音楽と音と

音楽というものの範囲というのは人によっても、文化でも変わります。「音楽」という言葉自体は古代中国起源で、音は人や神の声を表し、楽は楽器の音を表すのだそうです。

本来なら音楽を考えるならこのあたりから音楽の話を進めたいところですが、本によっては「それは音楽じゃなくてmusicの起源やないかーい!」とつっこみたくなる説明に出会うことがあります。音楽と言いながらmusicの語源からいきなり音楽を説明しているケースは結構あり、無意識とはいえ「音楽は海外のもの、遠いもの」という意識がいまだに日本人にはあるようです。そもそも明治期に外来のmusicに音楽の語を当てたといういきさつから現代の我々が思うような領域のものが音楽になっていきました。それ以前は単に音楽と言った場合は今日の雅楽を指すことが多かったのでしょう。

「楽」というのは元来は音だけでなくて「雅楽寮」を「うたまいのつかさ」というよみをするぐらいですから、ニュアンスとしては「歌舞音曲」の芸能の形態を指しており、今よりも広範囲だったようです。たしかに、「楽」のつく芸能の名前が「伎楽」「散楽」「猿楽」「田楽」「能楽」…とたくさんあることからも、音だけの芸術というよりも複合的な要素を含む芸術であることが見て取れます。

これらを見ていくだけでもmusic伝来以前の日本の音楽と今の音楽の認識のされ方の差がかなりあることがわかります。音楽の範囲とは文化と歴史によってかくも変わるものです。

ヨーロッパでも植民地支配の歴史を経る中で、ある時期までは西洋音楽的尺度から他の地域の音楽を比較する「比較音楽学」が盛んになり、その後にはヨーロッパ中心主義的な価値観の反省のもとに「民族音楽学」というものへとつながっていきます。最初はヨーロッパの中だけで音楽が完結していたものが、別なものと出会ったときに音楽がそれまで想定していなかった範囲を含める形で拡張されてきたのです。ようするにmusicの範囲も歴史の上でかなり拡張されてきたわけです。

このように見てくると「じゃあ一体どこまでが音楽なのだろうか?」となります。さらに混乱することを言いますと、現代音楽ではミュージック・コンクレートという、人の声や動物の鳴き声、電車の音や電子音などを録音、加工して作る音楽のジャンルがでてきてきます。このあたりまでくると「旋律があって、和声があって、リズムがあって、楽式が…」というようなものが根底から崩れてしまいますね。

現代というのは具体的な音(生活音など)で構成していくものまでもが音楽に含まれていくわけですが、私からすると一周回って「昔から風鈴の音に涼を求めて楽しんでいた人々がとても音楽的だ」とすら感じてしまいます。音そのものに魅力を見出し、楽しむ行為が実は「音楽かどうか」に関わっているのではないかと思います。

某有名ミュージシャンが「小さい頃の音楽体験として、家のトタン屋根に当たる雨粒の音を聴いて楽しんでいた」と語る映像を見たことありますが、これなどはなんと簡素でありながら豊かな音楽体験であろうかと思ったものです。ともすれば現代で音楽を語ろうとするとどうしても大上段に構えようとしてしまいますが、まずは風鈴の音や木々のざわめき、鳥達のさえずりなどを音楽だと思って気軽に聴くことからはじめてみてはいかがでしょうか。

意外と音楽は身近にあって、実は我々の生活を包んでいるものかもしれません。

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