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片手、片足、ピットブル(1)

 友人にNobleという人がいる。尊いとか高尚という意味。本当の名前。彼には右腕が肩のあたりからなく、右足も半分くらい無い。若い頃、列車に轢かれて失ったのだ。

 私が当時、ボーイフレンドだったアルゴからノブ(Nobleなので私はノブと呼んでいる)を紹介されたのは、付き合い始めて1年くらいした時のことだったと思う。正直。初めて会った時はびっくりした。だって、名前は聞いていた。いつも一緒に騒動を起こす人。つい数日前に、バーをぶっ潰したと聞いていたから。私はノブに手足がないことを知らなかった。ノブは、車いすに座りつつ、横に大きなピットブルを従えていた。車椅子は当時の彼女が押していた。

 半分、手足ないのに喧嘩常勝、てか常に騒動の元とは?!意味がわからない。アルゴとノブは更生施設で知り合いったという(アルゴが更生施設に送られた経緯はこちら)当時の二人とも恐ろしく喧嘩っぱやく、狂犬のような人たちだった。ノブとアルゴ、どちらが先にジェイルにいくか、死ぬかと言われるほどにやたらと騒動を起こしていた。

 ノブは片腕、片足、車いすだというのに喧嘩に負けることがなかった。いつも傍らには美人のガールフレンドを連れていて、ガールフレンド(友達ではなく、彼女的な)が2人、3人の時もあれば、1人の人が1年近くいることもあった。すぐにキレる、そうなると手が付けられないという点を除いてはとてもやさしく、アルゴとはよく一緒に音楽を作っていた。

 ノブが手足を失ったのは、酔っ払っている時に線路に降りた友人を助けたから。そもそもなんで泥酔しているときに線路のあたりをフラフラしていたのかは謎だけれど。線路側に転んでしまった友人を引き上げていたら、列車が来て轢かれたのだといった。

『生きてるのが奇跡って言われたわ~』と当時のことを振り返ってノブはよく笑う。そうは言うものの、彼には近くに身内と呼べる人がいなかったので、事故の後から普通の生活に戻るにはずいぶん、時間がかかったらしい。体はもちろん心も。そしてかばった友人は、事故現場から消えたきり、音沙汰がなかったという。『多分、責任とりたくないからじゃん?そりゃやだよ、責任とれとか俺が言ったらさ~』とノブは笑って言っていたけど、そんな阿呆な話があっていいものかと私は憤慨した。が、私が憤慨したところで何がおこるわけもなく。まぁ昔のことだよと言ってノブは私をなだめた。

 たびたび書いているのだけど。私は奇跡とか運命をあんまり信じてはいない。でも「何か」はあるんだろうなと思う。ノブの話もそんな感じである。そもそも、生きていることが奇跡、事故・手術の後、目覚めたことが奇跡。何年ものリハビリをして自分ひとりで暮らしているのも奇跡だし、ついでに言えば、そんな体で喧嘩して相手をブチのめせるのもまた奇跡。奇跡三昧な人生なのである。

 ある日、うちでごはんを食べ、飲んだことがあった。しこたま飲んで、アルゴは潰れて先に寝てしまっていた。二人残されたリビングで彼はぽつり、ぽつりといろんなことを話してくれた。

『正直、目が覚めた時、なんで生き延びたんだろうと思ったよ。俺はまだ10代で、身内もいなけりゃ、金もなくて。そんな中で腕と足、失ってどうすんだよって。奇跡とか病院の奴らは言ったけど、奇跡ってだけじゃ生きていけないじゃん。どうやって生きていけってんだと思った。なんで俺が?助けたあいつはどうなった?どこいった?ってそんな風に思ったらさ、俺の中の怒りが、ぐるぐる渦巻いて、そこいらにいる奴ら、すべてをぶっ殺したかったし、ぶちのめしたんだ。んで、その時はスッとしても、それからくるのはどうしようもない自己嫌悪。そして、またなんで俺だけってネガティブな渦。悪循環だよね。今もそう』

