人生における学びとは
僕は幼少期、全く笑わない子だったらしい。
笑わなさすぎて親が不安になるくらいには笑わなかったんだって。
きっとこの世に対して冷めてたんだろうな。生まれた時から。なんとなく潜在意識の中で感じてたんだろうな。
面白くなかったんだろうな。世の中が。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
かの幕末の志士、高杉晋作が遺した句だ。
この世は面白くもなんともない、というのは本当だろうか?世の中が面白くなるのもつまらなくなるのも己の心の持ちよう次第。
そういうニュアンスの句だが、
きっとこれが俺に与えられた使命なんだろうよ。
「おぉぅ。。。またこのつまらねえ世に来ちまったぜ、まじかーーこっから数十年も生きなきゃならんのか、、ふぅ」と。きっとどの赤子よりもこの世の理不尽さ、未熟さに絶望してたんだ俺は。
「そうだ、お前が来たのは何千年経っても未熟なままの物質界だ。この過酷環境で、どう人生を面白くする?どう社会貢献する?どう生きる?どう魂を磨くんだお前は?お前の力の見せ所だぞ。」
そう神に言われたんだろうな。
僕は生まれた時から、人の気持ちを読むこと、人の雰囲気を察すること、周りの状況を読むことが得意だった。
きっと前世もそんな人だったんだろうな。だからその特性を備えたまま、この特性を活かして社会貢献するために転生してきたんだ。
そんな性格には、悪い面ももちろんあって、それはビビって自己主張ができないということ。優しすぎること。
思っていること、考えていることを表現しない。
小さい時は、ほんとに人見知りで誰かから話しかけられない限りは喋らなかった。
なんか恥ずかしかった。人と話すのが。自分を見られたり、俺のテリトリーに他人が入ってくることへの警戒心が強かった。臆病だったんだよな、いろんなことに。
母親同士で仲良くなったコミュニティが出来たりすると、その子供らも一緒に誰か同級生の家で集まって遊ぶ会なんかが催されたりとかして、家出る前はなんかみんなと会うのが怖いなみたいな。
幼稚園で特に楽しんでた記憶といったら、園内を一人でスクーターで走りまわるぐらいかな。
家族といる時はずっと楽しかったし人見知りもしなかったけど。
そして僕は人として大事なことは何かと、真面目に生きることに異常なまでの執着があった。
人が嫌がることは絶対にしなかったし、わがままも言った記憶がない。
小学校、中学校に上がると先生は「じゃあ帰ってください」と怒ることがしばしばあったけど、「本当に帰ったら怒るくせに、自分の言葉くらい責任持てよ」と先生に対して返す言葉を持っていたからね。(実際は思うだけで言えない)
人として責任のない行動、優しくない行動をとる人は年上も年下も関係なく心の中で批判した。
学校の先生は、バレンタインの日にチョコを渡すことも、もらうことも禁止する。僕はチョコをもらい、それがバレて先生に怒られたが、学校のルールよりも女の子の気持ちを尊重して先生に謝らなかった。(埒があかなかったので、とにかくダメなものはダメですと言われて、はい。と言ってその件は終わった。)
センター試験の社会の選択科目は、圧倒的に選ぶ奴のいない倫理を選択した。なんで選ぶやつがいないのかというと、倫理とは簡単に言ったら哲学だからだ。当たり前のことをわざわざ難解に言って分かりづらくしていたり、普通の人では思考が及ばない根源的な内容を抽象的かつ細かく説明する教科で、具体的に理解しづらい。
僕はそんな教科が得意だった。生き方や努力というものを哲学的な思考で考える癖が小さい時からずっとあった。
そんな感じに、僕は人格形成をしていくのであった。。。
小学校に入ると、授業が始まります。
授業中に手を挙げない人(意見の発表をしない人)がいると、全体に対して先生が突っかかってくるんだよな。
「あれ?手挙げない人は授業出てる意味ないよ〜?」
「発表しない人はなんなのかな?」と。
今考えてみたらとんでもなく性格悪いこと言ってんなって感じだけど、当時はそんな時代でした。
「やばいやばい、、俺のことだ、、、怒られてる、、」
僕は先生の言葉を聞いて率直にそう感じていました。
僕が発表できないのは、人前で発言するが怖い、人から注目を浴びるのが恥ずかしい、そういう理由でした。
でもぼくは意思力が強かった。「苦手を克服しないといけない」という、持ち前の克己心で、徐々に授業中に挙手をして発表するようになったのです。
