ナナツデ

今から十数年前の話。まだ俺が大学生だった頃、同じ学部にAという女性がいた。
一見おとなしそうに見える彼女はどこか人を惹きつけるような不思議な雰囲気があり、俺は彼女を見かけるたびに目で追ってしまうのが癖になっていた。
大学3年になり、人気のゼミの抽選から外れた俺は仕方なく民俗学を専攻するS教授のゼミに入った。厳しいことで有名な教授だ。何で抽選外れるんだよ、とブツクサ言いながら憂鬱な気持ちでゼミの教室を訪れると、Aがそこにいた。
ゼミのメンバーが順番に自己紹介をした。ふざけて彼女募集中でーすなどと言う馬鹿なゼミ仲間を横目に俺は、元野球部、映画が好き、アルバイトをしながら一人暮らしをしている、そのようなことを話した気がする。
Aの番が回ってきた。初めて聞くAの声は見た目の通りどこかか弱く透き通った声で、地方訛りがあった。Aの自己紹介は簡素なものだったが、地方の山奥の村の出身だということが分かった。
それから数日後、大学近くの居酒屋でゼミの親睦会があった。調子に乗って酒を煽る者、S教授におべっかを使って気に入られようとする者、酔っ払って泣きながら失恋を語りだす者、あまりにもまとまりのない親睦会に若干の不安を覚えながらも、まあそれなりに親睦は深まったように思った。
ふと気になってAの方を見ると、酔いつぶれたのか具合が悪いのか、隅の席で壁にもたれて俯いていた。
俺は一滴の下心を含んだ親切心でAに声をかけようと思い近付いた。すると彼女は小声で何かを呟いていた。彼女の声を拾おうと耳を澄ませていると、ナナツデのウベシが、という言葉を聞き取ることができた。
ナナツデのウベシ。初めて聞く言葉だった。
その言葉の意味が気になった俺は必死に思考を巡らすも、酒が入った俺の脳味噌はまともに機能せず、その日はそこで考えるのをやめた。
それから週に一度のゼミを何度かこなし半袖の季節になった頃、俺はAと挨拶を交わす程度の仲になっていた。
とあるゼミの日、一つ前の講義が休講になり暇を持て余した俺は普段より30分ほど早くゼミの教室に向かうと、Aがひとりで教室の中にいた。
話を聞くとどうやらAも同じ講義を取っており、休講で時間が空いたのでゼミの教室でゆっくりしていたとのことだった。
これはチャンスだと思い、親睦会での彼女の呟きに言及してみることにした。
ナナツデのウベシ。俺がこの言葉を発すると、彼女は悲しみとも困惑とも取れる表情を浮かべて黙り込んでしまった。
無言の時間が続く。10分、いや本当は5分ほどだったかもしれない。Aは重い口を開き、次の休日に私の村に来てほしいと言った。
次の土曜日、ちょうどアルバイトが休みだったこともあり彼女の村に向かうことになった。一抹の不安を抱えながらも、気になる女性と二人で出掛けられることに浮き足立ってしまい、Aと合流して電車に乗る頃には小旅行の気分ですっかり舞い上がってしまっていた。
電車を二度乗り換え、2時間に一度しか来ないバスに40分ほど揺られ、更に30分ほど山道を徒歩で進むと彼女の村があった。
第一印象は、のどかでどこか温かみのある良い場所だと思った。
道中、一人の村人に出会う。こんにちは、と挨拶するとそそくさと家の中に入り扉をピシャリと閉められてしまった。田舎の人はよそ者に冷たいと聞くしなあ、などど偏見たっぷりの思考を巡らせながら歩いていると、程なくしてAの実家に到着した。
人当たりの良いご両親に温かく出迎えられた俺は、結婚の挨拶みたいだなどと呑気なことを考えていた。
村でとれた野菜を使ったAの母の手料理をご馳走になり和気藹々とした時間を過ごすも、早朝から行動した疲労感を感じていた俺はあろうことかその場で眠ってしまった。
眠りに落ちる寸前、食事の前に手を合わせ、ウベシのご加護を、と言っていたAの家族の様子が脳裏をよぎっていた。
目が覚めると、薄暗い部屋で冷たい床の上に寝転がっていた俺は、自分の置かれている状況を瞬時に理解した。
やられた。痺れの残る体、座敷牢のような薄暗い部屋、俺は薬を盛られてどこかの地下に幽閉されていた。
なぜ俺は気付かなかったのか。冷たい村人。初めて聞く食事の挨拶。村に来てくれと話すAの姿。そもそも俺はなぜこの村に誘われたのかすら聞いていなかった。
しばらくしてわずかに冷静さを取り戻すと、正面にもうひとつ座敷牢のような部屋があることに気が付いた。目を凝らして見てみると正面の部屋の中にもひとりの人間が入れられていた。暗がりに慣れはじめた目は徐々に正面の人物の輪郭をはっきりと映すようになった。
髪の毛は長く、膝のあたりまで伸びた白髪混じりのくせっ毛。子供にも老婆にも見える女性だった。そして大きな特徴があった。女性の両の手には指が7本ずつ付いていた。
