音楽そもそも 序にかえて

「好きな音楽は?」あるいは「どんな音楽聴いてますか?」と聞かれることは誰しもあるもので、皆さんならどのように答えるでしょうか?
こういう質問がある度に私はモヤッとしたものを抱えてしまうのです。いくつか理由があるのだけれど、一つには「そもそも音楽ってなんだっけ?」と考え込んでしまう厄介な性分だからです。

というのも、恐らく大半の人が言う「音楽」というのがCDやレコード、あるいはネット配信のような形で届けられるどこかしら「商業的な要素」を含むものや、いわゆるコードがあってメロディがあって…という西洋音楽の理論に基づいた音楽のことを指しているだろうと思ってしまうからです。

自分の場合、日本のお祭りで聴けるようなお囃子も音楽だし、お経も音楽だと思っているので「最近はどこそこの○○囃子聴いてます」とか言おうものなら件の質問をした相手は面食らってしまうことでしょう。 一言で言えば「変わり者」ですね。ただ、私から見ているとなぜに「音楽」という言葉が無意識とはいえ民族音楽や民俗音楽が除外して語られる現状というのが不思議に思えてしまいます。一応、好きな音楽を聞かれた時には相手が想定してるであろう範囲内で答えるようには努めていますが(笑)

例えば「一番身近な音楽とはなんですか?」と聞かれた時にあなたならどう答えますか?人によって答えは様とはいえます。私なら子どもの頃の遊びに伴っていた童歌(わらべうた)をあげます。あまりにも身近すぎる音楽というものはそもそも音楽とすら認識とされないケースが多々ありますが、実はじゃんけんの掛け声的なものでさえも音楽的要素は既にあるのです。

私が小学生の頃、誰かが悪いことをすると「いーかんしょー、いーかんしょー、せーんせーいに言ってやろー」とクラスで歌った経験があります。これは全国的に伝播しているようで文言はバリエーションがたくさんありますが、明確に音楽的構造を持ち「レードレ、ラソラー、レードレラーソソラー」という4つの音で出来たメロディです。余りにも身近で歌とすら認識されていませんし単純ですから「音楽は高尚なもの」と思い込んでいると、こういうものは見過ごされてしまいます。確かに西洋音楽の理論で考えてしまうとオクターブに満たない旋律ですが、民族音楽の世界ではそれでも立派な音階の最小単位を構成してるケースも多々ありますので「尺度を改める」ところから考え直してみると、より音楽は幅の広い物になるのではないでしょうか。

未だに音楽を語る時に「進んだ西洋、遅れた日本」という言い方をする人は多くいますが、周回遅れなそういう考えは捨て去って、自分達の土台にあるものを見つめるところから音楽を考える時期だと思います。「日本人だから日本の音楽をやれ」ということでは決してありません。日本語を普段話し、日本文化の中で生まれ育った私達自身がそもそもどういう音楽性を持っているのかということを抜きにしては音楽をやる上でも聴く上でもどこか「片手落ち」になるように私には思えてなりません。

音楽というものは本来的にはいちいち頭で「これがこうなってて」と考えるものではないかもしれません。ただ、ときに「音楽そのもの」について考えてみた上で改めて音楽を聴いたり演奏したりすると新たな発見があったり、新たな味わい方が出てきたりするかもしれません。今は音楽という言葉からは、西洋音楽的な形式でできており商業音楽的なものがパッと浮かんでしまいますが、色々な地域や時代を見ていくと実はそれらが音楽のごく一部であることがわかります。このあたりを皆さんと少しずつ、できる限り具体的な事例を交えながら考えて行けたらと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?