シリーズ「霊の中に生きる」 No.18

人の救い⑩

シリーズ「霊の中に生きる」 No.18

人の救い⑩

『老い行けよ我(神)とともに、
最善はこれからだ。』

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」も第18回目
「人の救い」についてまで来ております。

今回はその『人の救い』の第10回目です。


人の救い - 牧師の書斎

2023.10.1~8 The 2nd Celebrate Sukkot

●「問い合わせ」はこちらから⇒

『御国において受けるべき報い』

マタイの福音書25章は御国において「報い」が与えられる話がまとめられています。

【新改訳2017】

マタイの福音書25章15~16, 21節


15

彼はそれぞれその能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。するとすぐに、


16

五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。


21

主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

主は私たちを贖われるだけでなく、それぞれに与えられた賜物を活かして用いた者に対して、報いを与えることを教えています。

その報いは御国において与えられるものです。

「あつまれ どうぶつの森」「マインクラフト」というゲームソフトがあります。

私はそのゲームのことを思い、そのゲームをする資格があるのは、主から与えられた賜物を十分に活かした「良い忠実なしもべ」こそふさわしいと思いながら聞いていました。

罪のからだには制限があります。

しかし旧約には、主に贖われた者を「正しい者」として祝福している預言のことばがあります。

【新改訳2017】
詩篇92篇12~14節


12

正しい者は なつめ椰子の木のように萌え出で レバノンの杉のように育ちます。


13

彼らは【主】の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。


14

彼らは年老いてもなお 実を実らせ 青々と
(新改訳改訂第三版は「みずみずしく」)生い茂ります。

「正しい者」とは「神の大庭に植えられた者」のことです。

「植えられた」とは自然にそこに芽を出して育ったということではなく、神によって移植されて、神の庭で神によって育てられたことを意味します。つまり、「神によって贖われた者」を指しています。

彼らは「年老いてもなお」とありますから、年老いてからではなく、そこに至るまでの過程においても、多くの「実を実らせ、青々と生い茂っている」ことが可能ということになります。

これは主に対して、「自分に与えられた賜物を十分に活かしてそれを用いた者」のことです。

そのためには「からだ」を用いる必要がありますが、その「からだ」も神の賜物と言えのではないでしょうか。

今や、世界の中でも未曽有と言われる超高齢化社会に日本は向かっています。そうした社会の中で、「彼らは年老いてもなお 実を実らせ 青々と生い茂ります」と言える神の祝福を得て、あかしする必要があります。


「年老いてもなお」とあるように、そのためにはそれ以前からの準備が必要であることを思わせられます。

クリスチャン精神科医の柏木哲夫氏は「人は生きてきたように、死んでいく」と述べていますが、多くの方々の死を看取ってきた柏木氏だけに、その言葉には重みがあります。

この詩篇から「なつめ椰子プランニング」を受け取りましょう。

20~50代は専心して主に仕えることが難しい期間です。

仕事や結婚、子育てをしなければならないので、専心して主に仕えることは無理です。

しかし50代の後半からは、その後の人生を再度選び取る時期です。

それまでのタイヤを履き替えて(リ・タイヤして)、自分のからだと多くの時間を主に献げることが可能となってくるのです。

主に贖われた者として、「彼らは年老いてもなお 実を実らせ 青々と生い茂ります」という祝福が備えられていると信じます。

みことばがそのように語っているからです。


ベアハリート(最後に)

「人の救い」とは、私たちの「霊」から始まり、それによって「たましい」が造り変えられ、最終的にはキリストの再臨によって朽ちることのない「からだ」へと変貌することです。

しかも主のみわざはすでに私たちのただ中に始まっているのです。

しかしいまだ完成はしていません。
永遠の未完成、ここに主なる神とともに歩く人生冥利がわたしたち神の民にはあります。

その狭間の中で私たちは主が来られることを待ち望みつつ、今は「霊を活用して、霊の中に生きること」を存分に楽しんで行きたいものです。

三一の神の霊が私たちの霊とともにおられます。

『老い行けよ我(神)とともに、最善はこれからだ。』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?