勇気を出して女性に話しかけてみるものの、どこか虚ろな目でこちらを見るだけで会話をすることは叶わなかった。
すると、女性の部屋の横に小さな祭壇のようなものが置かれているのを発見した。
祭壇には見たことがない材質の像が置かれており、像の両手には7本の指が付いていた。
どうしたものかとしばらく考えていると、ポケットの中に携帯電話が入っている事に気付き、一か八かAに電話を掛けてみることにした。数回のコールの後、意外にも彼女はあっさりと電話に出た。もしもし、と言うと、目が覚めたんだね、とだけAは言い残し電話は切れ、それ以降は繋がらなくなってしまった。
半日ほど経った頃、Aが部屋の前に現れた。どうやら外はもう深夜らしい。Aは絶対に大きな声を出さないでね、と念を押して俺が入れられている部屋の中に入ってきた。
するとAは小声でポツポツと話しはじめた。
まずはあなたを巻き込んでしまってごめんなさい。そう謝罪をされた。巻き込まれた?何に?状況が理解できていない俺にAは事の経緯を話してくれた。
彼女の村には昔から数十年に一度、7本の指を持つナナツデと呼ばれる赤ん坊が産まれるらしい。ナナツデが産まれると、村人はウベシと崇め、ナナツデを災いから守るために座敷牢に幽閉し、ナナツデは一度も外の景色を見ることなく生涯を終えるという。ウベシとは、村の言葉で神様のような意味合いを持つらしい。
正面の部屋の女性がナナツデのウベシか、と聞くと、Aはそうだと答えた。
ナナツデのウベシが存在するおかげで、この村には綺麗な水が湧き、美味しい野菜が育ち、人々の暮らしが豊かになると信じられているようだった。
ナナツデのウベシの意味は分かった。しかしなぜ俺がこの村に連れてこられたのか、そのことをAに問いただすと、先日の教室のデジャブのように彼女は黙り込んでしまった。
今回こそは間違いなく10分以上の沈黙が続いた。意を決して話しはじめたAの話は耳を疑うものだった。
彼女の家系はナナツデが生まれやすい家系であり、現在のナナツデはAの叔母であるとのことだった。新たなナナツデを産むために
、Aは都会の大学に進学し結婚相手を見つけてくるようにとしつけられて育ったらしい。
ナナツデを産む女性にはいくつかの決まりごとがあり、そのうちのひとつは、結婚し出産するまで村の秘密は夫に絶対に知られてはいけないということだった。
内向的な性格の彼女は都会の大学に進学するも一向に結婚相手が見つからず、そんな折に俺からナナツデのウベシの話をされ、この人しかいないと思い強引に村に連れてきたとのことだった。
夫になる人に知られてはいけないのではなかったのかと聞くと、あなたを説得して黙っていてもらい、身内の目を欺きなんとかやり過ごそうと思ったとAは答えた。
俺は腹が立っていた。あまりにも身勝手なAの行動、産まれた赤ん坊を一生幽閉するという悪しき風習、浮かれて簡単に巻き込まれた自分自身の危機感のなさにも猛烈に腹が立ち、つい声を荒げてしまっていた。
Aが、ちょっと静かに、と言いかけた時、正面の部屋のナナツデ、つまり彼女の叔母が金切り声を上げた。今までに聞いたことがないような、全身の毛穴が粟立つような不快極まりない叫び声だった。
その声に引きつけられるように数人の村人が現れた。その中にはAの両親もいた。
俺は複数人の男に羽交い締めにされ、何か重たい石のようなもので後頭部を殴打された。
Aがごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す声を聞きながら、俺は意識を手放した。
再び目を覚ますと、俺は村への道中にあるバス停のベンチに寝かされていた。頭に打撲のような痛さを感じつつほっとした気持ちと言い知れぬ不安に駆られていると、右の太ももがひどく痛むことに気付き手を当てると鮮血がべったりと付いた。
驚いて飛び上がった俺は恐る恐る自らの右太ももに目を向けると、何か鋭利なもので 他言無用 と彫られていた。
こんな恐ろしい村の話など他言するもんかと心に誓い、バス停で朝を待ち、血の滲む足を鞄で隠しながら自宅に戻った。
足の傷は幸い浅く彫られていただけで、数日でかさぶたになった。
それから数日、ゼミの日だ。Aはどうなったのか、あの日から頭にこびりついて離れないAの最後の姿。何事もなくゼミに来ていたらいいなと願いながら教室に向かうと、そこに彼女の姿はなかった。
程なくして大学は夏休みに入り、Aの姿はそれきり見ることがなかった。
夏休みが明けてゼミに向かうとS教授が声を掛けてきた。S教授は俺に向かって開口一番、Aの村に行ったようだね、と言い放った。
