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小諸祇園祭 健速みこし 天王社みこし #コモロノート

前日、土曜日のこもろ市民まつり「みこし」が1日目とすれば、2日目が「小諸祇園祭」。

こちらは各区や会社の神輿は出ず、神社から出る健速みこしと天王社みこしが、まちの中心地を練り歩きます。
1日目より「神事」の色合いが強い日になります。

この日も出動、相生町神輿


39年前に始まったのが、天王社みこしを相生町がお借りして相生町内をまわる伝統。
相生町が神輿をお借りする伝統の元を辿れば「斯く斯く然々」な歴史があるわけですが、詳しくは別の機会に。

1日目とは異なり独特の緊張感が漂うこの日に参加できたことは、2日連続という疲弊の中で神輿を担ぎ続ける(泣)という点でも貴重な経験でした。

激重な天王社みこしを2日間担いでいる勇者たち(奥)


受け取る神輿に台上に放り落としても壊れないよう鉄板が入っているため、ものすごく重い。
加えて昨日は長時間みこしを担いで持ち上げて揺れて急な坂を走り切ったり。
スタート時点でライフポイントは0に近い状態。
にも関わらず、相生町の神輿が天王社の神輿と挨拶するときには神輿を持ち上げる儀礼的なムーブメントもあり、体力的に段々と削られていくわけです。
それでもって重い天王社神輿を受け取って、1時間超練り歩く。
若い男でも圧倒的にしんどい……!(泣)

暑さも相まって意識が飛びそうになったとき。
「よいよい」の掛け声や、唄や、ふるまいやぶっかけられる冷水に救われて、また一歩が出る。
たぶんこの声とか水とかないと本当に動けなくなります…。交感神経を賦活化してるんだね、とかそれっぽい気づきがありました。理にかなってるわ。
祭りの一つひとつの要素の中に意味を見出したくなる、不思議な感覚を得ました。
あー、重かった。

水を掛けながら神輿を回したり、なかなか「渡し」てくれない掛け合いだったり。
そこに深い意味を意図して始まったわけでは
ないはず。
「こういう目的とロジックでこれをやりたくて」とプレゼンして決めたわけじゃなく、自然とその形になっていった感があります。

夕方、最後は相生町の坂を「よいとー、よいと」の掛け声とともに、神輿本体と棒をつなぐ糸を切りながら降りていき、
糸を切りながらゆっくりと歩く中で、長く時に体力的に辛かった2日間が思い出されていきました。
深い目的意識や目標は必要なく、神輿をかつぐために集まった人間が、神輿を担ぎまわり、神輿を片付け、祭りを片付け、そして酒を酌み交わす。
時間を過ごす中で自然とつながりが形成されていくのは、祭りの魔力(魅力)なのでしょうか。

渡し台の収納
神輿の収納


「祭り」とは何なのだろう。
その時間内は社会的な目的を必要とせずとも心を1つに集まれる場、とでも言えるのでしょうか。
まだ陳腐な答えしか持たないけれど、この日の経験が来年へ、その先へと繋がって、いつか語れるものに成るのでしょう。
ボロボロになった肩を見て満足し「また来年」へ。

2日間で関わった皆さま、ありがとうございました!

また来年(洗濯ありがとうございます…!)

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