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noteをはじめて1ヵ月半の私は「自分にチャンスを与えたい!」と泣いていた。(「#熟成下書き」企画に乗っかって)

せっかくnote公式さんが「 #熟成下書き 」という年末にぴったりの大掃除企画を用意してくれているので、私も2つ目の穴(?)を掘り起こしてこようと思う(残る穴はあと2つ。意外に少ない?)。

さぁて、うまくいくかな……(今回はちょっと自信ないかも……)。


* * *


自分にチャンスを与えたい。

2018/11/01 16:56

11月だ。『note』をはじめて1ヵ月半。
新しい空間に体を馴染ませるには、とにかく書いて書いて書きまくろう!  でも、自分にとって“違うこと”はしたくないから……些細な違和感はいちいち取り出し、スッキリするまで向き合って(※)、「結局あなたの書きたいことって何なの?」を自問自答しながら、日常の中の“自分の時間”をほとんど丸ごと『note』に使って、日々のエネルギーをそこに掛け合わせて――、そんなふうにして「10月はnoteに集中!!」でやってきた。やってみた。


※これ大事。例えば、その時間をたっぷりと自分に与えて生きていきたいって思っているから、私は「小金(バイトで稼げるような)」より「自由」を選んで暮らしているわけだ(この辺の話に興味がある人は、ぜひ!『砂漠を横切るラクダのように』を読んでくれ☺︎/* まずはその環境を自分で自分に与えること、そして家族の協力、だからこそ芽生える「謙虚さ=真剣に、全力で、それに取り組むこと」などなど)。
こういう“自分と向き合う時間”をどれだけ自分に与えられるか・与えようとするかで、人生は変えられると私は思う(誰が手綱を握っているのか・無自覚に握らせているのか? それを自分の手中に取り戻せるように・取り戻したいと思えるように、なるはず……で、そうすれば人生は動くはず)。だけどそこにじっくりと取り組んでいる人って、案外少ないと思うから(社会で働いている人たちの多くは、とにかく時間も心の余裕もないのだろう)。だからこそ「私の書くものには価値?がある」って、私は勝手に思っているのだ。必要としている人が、きっといる。その人に、届けたい!  そう思うことって、なんて自由なのだろうなぁ~♪


ちなみに……いつものようにタイトルが先に浮かび、「今日はこれについて書いてみよう」と書きはじめるのだが、こうしてどんどん話が横に膨らんでいっちゃうところが、その“思考のライブ感”(?)丸出しのところが、私の文章の特徴・持ち味だと、またまた私は勝手に思っているのだけれど(しかし読みにくいのは確か。でもさ、こういうムダ話みたいなところにこそ、その人の本音や本質?があらわれたりするものじゃない??  それに、こういうムダ話みたいなものも書けるってことが、それこそが、私が時間的にも精神的にも『自由』を生きている・愛しているってことの表現になってるんじゃないかしらん??)、こんな私を丸ごと一緒に楽しんでくれる人のところへと届けるには、はてさて、いったいどうしたらいいものか???


見つけてもらえないことには、はじまらない。

その現実的な厳しさは、身にしみている。なのに、またここで同じテーマを繰り返すことになるのか?  いやいや、私はいい加減、この先へと進みたいのだよ!!!  と、どんなに声高に訴えたところで(願ったって祈ったって)、誰にも知られていない人間は、存在していないようなもの。そのことも知っている。

だから、
もっとできることはないか?
もっとできることはないか??
もっとできることはないか???
考え続ける。「今ここでできること全部、やっておこう!  蒔ける種全部、蒔いておこう!」



* * *


な~んて語っておいて、下にこの画像↓を貼ったあと、これらの文章はそのまま「保存」という放置プレイを施されることになったわけだ……。


たぶん……このときの私は、この画像を貼ることで今の自分の「リアルな現状」を記録しておきたかったのだろう(ほら見て。ここnoteでは、なんかすごい数字を持つ、すでに有名人っぽい人の記事ばっかり取り上げられ見慣れているだろうけど、そんでみんなその「すんごい数字」が基準みたいに?思わされてるとこあると思うけど、無名の人間の「リアルな数字」なんて、こんなもんよ? 正直、萎えるよ。不毛になるよ。……それでもね、「あぁ、あと2つでスキが『100』になる!!」って、泣きたいような?気持ちになったりもするんだ。数字の魔力……恐ろしいね。完全に、踊らされてるね。――ってな感じか?)。

だけど「フォロワー:一桁」の現実が見せる生々しすぎる数字の羅列に、なんか「夢がないな」「こんなのさらして意味あるか?」って思い直し、筆が止まったのだった(確か)。