あの忠告は守らなければならない。他言してはならない。俺は動揺して言葉に詰まっていると、S教授は言った。私は君の味方だから安心しなさいと。
S教授が出してくれたコーヒーを飲みながら詳しい話を聞くと、なんとS教授は今から30年ほど前にこの大学で出会った女性と結婚し、あの村に住んでいたことがあるというのだ。
S教授はあの村出身の女性と結婚し、程なくして子をなした。早く子供が欲しいと言っていた妻は幸せそうに、もう直ぐ生まれる我が子を心待ちにしていた。五体満足の愛らしい男児を授かり順風満帆に見えた結婚生活。ある日いきなり離婚を言い出されたらしい。理由が分からないS教授は当然抵抗したが、村人が結託してS教授を非難し、命の危機を感じたS教授は息子を連れて逃げ出したとのことだった。不思議なことにあんなにも望まれて生まれた息子の親権はあっさりとS教授のものとなったらしい。
あの村のことが気になったS教授は、元々専攻していた民俗学の伝手を使って、村の秘密を探ることにした。長い年月をかけてたどり着いた村の真実は、想像をはるかに超える凄惨なものだった。

遡ること2世紀、村には両の指が7本ずつある青年が暮らしていた。青年は優しい心を持つ穏やかな性格だったが、村人からはその容姿から、忌子として酷い嫌がらせを受けていた。両親からも呪われた子供だと忌み嫌われ、満足な食事も与えてもらえないまま大人になった彼は、平均的な男性よりも幾分か小柄で痩せ型な体格であった。
ある年、村に事件が起きた。村人たちが大切に育てていた農作物を野生の熊が食い荒らしてしまったのだ。
その当時、山深いこの村は自給自足で成り立っていたため、人々は食糧不足に怯え他所の畑を荒らすなど、次第にモラルを欠いた行動に出る者が増えた。一度そうなると、平和な村の暮らしはあっという間に崩壊した。力を持つ者は力の無い者を脅して食糧を奪う。力の無い者は飢餓によって命を落とすこともあった。
そんな最悪の状況の中、村に住むひとりの老爺がぽつりと呟いた一言に村人たちは賛同した。これは天の災いだと。災いを払うためには生贄が必要だと。そして白羽の矢が立ったのは、7本の指を持つ青年だった。
生贄を捧げたところで、村が元に戻る根拠などなかった。しかしそれにすがるしかなかった。
ある夏の夜、7本指の青年は山裾の木に体を縛られた。初めは抵抗した青年だったが、次第にこれから起こる悲劇を受け入れ、自らが忌子として生まれた運命を呪った。しかし心の優しい青年は村人を責めず、この村の幸せな未来を願った。そしてこの出来事は決して口外してはならないと言った。
村人が次に青年の元を訪れた頃には、青年の体は骨が見えるほどに腐敗していた。
彼が命を落としたのは畑を荒らした熊の仕業だったのか、天への供物としての使命を全うしたのか、最後まで誰にも分からなかった。
青年の死を不憫に思ったひとりの村人が、彼の鎮魂のために遺骨を使って像を作った。彼の特徴であった7本の指の骨を使い、彼に似せた7本指の像を作ったのだ。
すると次第に村は元に戻り、豊かな湧き水が湧き、多くの農作物が実った。
その頃には人々は青年の像をナナツデのウベシとして崇めるようになっていた。小さな祭壇を作り、そこに像を置き、皆が有難がって手を合わせた。
それから十数年の月日が流れ、ナナツデのウベシとなった青年の妹が双子を授かった。青年と同じ、両の手に7本の指を持つ兄妹の赤ん坊だった。
取り乱す妹をよそに、村人は7本指の男の赤ん坊を幽閉した。新たなウベシ様の誕生だと。ウベシ様を一生涯災いから守る必要があると。
女の赤ん坊はその場で左右2本ずつの指を切り落とされ、ごく普通の子供として青年の妹の元で育てられることになった。双子が生まれた際は、先に生まれたほうがナナツデとなる決まりとなった。
それ以降、村には数十年に一度、7本の指を持つ赤ん坊が生まれるようになった。新たなナナツデが生まれると、先代のナナツデは村人の手によって殺され、手の骨を使って鎮魂の像が作られる。そうして人々は現在も村の安寧を守り続けているのだ。もっとも、果たしてそれが本当に村のためになっているのかは甚だ疑問ではあるけれど。

そう話し終えたS教授の手を見ると、両手の小指の付け根あたりに何かを削り落としたような傷があることに気が付いた。
はっとした。
時既に遅し。S教授はあの村の人間だったのだ。結婚の話など真っ赤な嘘で、Aの仲間だったのだ。
俺は何の警戒もせずS教授が出したコーヒーを飲み切ってしまっていた。何度同じ罠にかかるんだ。馬鹿野郎。俺の馬鹿野郎。
薄れゆく意識の中、S教授は言った。他言無用の掟を破ったな、と。

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