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日々徒然:大江千里さん&ヨーダと共に歩こう

最近、本当に50代(多分その前後含む)移行の生き方について考えさせられる。「ひと昔前なら既にお迎えが来ていたよ。おお、お隣の◯◯さんは姿が見えないねぇ、病らしいよ・・・」みたいに。昨今、人生100年とか言われ「長くない?そんなに生きないでいいよっ。」とか本音がポロリ出てしまう。「私だけぇ?何これぇ?」と思っていたけれど、Youtubeで「50代・・・」で検索すると出てくる、出てくる。諸先輩方の苦悩、乗り越え方、智慧の数々。

みんな悩んでんだな。更年期と同じか。青春を通りすぎたように、青春2週目みたいな年頃なのか。「そっか・・・、ちぇっ。」と妙に納得してみたり。(→自分だけ辛いんだわぁとドラマチックに妄想していた。苦笑)

ということで、青春時代からの我がアイドル&敬愛する心の師匠大江千里さんのライブをみたり、昔のYouTube見たり、記事をひっくり返してみたり。ふむ。この、、、多分、母親世代が「ジュリー♪」と言って沢田研二さんを追いかけるのとも違く、「蘭ちゃ~ん♪」と紅白でおじさんになったしゃがれ声で伊藤蘭さんを応援するのとも違う、私や私たちが大江千里というアーティストに見ている何とも言えぬ、独特に広がる深淵な世界はなんだろう

(Before)

https://toyokeizai.net/articles/-/206780

(Now)
大江千里と小室哲哉にみる100年人生時代の生き方

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/556d4a09bbcf8b42952d8406457acb988f7b7de4
大江千里、47歳で始めた僕の「ライフ・シフト」

新年特別インタビュー
https://youtu.be/OoMx_VDnqno?si=w7CCqmSJuzaceZPW

世界観の中身もさることながら、人生のデザインの仕方伝え方(体現の仕方)かなぁと・・・友人と話していて思った。

その友人はおじい様の代から教師の家で「教える」ということが尊く感じ、教えたい、伝えたい、気づいて欲しいと思っていると教えてくれた。「なるほど、私にはない感覚だな」と思った。私が知っていることを聞かれたらお伝えするのは喜んでするけど「はい、みなさん、聞いてください」と語りたいという欲求がない。自伝とか、人生マニュアルとか書いちゃう?いや、違う。それよりも、生きて生活している中で、周囲の人が、何かを私から感じてくれたり、もしかして万が一にも「こんな風な大人になってみるのも悪くない」「いいね、このおばちゃん!」とか、思ってくれる人が一人でもいたら、もう人生、特大花丸◎なんじゃないかという考えに至った次第。

そういう意味で考えると、人生の生き様の表現として大江千里さんは改めてすごいなぁと思ったりする。ある意味すごい普通で、柔軟で、人としてまるごとクリエイティブというか、人生デザイン能力に長けているというか。ご自分でいろんな葛藤も、世の中がびっくりするようなチェンジに挑み、そりゃあ昔より疲れちゃうよ!な肉体もかわいがりながら、ある意味「ある男の生き様(その男は音楽屋編)」を見せてくれている。出力方法が音楽なので、一般の人と違うように見えるかもしれないけど、違くないよ、同じだよ。

よく人間関係が行き詰まるとき「相手のことが好きだなと感じられる距離まで離れなさい」っていうのに似てて、自分の事で行き詰まったら、50代どうするんねん!と思ったら、「自分自身を好きになれるまで、休んだり、学んだり、好きなことしなさい」って事なのかなぁと。最近のリスキリングみたいな、新しい事学ばないといけませんプレッシャーでなくて(💦)、「もういっぱい宝物持っているじゃん。ひとつづつ思い出してごらん。」みたいな感じかなぁ。「今日まで数々のドラマを生き抜いてきたじゃん、結構、生きる知恵袋だよ=ある意味その世界のヨーダだよ」みたいな感じかなぁ。

千里さんが、自分を諦めたりしない姿
ねえ、自分、次何する?と面白がれる姿
まぁ、散歩してから考えよっかとあったかく期待する姿
これって自分への「愛」なんだよなぁ。きっと。

自分への愛

そんなことをつらつら書いていたら、ヨーダのことを書くスペースがなくなった・・・。ヨーダは「自分のフォースに戻ること」を教えてくれる心の師匠です。

毎日毎日、自分に戻って、ご飯食べて、楽しんで、寝て。
また歩きだす。そんな感じかなぁ。とりあえずお茶でも飲むとしよう。