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ああ 忘られぬ『豚のみそ漬け』

冬の夜。
小学生の僕は、自宅の肉屋のシャッターを閉めていた。

手を挟まないよう気を付けながら、ゆっくりと閉める。
お客さんのいなくなったお店は、とても静かだ。

ちょうど、コンビニくらいの広さのお店で、
僕は窓側から順に電気を消していく。

暗くなったお店は、
ちょっと、怖い気もするけれど好きだ。

お客さんが両親と何か話している、
日中のガヤガヤした雰囲気も好きだったが、
おそらく、誰も知らないであろう、静かなお店も良かった。

大きな冷蔵庫のゴオォォォォンという、
独特の機械音だけが、店の中にこだまする。

お店の電気を消して厨房に行くと、父親が2階から降りてきた。

揚げ物をするフライヤーから油を抜き、
明日の準備をする。

油の調整が終わると、父親はラジオをつけた。
この時間帯は、歌謡曲が流れている事が多い。

今日は、懐かしの名曲集をやっており、
『古賀 政男』の『湯の町エレジー』が流れている。
ギターで作曲された、とても哀愁あふれた曲。

「古賀さんの作った曲は、ギターが泣いてるんだよ」
と父親は良く言っていた。

僕には難しくて分からなかったのだが、
父親はこの曲がとても好きで、
鼻歌まじりで、明日の仕込みをしていた。

静かな厨房で、
ラジオから流れるギターの曲を聞きながら、
僕も仕込みを手伝う。

厨房で父親は、豚肉をスライスしていた。
刃物を扱う時の父親はいつも真剣で、
話しかけると怒られるため、
僕は慎重に、銀色のバットを取り出した。
そこへ市場で買ってきた、特製の味噌をしいていく。

『豚の味噌漬け』を作るのだ。

父親は豚肉を手早く切り終えると、
僕が用意した味噌入りのバットに、ショウガとミリン、
醤油と砂糖、日本酒も少し加えて混ぜる。
実にシンプル。配分は、父親の勘だ。

豚肉に味噌を塗りつけ、重ねていく。
そばで見ていると、ほんのり甘い味噌のいい香りがする。

準備が出来たら、一晩寝かせるため、
店頭の冷蔵庫にしまうよう言われた。

僕は、大きなバットを落とさないようしっかり持って冷蔵庫にしまう。
それと交代に、今度は売れ残りのバットを持ってくる。

店で人気の味噌漬け肉は、
いつもは売り切れてしまうのだが、今日は一枚だけ残っていた。
それを見て、イタズラっぽい顔をした父親が、

「よし、そこで焼いて食べちゃうか」

指さしたのは、石油ストーブ。

父親は、慣れた手つきで銀紙を用意し
簡易的な器を作る。

丸々一日ほど漬かった味噌漬け肉を切り分け、
ストーブの上に銀紙の器を乗せて焼き始めた。

今日は寒いので、ストーブの火力は高め。
しばらくすると、ジュウジュウと肉の焼ける音がする。

お店の厨房に、味噌と豚肉の焼ける
なんとも香ばしい匂いが広がっていく。
父親は、いつのまにかビールを用意していて、
すでに、一杯やりはじめていた。

僕は頃合いをみて、肉をひっくり返す。
肉汁がジュワァと音を立てて焼けていく。
焦げた味噌の香りが、旨そうでたまらない。

すでに夕飯を済ませていたが、
この香りには、いつもやられていた。
腹の虫がおさまらない。

「こんなもんでよかんべ。熱いから気をつけて食べろよ」

お箸は無いのだが、店には長い串がいっぱいあり、
程よく焼けた味噌漬け肉を刺して、頬張った。
口の中に、甘い味噌とショウガの風味、
あつあつの肉汁が溢れてくる。

父親も、味噌漬け肉をつまみに、
ビールとラジオから流れるギターの音色に上機嫌だ。
再び鼻歌を歌いだしている。
その隙に、僕は父親の分まで食べてしまうのだ。

「あれ、もうねぇか。じゃあそろそろ、しまいにすんべ」

後片付けをして、店の裏口のシャッターを閉めた。
とたんに夜の北風が頬をさす。かなり寒い。
そんな時、父親がポケットからホッカイロを出してくれた。

「ほれ。これやるから。暖けぇだろう」

僕は、ありがとうと言って、ホッカイロを懐に入れ、
お店の二軒となりにある、自宅に向かって走りだす。
外の空気は冷たかったが、僕の懐とお腹は暖かだった。

冬の寒空の帰り道、意味も分からず口ずさむ。

ああ 忘られぬ 夢を慕いて 散る涙
今宵ギターも むせび泣く

僕にとって、忘られぬ『豚の味噌漬け』。父親との思い出の味。


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(歌詞引用:湯の町エレジー 野村俊夫)

※このお話を書くにあたり、参考にさせていただいた曲はこちらです。湯の町エレジーを知らない方やギターが好きな方は、この哀愁漂う演奏を、ぜひ聞きながら、お読みいただけると、より当時の雰囲気を感じていただけると思います。

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