辺を撮る。ちょっとここが日常になった気がした。

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どこか遠くに出かけたくて、ここではないどこか、そこに思いを馳せてとび乗った高速バス。向かった先は、聞き慣れない地名。

でも、やっぱり、そこにだって、誰かの日常があって、気にも留めない毎日が落ちていた。

ここで生活をしていたら、まず、駅の自動販売機なんてありきたりでつまらない。急いでいたら、某アンパンマンだって、ちょっとはアンパンチしたくなってくるだろう。

でも、私は観光客なので、こんな某アンパンマンと某バイキンマンの自動販売機の写真なんかを撮ってしまうのだ。そこに生活する人たちが、当たり前すぎて落としてしまった日常を、宝物のように拾っていく。それが観光客の役目だと言わんばかりに。

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今、こうして、7月のあの日々を思い返していて気付いたことがある。

こうして、こことは違うどこかで、今も誰かの時間が流れていることを感じることができるだけで、少しほっとしている。

きっと、自粛要請から開放されて、真っ先に求めたのは、誰かに会うことじゃない、大騒ぎしたいわけでもない。確かにどこか遠く、自分じゃない誰かの全く違う時間が流れているということを感じていたい。それが望みだったのかもしれない。

繋がるということ、孤独ではないと感じるというのは、案外難しい。でも、たったひとつ、この初夏に学んだことは、この世界に、自分以外の他の誰かの日常がいつもどこかで、当たり前の時間として流れているということ。それに少し、安心をもらうということだった。

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DENIM HOSTEL float 📍
所在地:〒711-0905 岡山県倉敷市児島唐琴町1421-16
連絡先:050-8880-3135 / dhfloat@gmail.com
https://www.denimhostelfloat.com/

友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。