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同居人は、奇人変人、酔っ払い。

4歳と2歳の娘たちは、どこへ行くにも基本的におもちゃやぬいぐるみを持参せねばならない。
いつの間にか習慣化していたことだ。持ち歩くものには彼女らなりのトレンドがあり、その時々のお気に入りたち。
外出時はもちろん、寝室にも持ち込まねばならんらしい。

出かける前や寝かしつけの前は、彼女ら自身で持ち込みおもちゃの選抜を行う。その時間を考慮する必要があり、親としては難儀だ。我が家では通常の光景なので当たり前にルーティーンに組み込まれているが、時にアレがないコレがないと騒がれ、次の行動に進めないのは心底うんざりだ。

ある日、2歳の次女が持ち歩いていたものを見て、わたしの思考は停止した。

それは、シャンプーのノズルの部分だった。
わたしが中身を詰め替えるため分解し、乾かしていたものをいつの間にか持ってきたらしい。

大事そうにノズルを小脇に抱える次女の姿を見ていると、改めて思う。

わたし、まじでやばい奴と生活してんだな…。

昔、とある小説で読んだ一節を思い出す。

「子どもというのは酔っ払いのようなものだ。意味不明なことで笑い転げ意味不明なことにこだわる。すなわち酔っ払いと同じ、脳みそが常に揺れているのだ」

うろ覚えだが、こんな感じ。

ホラ出かけるよ何持ってくの、と声をかけると、大真面目にシャンプーのノズルを手に取る女。改めて、わたしは理解し合えない人間と生活している事実を突きつけられた気がした。愕然とした。そして脱力した。同時に、ひどく愉快な気持ちで、笑いが込み上げてきた。

酔っ払いなのだ、この人間たちは。話は通じないし訳がわからない、傍迷惑な言動。でも本人たちは何故か楽しそう。脳みそが揺れているのだ、常に。
問題は、大人と違ってこの子たちは酔いが冷めないということ。それに気づいたとき、わたしは自分で自分を褒めてやりたいと思った。こんな奇人変人、酔っ払いの世話に明け暮れているのだから。

近所に、野良なのか飼いなのか分からないトラ猫がいる。好き勝手に生活しているようだが、たっぷりとした体つきと毛並みから、どこかで可愛がられているんだろうと思う。

そいつを見つけると、娘たちは大慌てで駆け寄る。よその敷地なのでそれ以上は近づけない。先方もそれを分かっているので逃げない。

ネコー!おーい、ネコーー!

と叫びだす幼い人間たちに、トラ猫は迷惑そうな顔で一瞥をくれると、また元通り丸くなりそっぽを向く。

そんな光景を見ていると、わたしには、目の前で叫び続ける人間の「酔っ払いもどき」たちより、撫然としたあのトラ猫との方が、何か分かり合えそうな気がしてくるのである。

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