発表をするようになって、中学に上がるころには人前でしゃべるということに慣性がついた。だが慣性がついただけで耐性はつかなかった。
みんなが発表しないから「また先生が機嫌悪くなるようなこと言うだろうな、、、しょうがない。嫌だけど俺が発表するしかないか、、トホホ」
僕の責任なんてないのに、責任感が強すぎてしょうがなく発表をしてましたよね。
それは、なんでも我慢する。よく言えば忍耐力があったということ。
中二くらいで、僕はもう先生から指名されない限りには発表しないと決めました。
中一の時の話に変わりますが、僕は苦しい部活と、人前に立つ学級委員をやらされたことなど、新しい環境への適応が大変で、ストレスで左腕一帯にぶわーっと蕁麻疹ができました。蕁麻疹になる1週間くらい前は、学校に行きたくなくて連続で休むこともしてました。
一定期間不登校になることができたら、蕁麻疹にならなかったかもしれないけど、心の弱さに勝たなければならないという、人生に対する責任感で無理して学校に行きだしたらストレスで蕁麻疹できるっていうね。最悪の事態。
気を遣いすぎ、いろんなものを感じやすいというのは時に日常生活に支障をきたすものです。
中二になってからは人前に出ることも極力無くすようにして、「学級委員やってくれないか」と先生に言われても断りました。
体力が付いて、部活にも慣れ、学校生活にも慣れてきた頃だったのですべてが順調に行きました。背もほとんどの女子を越すようになり、勉強も学年1位、運動神経抜群、しかもイケメンというハイスペ男子としての物語がここからスタートするわけです。
クラス内ポジションも確立されてきて、同世代の人にはない、持ち前の優しさ、臆病さがあったので、人から煙たがれるような行動はしないし、偉そうな自我の発露もない、誰からも好かれる存在になりました。そういった「俺のポジションは確立している」という自覚が、誰に対しても気兼ねなく喋りかけられる余裕を生み、たくさん周りの人と喋れるようになりました。
そういった感じで、人とのコミュニケーション機会を増やすことに成功して、人見知りも克服できました。
このへんから徐々にモテ始めるわけですね。
同級生が他中の女友達に「かっこいい人いない?」って聞かれて俺のこと勝手に紹介されて告白されたり、
中三の時では、
僕が塾で授業を受けていると、他中学の女子が教室の窓から僕を見にきてたことがありました。
「金田優輝って誰?どこ?」みたいに言ってるわけですよ。
高校の時には何人もの人が僕のことをかっこいいと思っている、あるいは気になってるみたいな話や、明らかな視線や雰囲気を察することもありました。
僕よりもモテる人、かっこいい人、頭がいい人、運動ができる人はそれぞれで見たらいくらでもいるだろうけど、人間としての総合力で言ったら、同い年の中で少なくとも静岡県(当時住んでた地元)でトップだろうなと当時は本気で思ってました。
だが、ぼくはそれでは飽き足らなかった上、全く楽しくない高校生活にストレスを溜めて暗黒の時代に突入してしまうわけです。
高校で新しく始めたバドミントンも全然強くならず、(バドミントン部でした)なのに夜8時くらいまで部活があり大変でした。塾も行かず、勉強も好きじゃなかったのでしてませんでした。
学校生活のほとんどを占める勉強と部活の充実度が著しく低かったんですね。
しかも僕は高校では気の合う人がいなく、特に高校のときは友達と遊んだ記憶がほとんどありません。
昼飯は、教室や食堂で食べると一人でいるのが周りに見られて恥ずかしいので、毎日体育館の裏で隠れるようにして食べてました。
高二のクラスの同窓会に3年前くらいに行った時、高校当時の俺の話になって、「金田って誰といた?」って言われましたよね。
誰とも仲良くしてなかったですからね。(今思えば、自分は周りと合わないならそういうもんだから無理して周りと仲良くしようとは思わなくてよかったのだが。)
人間関係も満足いってない、まさに暗黒の高校生活でした。
なにも頑張る気なんか起きませんでした。
それでいて、毎年うちの高校では学園祭でミスコンが開かれるのですが、
学年ごと全員にアンケートを取って上位10位がランキングとして名前が貼り出されます。
上位3位は顔写真も貼り出されて、4位から10位までは名前だけ貼り出されます。