 Vicious Cycleだ、と吐き捨てるように言った。凶悪なサイクル、とにかくひどいサイクル。どうしようもない悪循環の時に使う。

『ホントはさ、度を超すまで飲んだりしたくないんだけど。飲んでなきゃやってらんねぇわけよ。喧嘩もそう。まぁ、クスリやんないだけマシかな?それだって、単にこの体との兼ね合いがあるからやんないってだけでさ。クスリやって死ぬのはごめんだからな。女っていうか、彼女はさぁ、まぁその時、その時、いろんな慰めをくれるけど、でも俺はアルゴみたいに、一人だけって決めるつもりはまだないし、事故のことがあってから、人を信じるのが怖いからさ。いや、アンタとアルゴは別としても、俺は人が怖くなったんだよ。ほら、俺、今より若いころ、親にも捨てられてるしさ。こんな話すんのも初めて……いや、うん、クソカウンセラーには話したけど。あいつはちっとも役に立たなかった。アンタ、心理学とか勉強してんだろ?だからかな、話せるの』

 当時、私は院で心理学を勉強していたが、プロではない。だから、いやいや、酔っ払い同士の徒然話、そういうのも大事なんじゃん?と答えた。「それにさ、多分、ノブにとって私はあなたの過去とか知らない、こう……他人っていうか、関りが薄いっていうか、いや、友達なんだよ?でも私、ほら、外国人だし、いろいろしがらみないから話せるんじゃん?いろいろ知ってる人よりさ、なんも知らん人とのほうが話やすいってあるし、あと、ガス抜きっていうか、言いたいな、話したいなと思ったときに話せるんならそれがいいんだと思うよ」と言った。

 同時に、ノブの話は、もっともな話だと思った。どんな事情かは知らないが、ノブは幼いころに両親に捨てられている。いろんな場所で育って、いわゆる『たらいまわし』といやつ。そうするうちに生き延びるためにどんなことでもしなくちゃならなくて、結果、更生施設に送られて、そのあと、友人をかばったらその人は連絡不明になる。彼が手足を失ったのを放置して。それで人を信じろとか、奇跡を喜べって言われても無理だと思う。私には無理。

『んでもさぁ、ほら、こいつに会ったんだよね。こいつがいるから、餌代を稼いだりとかさ、頑張んなきゃじゃん。俺、犬なんて飼ったことなかったけど、こいつがいてくれてなんか色々救われた気ぃする』 

 そういって、ノブの足元でくぅくぅと寝ていた大きなピットブルを撫でた。チャッキーと名付けられていたその犬はいつだってノブと一緒にいた。子犬の頃に譲り受けたのだという。その時、私たちは犬を飼っていなかったし、もちろん、セラピードッグなんて言葉すら知らなかったから、チャッキーがノブにとってどれほど大きな存在なのかわからなかった(今ならもちろんわかるけど)

『今日はさ、ごはん作ってくれてありがとね。俺、きっと今日の夕飯のこと、一生忘れないと思うよ。誰かが俺のためにごはん作ってくれたのって初めてだったからさ。んじゃ、もう帰るね』

 泊まっていけば?という私の言葉にノブは首を振った。こいつが、自分のベッドじゃないとちゃんと眠れないからさ、とそういって。私は一人残されたリビングで考えていた。

 私にとって『ごはんを作る』行為は当たり前のことで。幼い頃から、ごはんは母によって私たちのために作られていたし、少し大きくなってから、私は家族にご飯を作るようになって、アルゴと暮らし始めてからもそれは続いていた。そもそも『おうちで食べるごはん』というものに特に思いをはせたりだとか、ありがたがったりだとかしたことがなかったから、ノブの言った言葉が、ぐるぐると頭を回っていた。

 ノブをかわいそうがったりしたわけではない。同情とか、憐憫とかではなかった。ただ、ただ驚いていた。そもそもこんな風にノブが身の上話をすること自体が驚きだった。アルゴも幼い頃、いろいろなことがあって、どうしようもないモヤモヤとか、怒りの衝動を抑えられないんんだというようなことを言っていて、そうか、ノブとアルゴの波長があうのも、言葉にできないもやもやとか衝動を共有できるからなのかな、とぼんやりと思った。その夜のことは、翌朝になって起きてきたアルゴにも話したけど、アルゴも知らないことがあったみたいで、驚いていた。

 そして、その夜から数週間後、ノブは唐突によその州に引っ越していって、しばらく会うことはなかった。

(その2に続く)

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