2024年4月9日の”X”から転載 wankonyankoricky 氏のポスト@wankonyankorick

MMTにとって国債廃止は、それ自体が重要な目的というより、まずは政府の資金調達にとって国債発行は何の意味もないセレモニーで、民間からは一線も借り入れておらず(というか「民間から借り入れる」こと自体が不可能で)、すべて中央銀行が資金調達をしているんだけれど、
実際にはそれすら単に「政府は支出に先立ち政府預金口座に資金がなければならない」というその国債セレモニーに先立つ「法的」(経済的ではない)なしきたりの結果に過ぎない、ということ(つまりは二重の擬制がある)、
国債金利は、単に国債保有者への何の経済的必然性もないし金給付の意味しかない、ということ、その目的とされている金利コントロールには、インフレを抑制する政策手段としての意味はない(インフレ促進的になるか抑制的になるか、事前には見当つかない)、

仮にインフレ抑制的な効果が得られるとしても、それは失業を対価とするものになるであろうこと、仮にインフレ抑制的な効果を実質的な失業者・半就業者の増加を引き起こすことなく得られるとしても、もっと別に金融市場の混乱が少ないやり方がある、ということ、

ただしどのようなやり方をするにしても中央銀行の金利政策をめぐる投機家たちの思惑によって経済不安定性を高めること、、、 と、言ったことさえ理解してもらうことなんでまあ実際に廃止するしないは、その次の段階ってことになるんじゃないかな。
明確な機能があるものなら、その機能を代替するための何かを提案しなきゃならないんだけれど、何の機能もないただの国債保有者に対する給付政策でしかないから、代替案もない。
そこがこの問題のややこしいところで、中低所得層を守るための規制についてはいくらでもこれという対案なしに廃止がきめられていくけれど、エスタブリッシュメントの利益にかかわるものを「対案」なしに廃止するってのは、なかなかできない。

そもそも何もないんだから対案なんかない、っての。
(「政府預金口座に当座借越ファシリティを設定して、、」という言い方をするとなんだか対案みたいに聞こえるけれど、実際は単に「政府が支出する前に政府預金口座に支出を上回る残高がなければならない」という制約をなくすだけ。)

「インフレ対策」という幻想に対案がない、というのは、富裕層の利益の廃止を主張するときには、大きな障害になる。
だからまあ実際に廃止するしないは後回しにするしかないかもしれない。
ただ要するに、政府の資金調達ともインフレ対策とも関係ないんだ、政府による利払いは特定の人たちに対する給付なんだ、金利操作はただ金融不安定性を増すばかりなんだ、ということを理解してもらうことがまずは重要なんでは。

「政府の赤字は民間の黒字。政府の金利費用増加は民間の金利所得増加。」 (´・ω・`)

MMTが金利制度を批判するのには、二つのレベルがあって、一つは国債金利の水準。
2000年代前半には連銀が付利制度を提案しても、議会は「通貨の発行者である連銀は資金不足に陥るはずはないのに、民間から自分自身の発行する通貨を借り入れてそれに金利を支払う、というのは筋が通らない」という至極まっとうな理由で拒否した。
この点で議会もまともだった。
でも実際には国債金利も同じ。
実態は連銀からの直接融資であるのに、それがあたかも民間からの借入であるかのうわべを保つことで金利の支払いが正当化される。
これは同じことだが、政府が金融上の理由でデフォルトリスクがあるものと錯覚させることにつながっている。

国債への利払いは、実際にはデフォルトリスクゼロ・期限の不利益ゼロの債務に金利が支払わえているのだが、それがあたかも合理的なものであるかにとりつくわれている。
それでも金利政策に何らかの正当性があるというのならまだ弁明の余地もないでもないが、それすらない。

もう一つの批判の次元は、「借りた『お金』に対して貸してくれた人に報酬を支払うのは当然」という認識。

一般的にモノを貸してもらったら報酬を支払うという現象そのものをどう考えるかはともかくとして(オッと、この次元も含めて考えるとさらにもう一つ別の次元、ということになってしまうが、それはまた別の機会にでも)この認識は「お金」というものが実物資源や自然発生的な資産である場合には、必ずしも否定できないかもしれない(繰り返すが、ここにも別の次元の批判の余地がある)。
これは「交換」の結果として、便利さを追求するホモ・エコノミクスによって自然発生的に「お金」が生み出された、とする観念に適合的な考え方。

「お金」が自然発生的な「資源」なら、私的所有権に基づく資本家的生産関係の下、そこには絶対地代同様の「占有による所得」が生じる、と理論的には言える。(もっとも日本の売掛債権/買掛債務のように、「債権者が金利を負担するのが当たり前」ということもある。
結局は、取引当事者間のただの力関係の現象形態に過ぎない、というのが実態だけど。)

