見出し画像

書くことと話すこと


書くことと話すことのバランス。


ここ最近、Zoomでのミーティングだけじゃなく、youtubeでそのままライブ配信したりとか、コンテンツとして「映像」「音声」をお届けすることが増えてきて、文章を書くことが少し疎かになっている。

使ってる脳がなんか違う気がする。


わたしは話す時も書くときも、いつも文章とか単語とかを頭の中に並べている。

頭のどこかで、単語と接続詞を組み合わせたり、言葉を探したり、頭の中で高速に言葉が行き来しながら、これだ!と思うものをキャッチする。

時に言葉選びにミスることもあれば、まあちょっと違う気がするけど、と、放置することもある。

だから、書くのも話すのも同じような脳の使い方かと思っていた。


だけど、2時間文章を書くのと、2時間話し続けるのとでは、圧倒的に話す方が疲労する。

これは、思考方法というよりは「情報量の違い」なのかもしれない。


noteの真っ白い画面に小さな文字をカツカツと打ち込むことは、非常にシンプルだ。

流れるように文字が湧き出てきて、気持ち良くすらある。

文字を文字として見なければ、こういうモノトーンのデザインの作品を編み出しているようにも見える。


動画で喋ることは、単に喋ることだけでなく、映像としての情報や、一人一人相手がいることによる情報、耳と口と目と忙しく動かすことで、とにかく「気をつけることが多い」と感じる。

疲れる、というのとはちょっと違って、喋った後はいつもすごく眠くなる。

体から酸素を取られてしまったみたいに。

何もかもシャットダウンしたくなるように。


今は試したいし、早く何かをしたくて、少し焦って詰め込んでいるフシもある。

話すのは苦手ではないけど、めちゃくちゃ好きというわけではない。

興味のある人、興味のあるテーマについて深掘りするように話すのは好きだから、自分で企画するトークイベントや好きな人との対談は楽しい。

逆に、ぼんやりとしたテーマもない雑談は結構苦痛だったりする。

まだ慣れてないから楽しめてるけど、もしかしたらオンライン飲み会とかオンラインお茶会とか、やっぱり自分は不得意かもな、という予感もしている。

その辺りのバランスがまだ自分でも取れていない。


文章を書くのはやっぱり、誰かと話す楽しさとは違った、自分だけと向き合う癒しがある。

いろんな人とワイワイと話した後は、真っ白な画面に小さな文字を並べていく、この行為が「自分らしいな」って思う。


わたしのウェルビーイングの1つは、文章を書くことだった。

少しだけ、忘れかけていた。

思い出そう。







自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!