洗濯も育児
「世界一幸せな洗濯」
産まれてくる我が子のための、産衣の水通しをこう呼ぶ事がある。
かれこれ5年ほど前になるが、大きな腹を抱え、わたしもその世界一幸せな洗濯をした。
真夏の日差しの下、清潔な輝きをまとい風に揺れる産衣は、それはそれは小さくて、包まれる赤ん坊はどれだけ小さいものなのかとドキドキした。
そして産まれてきた我が子は、その産衣ですらぶかぶかで、たやすく壊れてしまいそうな儚さと弱々しさ、そして何より尊さに、わたしの胸は小さく震えた。この生き物をわたしが守らねばと思った。
そんな不安をよそに、赤ん坊はすくすくと成長していく。ぶかぶかだったはずの服の袖が、むちむちの手首に食い込む様は、まさに幸せの象徴だった。
月日の流れと共に、服のサイズも形も変わっていく。
慌ただしく洗濯物を干していると、当たり前に大きくなっていく衣類に何だかジンとした。最近ではそこに、パンツ、制服、体操服、…気付けば大人用ハンガーに干せるものも出てきた。
成長してんだな。
物干し竿に整列した洗濯物を見ながら、わたしの胸はまた小さく震える。
毎日毎日、うんざりする家事の中にも、子育ての喜びが隠れている。
それを見つけられたとき、自分のことが少しすきになれる。
一方の夫は、父親歴も5年近いのに、子ども服の着せ替えはいつまで経っても難儀らしい。
いまだに、裏表反対に着せたり(まぁ外付けタグがトラップだわな)、前後ろ反対に着せたり(いやどう見ても苦しそう)、重ね着の順が逆だったり(いやだからどう見ても苦しそう)、いい加減にせぇ。
彼本人は、間違ったアハハ、という調子だし責めるつもりも無いが、その辺は成長して頂きたいと、切に願う。
我が子に服を着させる時期なんて、たかがしれている(多分)。
でも洗濯は、結構、途方もなく続いていくのだろう。うんざりするが、それも楽しみな、わたしの特権。
汚れ物、それからポケットに恐ろしい爆弾を抱えたまま、なんてことは本当に嫌だけどさ。
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