しかし「お金」が自然発生的なものではなく、制度化された債権/債務の上下関係に過ぎない、となってくると、話は変わってくる。
現代の「お金」とは、その大部分が民間営利銀行の債務に過ぎない。これが実際にモノを創り出している企業の債務以上の「信用力」をもって流通しているのは、制度的に作り出されたヒエラルキー構造があってのこと。そのため、金利の絶対水準は「経済的」事情によっては決まらない。
MMTが「金利は政治変数だ」というのは、こうした意味。
もちろん、ひとたびこうした制度が出来上がってしまえば、「資金」を保有する人あるいはその管理を任された人たちが金利を求めて合理的に運用先を選別することで、社会全体の生産性を向上させることになる契機が理論的にないわけではない。だがこうした投資によるリスクを負うことに対する報酬としての「金利」と、決済性のある通貨を供給すること自体によって得られる「金利」とは、全く性格が異なる。
前者は、まあある意味、どうしたってこうしたものが発生するのは避けられないんで、それを無理やり封じ込めようとしたって無理な話。
金利万歳、でもケツは自分で拭いてよね、ぐらいのこと。しかし後者の業務に対する報酬を「金利」という形で提供することは、決済システム全体を投機によって脆弱化させることに他ならない。

決済業務、必要な流動性をしかるべき形で提供する、という業務には、確かに専門的な知識や技術、機械的に多額の費用が必要なのだけれど、こうした費用を「利用者負担」といえば聞こえがいいけれど、「金利」という形で投機と連動させることについては、十分に慎重でなければならない。
これが連動するような形になれば、一方で制度的なヒエラルキーの便を独占的に利用することで投機を有利に進め排他的な独占利益を上げようとすることができる一方で、いざという時には社会全体の決済システムを人質にしてリスク負担だけをよそに転嫁できる集団(社会階層)が形成されてしまう。
こうした集団は、一方で常にこのヒエラルキーから便益を受けていながら、常にこのヒエラルキーに伴う規制を「枷」ととらえ、ヒエラルキーを破壊する衝動に駆られることになる。

MMTは、こうした金利の問題に対して、金利を禁止するだの適当に上限を設ける(それはまあ必要かも)だの、というよりは、二つのアプローチをとることを考えている。

一つはゼロ金利政策。
政府による見せかけの「金利」給付(実態は、米議会が指摘した通り、デフォルトリスクも期限の不利益も全くないただの現金給付)制度の廃止。

今一つは、結局のところ国民が金利に依存しなくても済む体制の構築。
これは金利を否定するとか、禁止するといったことではなく、例えば公的退職年金健康保険学費補助JGP等々により日常生活から資金運用・金利収入の必要性を減らすこと、あるいはたくわえがゼロになっても、最低限の「まともなdecent」生活はできる体制を整えること。

今一つは、”Too Big To Fail”を排除し、投機に失敗した場合には政府は一切救済しないこと。
ここには「CDSに関与する保険会社を救済する」「景気を下支えするため公共事業を前倒ししたり増やすなどする」といった迂回経路による支援も含まれる。それでも個々の家計の生活がJGPなどを通じて下支えされれば、生活に必要な資材の生産・流通に携わる企業のキャッシュフローは維持されるし、それさえ安定していれば、過剰債務を抱えていてもリスケで対応できるところも増えるはず。

こうしたMMTの発想は、「お金」の起源を「物々交換」に求める考え方とは整合しない。「お金」そのものが社会制度の産物なのだ、ということを理解すれば、金利が「政治変数」であることから出発しなければならない(そこに経済金融的契機が加わりうる)というのも自明なことだし、日本のBtoB取引では債務者が金利報酬を得ているという事実にも何の不思議もない(MMT派自身は日本のこうした商習慣を知らない)。

MMTは政府通貨の直接的発行を提唱してもいます。
私は絶対そうすべきと思うわけでもありませんが、金融関係(富裕層)に通貨発行権を与え、金利を得る利権を与える必要は元来ありません。
江戸時代は政府(幕府)が直接的に通貨供給を行っていました。
金本位制ですから鉱物供給がある限り需要と供給のバランスが極端に崩れない限り、経済政策には問題は生じていません。
記事に書かれている通り、金利政策が経済状況をコントロールできるか?ということについては意味があるとは考えられず、
物価の調整には徴税の対応が一番効果を発揮すると私は考えています。
読むべき記事として判断し、転載・記録することにしました。

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