キュアラブリーについて(ハピネスチャージプリキュアを観終えて)

  ※ハピネスチャージプリキュアの感想記事としていたのですが、内容はほとんどラブリーのみへの言及となってしまいました。2週目をした際に全体感想は書くと思います。

 「この胸に愛がある限りこのキュアラブリーは無敵なんだから」
(―――ハピネスチャージプリキュア! オープニングより)

 全話観終わったとき、この台詞の印象がガラっと変わりました。確かにラブリーって通常戦闘ではほとんどピンチにはならず、戦闘的な弱さは感じさせないんですよね。代わりに強調してきたのは彼女の精神的な歪み。前半では彼女は本当の意味での愛を知らないとまで描かれています。ラブリーが“無敵”なのは、めぐみが愛を知ってから。それまでの彼女はプリキュアであり続けることでしか、存在意義を満たせない。プリキュア活動をしていくに辺り、決して“無敵”ではないめぐみが自分自身は”無敵”だと言い聞かせている台詞に感じられます。序盤では彼女の強がりと言っても良いと思いました。

 「お前、人助けも良いけど、自分のことも考えろよな」

 (―――ハピネスチャージプリキュア! 1話 相良誠司より)

 1話の時点から既に誠司に指摘されていますが、めぐみの幸せハピネスは、愛は、めぐみ本人を含めて考えていないんですよね。「みんなの幸せは私の幸せ」彼女自身の幸せはどうでも良い。自己犠牲ってヒーロー物としては王道ですし、物語として非常に綺麗なんですよ。実際、彼女の自己犠牲の精神性があったからこそ、ひめの成長、いおなとひめの不和への問題解決にも繋がりました。

 「小さいころから病気がちなお母さん。ありがとうって言われるのが嬉しくなってきて、嬉しくなってきて、どんどん人助けをするようになったんだよね。」
(―――ハピネスチャージプリキュア! 30話 アンラブリーより)

 ただ、彼女の精神性はある種呪いとして描かれている。父親は普段は離れて暮らしており、めぐみは幼少期から病弱な母親を助ける……頼られることでのみ……一方通行と言いますか、与える喜びしか知らず、与えられる喜びを知らない。さらにめぐみはひたすら頑張っても平均以下の能力しかない女子中学生と設定されており、そんな彼女では自己を犠牲にせずには到底成しえない救世主願望を持たされている。

 作品自体、日常のキャラクターの挙動や言動はかなりデフォルメされているし、前半の展開の王道さで、この呪いを覆い隠しているのですが、後半はめぐみ自身の負の感情と共に彼女の歪みを容赦なく彼女に突き付ける。自己犠牲は尊い、だが、”自身の幸福すら掴めないヒーロー”がもたらす平和に価値はあるのか?この物語はそれを逃げずに真正面から受け止めます。

 めぐみの恋愛描写はここで生きてきます。

 今まで“他者の幸せのみ”に幸せを感じていたのが、ブルーに対する恋慕から始まり、失恋を経て、そうしてようやっと“自分の幸せも掴みたい”に繋がっていく。自己犠牲の精神性を前半で描き切ったのがこの物語での綺麗さであり、それをさらにより強い精神性……“めぐみを含めたみんな幸せハピネス”で否定するのが物語の本旨とも言えます。

 そしてこの作品の凄みは、“その程度”でこの物語を終わらせないことにあります。

 めぐみは“一人だけで”何かをすることにかなり危うい存在として描かれており、33話「わたしもなりたい!めぐみのイノセントさがし!」が象徴的ですが、この回ではまみへのめぐみの手伝いは、手伝いにならずむしろ邪魔をしている存在として描かれている。近々の個別回で他のプリキュアはイノセントに変身出来たのに対し、めぐみはイノセントにはなれない。(これは36話「愛がいっぱい! めぐみのイノセントバースデー!の誕生日会」では色々な人に支えられていることを強調された回でやっとイノセントへ変身しているのが対比として効いています)

 思うに33話などの彼女の問題点が、これまでさほど表面化してこなかったのはひとえに支えてくれる人たちの存在があったからこそ。その中でもめぐみを最も支えてきたのは誰か?……そう、誠司です。彼はめぐみのサポートとしてしつこいまでに描かれており、物語が始まる前まで考えると、めぐみは誠司がいないと破綻することが容易に想像でき、めぐみは誠司へのある種の依存をしているのがわかります。

 物語はこれを見逃さずに、誠司を敵としてめぐみに突き付けてきます。

 これにより、めぐみは今まで“無自覚に”誠司に頼ってきたことを認識し、彼の負の感情も受け止める。誠司への依存の解消……それは“仲間に頼らない”でも“仲間に依存する”でもなく、仲間に正しく頼ることの重要性をしっかりと認識した上で、“対等に共に歩く”。物語はめぐみの“精神的な歪みの解消”だけでなく、さらにその先の未来を示す。そんな成長を遂げています。

 その心身の成長を経た……決して無敵ではなかった(愛もわからないと評された)彼女が自己を振り返り、自己を肯定し、さらに仲間に頼ることの重要性を認識したからこそ、最終決戦では人々の信頼、未来への希望……愛を一身に受け取れる奇跡の担い手、フォーエバーラブリーとなれる。憎しみに包まれた神という絶対的な存在であっても、“本当の無敵”になった彼女だからこそ愛で包み込める。

 この彼女の成長を描き切ったのが「ハピネスチャージプリキュア!」という作品であり、戦いが終わったエピローグでめぐみは誠司に依存するではなく、対等な関係となる。彼女らの物語として見た時、作品としてのエピローグたる49話後半までがプロローグで、むしろ物語はここからとも言える。あえて繰り返しになりますが、

 「この胸に愛がある限りこのキュアラブリーは無敵なんだから」
(―――ハピネスチャージプリキュア! オープニングより)

 めぐみは終盤になってようやっとこの台詞を証明する。それが何よりの成長の証であるし、この物語はそれを印象深く破綻なく見事に纏め上げてきた。

 なんとも凄みを感じる作品でした。


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