あらかじめわかっていたこととして、友達が多い人、多くの人との距離感がなんとなく近い人ほど投票されるんですよね。全然仲良くない人、あんま知らない人には投票しないんですよね、みんな。たとえそいつのことがかっこいいと思っていても。
(俺友達いないから上位3位には入らないかもしれないなぁ、、、とはいえ、さすがに僕の名前ぐらいは貼り出されるだろう、、、上位3位は最悪選ばれなくてもね。)
結果は、
3年間、一度も、上位10位の中にも入りませんでした。
「俺の名前を書かんかこの野郎共」
もうここまできたら痺れを切らしてしまうわけです。
「なんでこの俺が人生充実してないの?」と思うわけです。
「おれはお前らとは違って、もともとメンタル激弱の臆病者が然るべき努力を積んでここまでいろんな苦手を克服してきた、しかもその結果に奢ることなく謙虚に、調子に乗ることなく生きてきたっていう過去があるすごいやつなのに、少なくともお前らよりは価値の高い存在なのに、なんで大したことない奴らが人気あるの?人生充実してんの?楽しそうに学校生活送ってんの?」
「自分の価値は低い」と周りから誤解されてる感覚がずっとあった。
中学の時は、大人からも同級生からも、先輩からも後輩からもみんなから慕われていたこの俺が??と絶望するわけです。
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以上の経験からは、自分には向いてないこともあるんだな、なんでもできるわけじゃないんだなということを身をもって知るきっかけとなりました。
そして、俺って変わり者なんだな、だから友達ができなかったんだな。そりゃ当然のことで、悪いことでもなんでもないのだと。
波長の法則で人は引き寄せ合うから、特異な波長を持ってる人が、ある一定の自分とは違う波長で満たされてるコミュニティに溶け込めるわけがないのだ。
中学の時の僕は、自分を「才色兼備という言葉を見事に体現した存在」だと、自分を異常に高く見積りすぎていたんだよな。
自分にはできないこともある、なんでもできるすごい存在なんて驕ってはいけない。だから才能のないことには手出しちゃいかん。そして自分が今いるコミュニティは自分に合っているのか。正確に判断しよう。心の声を聞けるようにしよう。そして「合っていない」と感じるなら、そこのコミュニティで好かれようとしても上手くいかないようにできてるんだから距離を取れ。
余計なストレスを抱えていたらエネルギーも時間ももったいない。自分の価値をさらに上げるための努力と、楽しいことを好きなだけする時間を自分にあげよう。
でも、ここに気づけない人は意外に世の中に多い気がする。
ここに気づかずに「なんで俺は評価されないんだ」とイライラして波長を落とし、魂を成長させられんと、地獄に留まることになる。
限りなく深い謙虚さをもて、そして目に見えることは見なさんな。(俺のさっきの話で言うと、ミスコンの順位とか、友達の数とか。)自分の価値は自分で判断できるようにして、自分で決めろ。いまの周りの人がお前のことを、分かりやすい形で評価してくれるかは本来どうでもいいことだ。ほんとうに崇高なものはすぐ評価されることはない、そういうもんだから期待なんかすんな。
「こういったお前の人生の真理を、そこから学べ」と。「そしてお前は見えないもの、分かりづらいことを大事にできるようになれ、周りの影響にブレることなく、自分の心に忠実に生きろ」と神が施した神妙な計らいなわけだ。この経験が。
このことを忘れようもんなら、魂に刻まれるまで何度もそれを思い知らされる試練がくるんだろう。
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「そうだ、お前が来たのは何千年経っても未熟なままの物質界だ。この過酷環境で、どう人生を面白くする?どう社会貢献する?どう生きる?どう魂を磨くんだお前は?お前の力の見せ所だぞ。」
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ちょっとづつだけど俺は魂を磨いている感覚がある。全ては学び。
無駄なことなど一つもない。行くところ、出会う人、全ては自分が何者かによって導かれた環境。人生に偶然はなく全て必然なのです。
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