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あっちの時間とこっちの時間は、はたして同じライン上に存在しているのか?

ハロー☆ ハロー☆ こちらは2020年6月22日、新しいウイルスの登場で世界が混乱&一変してから少しだけ落ち着きを取り戻しつつある……というより、多くの人間がようやくこの「新しい日常」ってやつに “慣れはじめた” って感じの地球から、月曜日の私です(曜日感覚なんてまるでないけど)。

ほんとにね、前回のお手紙から「半年」という時間が経過しているのだけれど、あっちの時間軸とこっちの時間軸は、はたして同じライン上に存在しているのか? どこかで別のラインに――勝手に、少なくとも私の意思とは無関係に――飛び移ったんじゃないだろうか?? って気がするくらい、世界は今、地球レベルの人類共通の問題(例えば「温暖化」だって、もっと前から世界共通のテーマだったはずだけど)に直面していて、それが世界中のひとりひとりの「個」の暮らしの上に強制的・現実的に降りかかっていて、だけど “それでも生活は続いていく” という……なんとも未知で、でも戦争よりはずっとずっとマシじゃない? って私は思うのだけど、それでもやっぱり不慣れで不安もあって、でも冷静に考えると、どんな未来だって本当は未知で不慣れで不安で、何が起こるかわからない、なのにみんななんとな~く「いつもの延長」を勝手に想定し安心しているわけで、それが突然(本当はじりじりと)ひっくり返っちゃったというこの現実……。

あ。ここまで読み返してみて気づいたのだけど、多くの人がストレスを感じているだろうことの一番の要因は、「未知」でも「不慣れ」でも「不安」でもなく、今のこの「不自由さ」にあるのだろうなって、そう、それを書くのを忘れていたよ。
「不自由さ」――好きなときに好きな場所に行けないこと、思いついたときに思いついた行動ができないこと、最初から、それを「ダメだ」と制限されること。そういうのって、見えない檻に入れられているようで、とっても心が “ぎゅっ” となる。実際に出歩けないことよりも、なんていうか……その状態・状況が、「窮屈」だし「息苦しい」みたいになるのだろうな。だって、頭は “想像” するから。あそこに行きたいな~、○○をしたいな~って、ダメだとわかっていても想像することは止められない。そして私たちは、そういうこと(小さいものから大きなものまで)を実現させることを楽しみに、ときには人生の糧にして、生きていたりもするから…………行動を制限されつつも暮らしを守るためには働き続けなきゃならなくて、でも楽しみの多くは強制的に「自粛」させられて、でもでも『命』を守るためには仕方のないことで、なのに仕事は続いてく、生活も、人生も、続いていくのだ……ってね。

仕事が最高に楽しい・生き甲斐って人は、変わらぬ充実感を感じられているのかもしれない。けど多くの……特に日本人?は、現実的な「お金」のために働いている人が多いんじゃないだろうか。そうすると、“これのために働いてるんだーーー!” っていう「ご褒美的なもの」がとっても重要になってくる。おいしい食事、おいしい酒、服とか靴とかがんばって得た金で、手に入れられるもの。そういう機会を、場を、制限されると “いったい自分は何のために働いてるんだ? うぎゃーーー!!!” って気持ちにもなったりするのだろうな。

急には難しいよね……きっと。いろんなこと。
内側を満たすだけじゃなく、やっぱり外側も満たしたい。人間だもの。笑 そして “ここ” は物質界。内側を満たすことだけを極めたいのなら、今のこの地球よりもっとふさわしい場所があったんじゃないかい?(←自分に言っている)

何かを否定することなく、それぞれを尊重し合って、自分も堂々輝いて――そういうのがいいな。私はそういうのが好きだ。


そうしてみると、やっぱり “ここ” も同じラインの延長線上なのかもしれない。




気づいたら双子座の季節が終わっていて、いつも「はじまるとき」にばかり意識的になっている自分を知る。昨日は夏至で、つまりそれは太陽が「蟹座」に移動したことを示していて、さらには「蟹座の新月&日食」も重なっていて(夏至と日食が重なるのは372年ぶりだとか!?)、だけど実感としては相変わらず “なんだか透明” な毎日で、淡々と掃除をし、国立天文台のライブ配信を観ながら少しだけ日食気分を味わい、でもこの目で、この肉体で、実際に「目撃・体験」しない限り、それが “生=ライブ” であっても “過去=録画” であっても、もはやあんまり変わらない……と、そういうことを再確認しながら、「今、ここに、生きている」ということに想いを馳せる。ぼんやりと。いつものように。


そうなんだよ。
世界がどう変わっても、今のこの『私』が、“ここ”に生きている限り、思うことは

「生きてるうちに全部味わいたい」


そういうこと。ゴッホのようにはなりたくないんだ。



372年ぶりの「夏至&日食」を越えて、超えて――、思うこと・感じることはどこまでいっても “相変わらず” で。そういえば今年もまた誕生日を迎えたよ、終えたよ、1つ歳を重ねたよ、このつまらなさMAXの2020自粛期間に誕生日を迎えた人は美味しいものも食べに行けずさぞかしつまらなかったでしょう、みたいなことを村上さんが言ってくれたのが(「村上RADIOステイホームスペシャル ~明るいあしたを迎えるための音楽」で)びっくりするほど“救われた気持ち”になったよ、言葉の力を思い知ったよ(それがさり気なければさり気ないほど)、そうして今日も生きてるよ、生き延びてるよ、いつの間にか5月も終わって6月だけど、なんにも実感ないけどでも……生き延びなきゃね、だって叶えたいもの、世界がこんなふうになってますます、でもある意味では全く変わりなく、思うんだもの、感じるんだもの、心が、魂が、求め続けるんだもの。

生き延びて、叶える。

そして生きてるうちに、全部味わう。味わい尽くす。



というわけで、最近の救い&お楽しみは
◎金曜ロードショーの3週連続『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
(最初から最後まで、隙&手抜きのない濃密さよ!)
◎再放送中のドラマ『Nのために』
(私このドラマ、好きだったんだな〜と再確認の日々)

こういう “このタイミングで偶然やってくるもの” みたいなものって、自覚している以上に「JOY&LOVE」を与えてくれる。


そしてもちろん “日常に『本』&『物語』を” も継続中。

私の心の一部は今、北海道の山奥に行ったままだし(やっと羊男が現れたところ。再読なのに、いつものようにまるで新作のドキドキ☆)、『村上T』はなんだかとっても「しあわせ気分」を与えてくれる本で、開くたびに “買ってよかったわーーー♡” ってなる。最高。そして紙が厚い。上質。手から感じる喜びも。



うん。わかってる。これは全然「手紙」じゃないよね。私はどんどんこの手紙を書くのが下手になってる気がするよ。読み返すたびに自分でも苦笑いだ。

だけど、なんだか「ここ」が一番、“素の私そのもの”って感じがするの。突然話が飛ぶところとか、こんなふうに急に戻って来る?ところとか。

何を書くかなんて決めないで、自由に、お喋りするみたいに書き進めていくことが、私はとっても好きなのです。子どもの頃からずっとね。そうやって遠くに行ってしまった友だちと、時間も空間も超えて、会話するみたいに手紙を行ったり来たりさせていたことを(小2の頃から大学生の頃まで)今、懐かしく思い出しながら……。


きっとまた書きます。




“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