そう、恥ずかしかったわけじゃない。
ただ、なんか……ひがんでるな、自分……って思って、まぁそれもそのままリアルに表現してもいいのだろうけど、そしてこの過程を記録しておくことで、いつか誰かを(このときの私と同じように、世界の反応の薄さ・少なさに打ちのめされ、不毛感募らせてる誰かを)励ましたりできるかも……? って考えたりもしたのだけれど、結局、公開するに至らなかった。

(そして今、書きながら思った。やっぱりここには「ひがみ」「ねたみ」のエネルギーが潜んでいたから、そしてそれは「害」であり「毒」だから、私の内なる何かが撒き散らさぬようストップをかけてくれたのだろう。ありがとう、私の内なる何かよ!  おかげで私は不本意なマナー違反をすることなく、今こうして新たな気持ちからこの文章と向き合えているよ!)

(そしてさらに思う。学ぶ。「毒」とか「害」とかは、昇華させるためのマテリアルになっていない限り、使うのは危険。というか、ただただ迷惑?  他人の時間を奪って、いやな気分にさせるだけ?  そしてそういうエネルギーにはそういう輩(やから)が集まるんだぜ??  ってことで、プロの作家を生きる者としては、そういう文章は垂れ流したくはない……よね、やっぱりさ!)



一日の時間とエネルギーを使って、注いで、その日の文章を葬るしかなかったときの疲労感は、無事書き上げて“えいや!”と公開できたときのそれとはまるで異なる。肉体的にも精神的にもダメージが残る。放出されるはずだったエネルギーが生き埋めにあったみたいに、体の中で――特に頭と足裏で、疼く。

そうしてどうやら、私はしばらく死んでいたらしい。



どうだろう……?
ちょっとは「成仏」させられたんじゃないだろうか?



エネルギーは正しく使わないと、人を狂わす。殺す。
そして今の私は狂ってる場合でも、死んでる場合でもないから――

使いたいところに、使いたいだけ捧げたい。注ぎ込みたい。

それが、今の私が考える「に対する真の謙虚さ」だから。
(誰かに、何かに、“遠慮”して、全力出そうとすることを躊躇うのは、もしくはそういう“ふり”をすることは、本当はちっとも“謙虚”なんかじゃないんだぜ。自分の素晴らしさを見つけて、認めて、全力でそれを解放?しようと・世界に役立てようとすることこそが、私は「に対する真の謙虚さ」だと思うよ!  ――そして私は今、これ↓を読んだときのことを思い出した)

Our deepest fear is not that we are inadequate.
Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.
It is our Light, not our Darkness, that most frightens us.
We ask ourselves, who are you NOT to be?
Your playing small does not serve the World.
There is nothing enlightened about shrinking so that
other people wont feel insecure around you.
We were born to make manifest the glory that is within us.
It is not just inst in some of us; it is in everyone.
And as we let our own light shine,
we unconsciously give other people permission to do the same.
As we are liberated from our own fear,
our presence automatically liberates others.

Nelson Mandela, 1994 Inaugural Speech
私たちが最も怖れているのは
自分の無力さではない。
私たちが最も怖れているのは
私たちは計り知れない力に満ちているということである。
私たちを最もおびえさせるのは
自分の闇ではなく光にほかならない。
私たちは自分に問いかける。
素晴らしい人間になっていいのだろうか?と。
取るに足らない者であるふりをしても
世の中の為にはならない。
周囲の人々が不安を感じないように小さくなるのは
決して正しいことではないのだ。
私たちは、自分たちの中にある賛美に値するものを
表現するために生まれてきたのだ。
それは限られた人々のものではなく
すべての人の中にある。
そして、私たちが自分の光を輝かせてやるとき、
無意識のうちに他の人にも同様のことをする許可を与えている。
私たちが自分の恐れから自らを解放するとき、
私たちは自動的に他の人たちをも解放するのだ。

ネルソン・マンデラ 1994年 大統領就任演説


(カラーセラピーの教科書に載っていて、魂ゆさぶられたことを思い出す。あれからもう、こんなにも遠い。だけど、今の私もちゃんとこの道の上を歩いている。歩いてきた。今日ここで思い出せたこと、きっとこれもまた偶然であり必然で、なにかしらの意味があるのだろう……。もしくは誰かがここで受け取って、魂ゆさぶられるのだろうな……)



そうだ。
「自分にチャンスを与えたい!」と泣いてる・嘆いてる・腐ってる・ねたんでる・ひがんでるヒマとエネルギーがあったなら、なにかやれ!!!  行動しろ!!!(出力する気力がなかったら、入力すればいい。なんにもする元気がなかったら、「なんにもしない」を選択し、実行すればいい)


そして私は『note』を選んだ。

だから。
今日、こうして綴れたことに……感謝&LOVE!!!




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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