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歴史の本を読んでツッコむ(中世ヨーロッパ時代)、そして感謝する。

テレビで20年位前だろうか?と思えるようなドラマが流れているのをたまたま目撃するようなとき、画面の中に置いてあるテレビを見て、思わず、
「ぶ厚っ!」と口にしてしまうようなことがあると思う。(個人的にはホームプロジェクターが買えるなら、別にテレビ画面がなくてもいいのでは
と思う今日この頃なのだけど。)
或いは、「あぁ、この頃は携帯電話がなかったのか~、早く連絡すればいいのに、もどかしいなぁ!」と思うようなこととか。自分も子供の頃、確かにその時代を経験していた。‘母親の携帯’でメールを使うようになったのが、小学生の終わりか中学生になった頃だったと思う。だけど、今は携帯電話は当たり前だしスマートフォンになっていて、インターネットで動画を観るのはもちろん普通、まるでそれらのものがなかった時代が‘なかった’みたいな感覚だ。

けれどもどういうわけか、自分で車を運転していて、その中で好きな音楽を聴けることがいかに幸せか~、みたいなことに想いを馳せることがある。 歴史の流れみたいなものを少しでもかじって、経緯を
知った後にそうなる気がする。


最近テキストで美術史を勉強しようと思い、その背景をちょっと補うのに図書館で本を借りるようになった。学者になるわけでもなくなれることもないので、流し読みしながら目について興味のあるところを少しゆっくり読む、ぐらいの感じで進める。

今いるのが中世ヨーロッパなのだけれど(おそらくちょっと行った気になっている)、大真面目で、しかもまぁまぁ詳しく書いてある歴史の書物(※参考 『15のテーマで学ぶ 中世ヨーロッパ史』編著:堀越宏一/甚野尚志 ミネルヴァ書房 2013)を読んでいて起こる現象として、

心の中でツッコミを入れる、そしてなぜか笑えてくる、

というのがある。

たぶんツッコミどころと関心のしどころは人それぞれ違うのだろうけれど、今は当たり前のことが、当時はどうしても当たり前でなく、しかもその発展が当時としてはいかに偉大だったかと言われると、何とも言えない可笑しさが込み上げてくる。
そういう歴史のレンガの積み重ねの土台の恩恵に与っているくせに、自分で自分の可笑しさを笑っているみたいだ。


ここで、中世ヨーロッパの私的なツッコミどころを整理してピックアップしておく。


①あぶみがないから、とりあえず馬から降りる

中世ヨーロッパの時代は7世紀頃まで、馬に跨がったときに足をかける、あぶみがなかった。どうやら8世紀頃、遊牧民の遠征や侵略を受けてそれが伝わってきたようだ。それまでの戦いでは、馬というのは戦場までの移動手段に過ぎず、古代ギリシャやローマ時代から、目的地についたら馬を降りて、歩兵として戦うのが一般的だった。

私的に映像として想像するとかなり面白いのだが、身体を鍛えて士気盛んな人たちが、大群となって馬に乗って鼻息を荒しながら現地に行く。パカパッ、パカパッ、パカパッ。

qヒヒーン。

現地についたら一旦止まって、全員馬から降りる。...笑


あぶみが伝わってからわざわざ馬から降りなくてもよくなり、馬から矢を放てるようになり、馬に乗ったまま槍を持てるようになったそうな。(槍の形状をみるとかなり恐ろしいけれど。)


戦わないのが一番よいと思う。

次、


②洋服のボタンが発明されていない(え?)しかし、服の袖を手首にフィットさせたいので、しばしば糸と針を持ち歩く生活。

どうしても、思わず「え?笑」とツッコミたくなるのだが、ボタンだって最初からあったわけじゃない。

12世紀末に商工業の発展から旅の機会が増え、より簡便な服装が求められたことにより、袖を縫ってフィットさせていた、ということである。脱ぐときはそれを一回ずつ解いて、着るたびに縫い合わせていたそうな。...朝何時に起きればいいの?

14世紀中半にコタルディという、前中央が沢山のボタンで閉じられた、前開きの上着が発明されていたそうな。ほほう。

ボタン!


次、


③窓からう◯ちを投げるときは、「御注意」と叫ぶこと。(え?笑)

水洗トイレ、ないもんね~。これが当たった日には、その日一日、最悪の気分で過ごさなければならなかったことは想像に難くない。実際にそういう目にあった人は必ずいたはず。
これは13~14世紀のパリのルール。他の都市でも同じようなルールがあったり、ゴミや廃水、悪臭には多くの都市が頭を悩ませていた。

「たとえ禁じられても、住民は道端や広場にゴミを放置した。市中を流れる水路や運河、排水溝、川にもゴミが投棄された。」※p178


④「15世紀、北フランスのルーアンでは、都市を守るはずの堀がゴミで埋まって役に立たないという事態が生じた。」※p178


と、わたしの読んだ本(※上記の参考本)には書かれている。当時の状況は、本当に深刻だったのだろう。著者はもちろん、事実であろう事柄を真面目に記しているのだが、それが妙にわたしの笑いを誘う。皮肉すぎて、ちょっとお腹が痛い。そして考えてしまうのだが、その埋まってしまった堀は、人を寄せ付けないという意味では堀の役割を果たしているかどうか。


