見出し画像

いにしえの卒業旅行

昔々、はるか太古の昔。
恐竜があたりを闊歩し、数多の生命が進化の途中にあった頃のことである。
短大を卒業したばかりの私は、北海道のとある田舎の街から、横浜に行こうと考えた。いわゆる卒業旅行である。
手段としては飛行機や、当時まだあった寝台特急『北斗星』でも良かったのだが、青春18きっぷを使って行くことに決めた。
働き始めたらなかなかまとまった休みも取れなくなるだろう、これは今しか出来ない旅行だと思ったのである。
無論、親が費用を出してくれるわけではなく、お金は自分で用意した。
当時の私は軽く鉄道オタク気味で、とにかく列車に乗るのが大好きだった。駅を見るのも好き。分厚い時刻表を読むのも大好きだった。
青春18きっぷは、1万円程で5日間普通列車乗り放題というもの。今は少し値段が上がっているようである。
当時は途中でホテル等に泊まらず、ひたすら普通列車(快速含む)を乗り継いで東京・横浜まで辿り着けた。今は便利な列車が減ってしまって無理らしい。新幹線の影響だろうか。

まず、普通列車でことんことんと札幌まで出た。
札幌の短大に通っていた私にとっては、いつもの見慣れた車窓である。だけど私はこの景色が好きだった。2年間ずっと窓から外を見るのが楽しかった。
いつも乗っていたのは、当時まだ走っていた赤い電車。711系。
国鉄時代からある、北海道仕様の電車である。2015年に廃止された。

2014年実家付近で撮影、結構気に入っている写真
2016年撮影、引退後岩見沢市に保存された車両
上記保存車両の中。懐かしい。よく窓際で寝てた。

当時は札幌から函館の間を、夜行快速『ミッドナイト』という列車が走っていた。
『ドリームカー』という車両があり、深くリクライニングできる座席を使うことができた。女性専用車両があったのかは忘れたが、多分あったような気がする。どうだっけ?
乗り込むと、近くの座席に座っていた若い女の子の2人連れが、
「どちらまで行かれるんですか?」
と話しかけてきた。
「乗り継いで横浜までです」
「私たちは函館まで行きます。道中よろしくお願いします」
などと会話を交わした。
今の時代はあまり無いのかもしれないが、当時はそうやって出会った人たちと話すことも少なくなかった。
しばらく旅行の話などしたが、翌日に備え、お喋りを適度に切り上げて眠りについた。
翌朝、洗面所で顔を洗ってきた女の子が麿眉になっていて、
「眉毛無いでしょ、恥ずかしい〜!」
と笑っていたのを思い出す。
夜は化粧を落としていたと思うが、眉毛だけは描いていたのだろう。
その時だけの関係ではあったが、今でも楽しい思い出である。
快速『ミッドナイト』は2002年に廃止。

1997年撮影って書いてるけど覚えていない。本当かな……場所は札幌駅だと思う。

それから、青函トンネルで青森へ。
ちなみに青函トンネルを通る在来線は、2016年に廃止になっている。
乗り継ぎが近づく度に、時刻表とにらめっこ。
うまく乗り継げないとその夜は、最悪、駅で寝る羽目になる。一応私も若い女の子だったので、それは避けたい。今は駅寝という文化は無いのかな?
もちろん可能ならホテルに泊まるが、春休みだからホテルに空きがあるかは疑問だ。
なので、遅れた場合は別料金で特急列車を利用することにしていた。
この時は遅れが生じて、確か秋田あたりから少しの区間、特急列車に乗った気がする(日本海側の路線を使うので、新幹線には乗れない)。
多少の遅れは乗り継ぎ列車も待っていてくれるけれど、それはアナウンスや巡回している車掌さんが教えてくれるので、聞き漏らさないようにしなくてはいけない。
ずっと列車に乗り続けるのに疲れて途中寝てしまったりもするのだが、乗り継ぎが近くなると自然に目が覚めるようになった。たぶんうとうとしながらも声を聴き逃さないように、無意識に耳をそばだてているのだろう。

分単位で綿密に練った旅行計画も、もうあんまり記憶はないのだが、酒田を通ったことは印象に残っている。
長い旅路、車窓からの景色も降りた駅も、何もかも新鮮で楽しかった。

当時快速『ムーンライトえちご』という、これまた夜中に走る列車があって、新潟から新宿までを結んでいた。
この列車には村上駅から乗ることができ、新潟まで自由席で、新潟から指定席だったと思う。
赤羽駅に停車した時代もあったそうで、私はたぶんその頃に乗ったのではないかな。何か用事があって、赤羽で降りたような気がする。たぶん……。
『ムーンライトえちご』も2014年から運用されていないようだ。詳しいことはわからない。

どうしてこの旅で写真を撮らなかったのかわからないが、多分フィルムが惜しかったのだろう。この旅行の写真で残っているのは、横浜で撮ったほんの数枚。それだけだ。
到着した日は、たくさん観光して、予約していたホテルに泊まった。
さすがにシャワーくらい浴びなくてはいけないし、そろそろベッドで寝ないと体が保たない。広々のびのび過ごしたらまた、翌日には列車に乗って帰るのだ。

あれから長い月日、いや、年月が経った。
横浜もあの頃とはきっと変わってしまっているのだろうし、私も変わってしまったけれど、いつかまた行きたいところのひとつである。
そして今度はたくさん写真を撮りたいな。
もう普通列車を乗り継いで行くことはできないけれど、飛行機で、フェリーで、または新幹線で、新しい思い出を作りに行きたい。



※写真はすべて私が撮ったものです(画質が良くないし、下手ですみません)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?