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使わない事を祈る「備え」

1月2日、急遽防災グッズの見直しをした。

理由は言わずもがな。非常持ち出し用のスーツケースを引っ張り出す。
子どもが成長すると、必要なものも変わってくる。哺乳瓶と液体ミルクは取り出し、衣類はサイズの違うものと入れ替えた。長期保存水の消費期限が迫っていたので買い直さねばならない。この水を使わずに済んだ、5年の歳月を思った。

熊本地震を思い出す。当時わたしは、愛知で一人暮らしをしていた。熊本の実家は被災し、全壊。ニュースを見た時の、血の気が引く、という感覚は思い出したくもない。

地震からおよそ1ヶ月後、被害の実情を自分の目で見たときの衝撃は凄まじかった。
隣家は、一階があるべき場所に二階があった。一階部は完全に押し潰されたのだ。古い造りの家は、軒並みそんな潰れ方をしていた。

わたしの実家には、家の中心にあたる箇所に、子どもが両手でかかえても手を回しきらないくらい、太い柱があった。それは砂壁に埋め込まれている状態で半身しか見えないのだが、ニス塗りでテカテカ光る姿はなかなか立派だった。

子どもの頃、営業マンのおっさんが、玄関にそびえるその柱を見て冗談混じりに
こがん太か柱があれば、地震がきたっちゃ大丈夫でしょうね
と言った。そして、事実そうなった。

「太か柱」によって、実家は形こそ保たれていたものの、壁という壁は崩れ落ち、筒抜けの廃墟と化していた。

地震当時、その場にいたのは両親、長弟、妹、祖父、愛犬。長弟は、凄じい揺れと轟音に飛び起き、その瞬間真っ先に
あぁ誰か死んだ
と思ったらしい。

命からがら家を飛び出した家族は、奇跡的に全員無事で、真夜中の暗闇の中、恐怖に震えた。この時、「俺はここで死ぬ」と言い張る祖父を必死に担ぎ出した父、震えて動けない愛犬を連れ出した長弟、など色々なエピソードがある。

これらの話は、わたしが熊本に来てから、彼らがそれぞれ口にものだ。1ヶ月が経ってようやく、当時の互いの思いを知ったらしい。それまで、話したくもなかったのだ。

以来、わたしの防災意識は変わった。そして子どもを持つ身となり、更にその意識は高まった。
非常持ち出しグッズの用意、車のガソリンは常に余裕を持つ、夫の携帯電話番号を覚える、etc..

大多数の人間が、当事者にならないと意識しないのだ。わたしもそうだった。
特にわたしはこれまでの人生経験から、非常時に自分がいかに使い物にならない人間か思い知っている。
だからこそ備えねばならないのだ、形式的にも、精神的にも。守らねばならないものがあるのだから。

詰め直したスーツケースは、夫と相談して、わたしの車に積むことにした。そうすると、また新たな心配が生まれてしまい「非常持ち出しサブバッグ」まで作って、これは自宅の棚に置いた。

やればやるほど、こころが落ち着かなくなってくる。

後日、長期保存水の買い替えに行った。特に子どもは、非常時ほど当たり前の癒しを欲すると聞くから(子どもに限らず当たり前か)、保存食として菓子類も買い足した。

これでよし。水をスーツケースにしまいながら、自分が、…言葉を選ばず言うと、どこか浮き足立っているのにも気づいていた。
遠足か、夜逃げの支度をしているわけじゃあるまいし、鼻息荒く非常グッズを揃えている自分の姿が、どこか滑稽だと感じていた。

でも、仕方ないと思う。だって、心の中では思っているのだ。使わない、と。
祈りではない。そんな事起こらない、とたかを括っているのだ。天変地異に遭遇するなど、夢にも思っていないのだ。

被災した人々の生活の不便さ、不衛生さなんて想像出来るはずがない。ましてや、苦しさ、恐怖、やり場のない怒り、絶望なんて…。

だからこんなに、意気込んで準備をしている。

危機感を抱いているつもりだ。でもその一方で、のうのうと構えている自分が心のどこかにいる事を自覚させられる。浅はかで愚かだと思う。こうして、形として備えている自分に満足しているだけだから。

繰り返すが、仕方ないのだ。本当の大災害を身をもって知らないのだから。知らないからこそ、自分のお気楽さを恥じつつ準備するしかない。

そんな事を考えるくらい、本当の意味でわたしは能天気だ。



欧州では「人間が自然を支配する」という思想が根底としてあるらしい。…ギリシャ神話の例がわかりやすい。森羅万象、思想などの抽象的概念も擬人化する、人間主義なのだ。

対する日本人的思考は、「自然と共存する」というものだそうだ。はるか昔から、自然に生かされてきた日本人…言い換えれば、この災害大国で幾度となく「自然に打ち負かされてきた」歴史があるからこそ生まれた思想なのだろう。

太刀打ちできない自然に、人間はひれ伏すしかない。

「諸行無常」、ともすると美的感覚や価値観として使われる印象もあるこの言葉は、繰り返される大災害により生活が不変でいられなかった日本人の、ある種の「諦め」の思いも込められているらしい。

どんなに文明が進もうと、自然の猛威に人間はなす術がないのだと、そしてこの世の全ては無常だと、思い知らされる。過去も、今も。



2年ほど前、地域の防災センターに行った。子どもが小さすぎて特に防災体験は出来なかったが、わたし自身の勉強になった。近いうちにまた機会を作りたい。

こんな事を書くと、不謹慎に感じる人もいるだろう。防災グッズを準備しているのをたらたらと駄文でアピールして何なんだコイツ、と思われるかもしれない。それならそれでいい。

わたしはインフルエンサーでも著名人でもない。能登半島地震に際し、今すぐできることは殆どない。ニュースを見て、辛く悲しくもどかしくなるだけだ。そして、平穏な生活を送っている事に、後ろめたさを感じるだけだ。

だから、これを書いた。警鐘を鳴らす、なんておこがましい事は言わない。
でも…読んだ人のうち誰かひとりでも、起こるかもしれない災害に対し備えるきっかけになれば、と思う。

そして、その備えが役に立つ日なんて未来永劫、来ない事を祈る。祈るしかない。

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