しかしながら、そのような劣悪な環境において、都市での人々の死亡率は高い。今でもそれに近い場所があることを思うと、これは本当に笑いごとではないということが、本当に文章を理解したときに理解できる気がする。


次、

⑤本にページ番号を振って、分かりやすくしておいたよ、的な雰囲気を醸し出している。

当たり前やがな。と言いたくなるところなのだが、このページ番号(ここでローマ数字ではなく、アラビア数字1、2、3...を導入するようになった)のような発明は、12世紀ルネサンスと呼ばれる時代において、大学という学びの場が出現してきたことが大きな要因になっている。書物は多くの学生が必要とするようになるにあたり、それまでより効率的に取り扱えることが重要となった。
当時は写本が普通なので(元にあったものを自分で書き写す。しかもそれまでは原型を留めることに重きをおいておらず、その時々でどんどん書き換えることが一般的だった。え?笑)
大学のテキストにおいては保管されているものを借りて書き写す。

そこで、

⑥「書籍商が授業のテクストとなる写本を一冊丸ごとにではなく、数十冊の分冊に分けて学生に賃貸する方法である。」※p290 ペキアと呼ばれるシステムが生まれた。

これがあたかも画期的な発明であるかのように書かれているが、そもそもの識字率が低く、書物というものを扱える人が限られている時代においては画期的なのだ。

わたしはこの部分を読んだとき、好きだったために比較的真面目に授業を聴いていた、高校時代の世界史の授業を思い出した。確かに彼女は(真夏の暑い日に、窓から入ってきたオモチャみたいに大きなスズメバチを、話をしながら顔色一つ変えずにレジュメですくって追い出すような先生だった。)熱心にこの部分を説明していた。なぜそれが説明されていたことをありありと思い出したのか。当時も全く同じことを思ったからだ。

...これのどこが凄いんだ?

人々の常識や環境が今とは全く違う時代。多くの人たちは、文字がかかれた書物にも辿り着いていなかった。それが一部の人たちにも、少しずつ開かれはじめた時代だった。何だか笑えてくるというより、ちょっとずつ泣けてくる。

ところで、このぺキアというシステムは、利用するにあたってはもちろんお金がかかる。当時のほとんどの大学において、「ゆえに法学部、神学部などの高次の学部で学ぶことは、学生に金銭的な負担を強いるものとなったのである。」※p291

これに関して、笑えるという感情は全く沸いてこない。
遠い昔のお話ではないからだろう。

最後に音楽について。
音楽の専門的なことに関しては、わたしにはほとんど分からない。
しかしながら、今のように気軽に、比較的誰でも、しかもクラシックもジャズも、ロックもポップスもグレゴリオ聖歌も(←聴いたことがないけど)、聴こうと思えば聴けるような時代は、なかったわけである。

音楽を聴くこと自体が喜びだ、という人も多いと思う。(わたしもその一人。)中世のヨーロッパからは離れるけれども、オーケストラだって、本当に着飾った一部の人たちしか聴けない時代があったはずだ。多くの人は音楽のことなんか忘れて、その日の生活のために、ただ必死に働くだけということが、今よりももっと沢山あったはずだ。(今でもあるし、時には何かを口ずさんだかもしれないけれど。)


話を戻し、中世ヨーロッパはキリスト教の時代だ。
これはあくまで彼の意見ではあるが(これが書き換えられていなければ)、4~5世紀の教父アウグスティヌスは、

⑦音楽を楽しんだら、罪だと思っている。教会で歌をうたう際、罪を犯したことにならないように、言い訳がクソ長い。(失礼)けれども彼は大真面目である。


...「私は快楽の危険と救済をもたらす経験の間で動揺している。しかしどちらかといえば、教会での歌唱を認めたいと思う。それは耳の楽しみを通じて、弱い精神の持ち主に敬虔の情をおこさせるためである。しかし歌われている内容より歌そのものに心が動かされるようならば、私は罪を犯したと告白する。」※p322

ははぁ。
可哀想なアウグスティヌス。

これに従うと、ニルヴァーナを聴いて頭を振ったり、ビオラの音に聞き入ってうっとりしたり、エミネムの高速すぎるラップを聴いてドーパミンを出したりすると、刑務所に収監される。
テレビのワンワンをみてダンスを踊っている子どもたちは、しょっちゅう叱られることだろう。(だってワンワンがいけない。)

でも今はそんなこと誰も聞いていないのだ、21世紀だし。
彼らに想いを馳せて、もっと学んで、感謝して、幸せになるべきだ。

ざっとだけど、この本面白かったなぁ。


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