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まつのことのはのたのしみ その十三

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。和歌(やまとうた)を愛し、旅とサウナに親しむ玉川可奈子です。

 好きなことである旅ばかりしてゐて、もう一つの好きなことであるやまとうた、さう「まつのことのは」シリーズの更新を忘れてゐました。旅に夢中になつてゐたといふことでせうか。

 最近、わが国はハイパーインフレになるなどといふ危機を煽る戯言を述べてゐる人がゐましたが、ハイパーインフレのことを理解した上で書いてゐるのでせうか。
 歴史や経済に対する無知は、恥べきものです。

 さて、「自分の好きなことに忠実」であらうとしたら、和歌、鉄道、旅、サウナになつてしまひました。

 そして、自分の周りを好きなことに絞り、好きなことにすることで気持ちは以前より楽になりました。要らないものを手離し、好きなものに囲まれることで人はもつと気楽になれると思ふのです。さういふ意味では、断捨離といふのは人生を良い意味で輝かせてくれるでせう。

 次は、欲望のスリム化です。
 欲望のスリム化をするには、「あきらめること」でせう。世の中はあきらめてはいけないといふ風潮が強くありますが、あきらめることは逃げること同様、悪いことでは断じてありません。結婚をあきらめ、出世を捨て…。最後に残るものが「たましい」を満たすための砦となる。
 以下の諸富先生の書から学びました。どうかご参考までに。

 ところで、読者の皆様は、高校時代に古典の授業のことをお好きでしたでせうか。

 私の想像ですが、多くの方が嫌ひだつたのではないでせうか。私も、「学校で習ふ古典」は好きではありませんでした。

 授業では「ら、り、る、る、れ、れ」などの活用形を覚えさせられ、さらによくわからない古文単語を覚え…「『ゆゆし』つてなんだよ」みたいな感じで、大半の人が古典を嫌ひにはなつても好きにはならなかつたでせう。

 多くの生徒にとつて、「げにゆゆしきもの」が古典の授業だつたでせう。古典の授業は寝る時間、または内職の時間だつたのではないでせうか。

 しかし、一応の(苦しい)弁護をしますと、古典の授業で学ぶ内容は歌を分析し、客観的に理解するのには大いに役立ちます。なので、一概に今の国語の教育は全てダメだとも言へません。ただし、高校の古典授業で学んだことを覚えてゐることが前提です。試験前の一週間に詰め込み、試験が終はると同時に忘れるやうでは無意味でせう。
 といふより、九割以上の国民がさうしてゐることでせう。

 また、学校の先生方は部活動やら何やら、日々大変な中で授業をしてゐます。私もさうでした。ほとんどの先生はストレスマックスで、

 「授業がやりたくて先生になつたのに、部活やらクソみたいな人間関係やらで、やりたいことが満足にできない!」

といふ状況にあるのです。

 学校教育にアレコレ求めるのは、あきらめた方が良いです。諸富先生も言つてをられますが、子供の成長もなるやうにしかなりませんし。

 少し脇道にそれました。本道に戻りませう。
 その国語の授業で『便覧』を買つたと思ひますが、これはとても役立ちます。
 まだ持つてをられる方はたまに見返して、もつてゐない方はBOOK OFF等で買つてみてはいかがでせう。そこに載つてゐる知識を吸収するだけでも、和歌を作る際にも、国民としての知識を身につける上でもとても役立ちませう(少なくとも『〜しなさい』系の本を読むよりかは)。
 また時間がある時に、眺めるだけでもいつもと違ふ発見があるでせう。

 私のおすすめは、京都書房から出てゐる『便覧』です。興味のある方は、是非。そして、私も「学び直し」も兼ねて『便覧』に目を通してゐます。楽しいですよ。

 さて、国語の授業のみならず、和歌を学んでゐると、やれ枕詞だとか、掛詞だとか、難しいことがたくさん出てきます。しかし、難しく考へる必要はありません。

 枕詞の使ひ方などは、あれこれ深く考へず先例に倣へば良いと私は思つてゐますし、掛詞や縁語など、平安時代以降に確立した技術など、わからないうちは無視しても良いでせう。現に私もあまり意識して歌を作つてゐません(万葉調といふこともありますが)。

 なほ、前に歌はシンプルに作るといふことを述べました。それを実現させ、かつ歌の調べを整へる方法としての枕詞があります。これも結局、先例を真似る、ことに尽きます。
 例へば、神の前には「ちはやぶる」、山の前には「あしひきの」などです。これらは、辞書や『便覧』等を見ればまとまつてゐます。技術的には、一首に二つまで(といふより、二つまでしか入れられませんが)、となります。長歌の場合はさうではありませんが。

 真似るには、過去の用例に倣ふことです。それには、以前から記してゐるやうに暗記することが一番です。さうすることで先例に適ふやうな歌を作ることができるでせう。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。(続)

 追記
 先週の二十九日、『伊勢物語』で昔男の歌、

 名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

で知られる隅田川で花火大会が開催されました。
 私の住む街は、多くの人でにぎはひました(アホな者もゐたさうですが)。

 カップル、子供連れ、一見幸せさうな人らを尻目に、私は一人サウナに行きました。色恋はあきらめた身とはいへ、かういふ人らを見て、羨ましく思ふ感情がまだ私にはあつたのですね。

 恋は今は あらじと我は 思へるを いづくの恋ぞ つかみかかれる (『万葉集』巻四・六九五) 広河女王

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