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上海から来た骨董商の最高の仕事場

目次
・香港のメディアの現状と油塘地区の區報
・上海人の糖水
・阿片の煙槍
・一緒にバスに乗ってくれた女性
・最高の仕事場

昨今の政治状況により香港ではメディアが次々と無くなり、香港人のメディアに対する付き合い方も変わってきています。テレビやインターネットで得られる情報よりも、個人や地域コミュニティなどのより小さなところからの情報ソースの方が信頼される傾向があります。例えばWhatsAppやsignalのグループチャットのみで特定の情報を流したり、その地域に行かないと手に取ることができない地域ニュースに特化した區報と呼ばれる媒体等があります。

區報では大きな政治の動きを訴えることはなく、地域の住民がより住みやすく楽しく過ごせるような記事が掲載されています。街の住人の暮らしや問題を記事にし、小さな視点をクローズアップしこんな香港の中にあっても市民の意識を輝かせ続ける事に大きく貢献していると思います。

私の友人に九龍の油塘地区で集油という區報の編集をしている人がいて、この日は油塘のMTRの駅から徒歩10分ほどのところにある海鮮の街・鯉魚門を抜けたところにある海の村、馬環村の骨董商の韋節方先生のところに遊びに行くとのことで、私もついていくことにしました。70年代から観光地として栄えた古い街の一番外れにある韋生の仕事場は香港島を対面にしたビクトリアハーバー沿いにあります。

韋生はまず私達に普洱茶を淹れてくれて、少し話しをしてから糖水を作ってくれました。糯米酒(中国の甘酒)をベースに使って、湯圓と、卵を一人二つも入れてくれました。私は糯米酒の糖水はこの時初めて食べましたが、糯米酒が入っているのは上海式で、韋生の故郷の味です。

象牙の象棋の駒がどうやって作られているかや、阿片の煙槍を見せてくれた。韋生のお父さんはたまに阿片を吸っていて、当時の上海ではお客さんが来ると少し吸っていきなよという感じだったらしい。香港でもお爺ちゃんが昔吸ってたよ、という話はたまに耳にするのだけど本物の使い込まれた象牙の煙槍を使って吸ってる真似をしながら話す韋生はいい人だ。

娘さんが中文大の文化研究系で今は日本で暮らしているそうで日本の文化についても理解がある。例えば茶道の侘び寂びとは何か、何かとストレスの多い中、スピリチュアルやwell-beingが流行っている今の香港で若い人達が興味を持っている分野ですが、これに的確に答えられる大人が少ない中で韋生は当時の人の暮らしを説明しながら何故そのような事が必要だったのかを簡単な言葉で話してくれる。長年の香港人は日本には古い中国文化がいまだに残されているという認識が強いので、中華文化の基礎を元に日本文化の話しをしてくれるのが私にとっては興味深い。この比較は学校の世界史では教えてくれないとても興奮する感覚です。

私は香港に暮らす日本人として聞きたかった事を聞いてみることにしました。それは韋生が上海人としてどうやって香港で暮らしてきたのかという事です。

韋生が香港に移民したのは1979年で一人で香港に来た。香港は昔から多くの上海人がビジネスの世界を支配してきましたが、韋生は郷里の人には頼らず一人で生活を始めた。ある日、紅磡から荃灣まで行く事になった時、行き方がわからなかった韋生に一人の女性が一緒にバスに乗って着いてきてくれたんだそう。その時韋生はまだ広東語がわからず「多謝」くらいしか言えなかった、連絡先も聞けなかった、でも今でもずっと彼女のことを覚えている。

同じ中華世界でも、香港は昔から異国で一人で頑張る場所なんだな、それは今も変わらないや…と少し涙が出ました。

一つのコミュニティで生活が安定してくるのは最低でも2年はかかり、2年経ってようやく自分の住んでいる場所がどういうところなのかが見えてくると話してくれました。私も今の香港の村に引っ越して2年半、村にどういう人が住んでいるのかやっと大きい視野で見えてきたところです。それまでは仕事ばかりでなかなか香港の事を深く知る機会が持てず、ストレスも多かった。でもそんなものです。香港でまず自分が生きる為に仕事をとにかく頑張って、何が自分に必要なのか実感して、自分にとって居心地の良い場所で生活をする。

韋生の仕事場、私が昔澳門で見た骨董商のお店に似ている(他にも私の大学の先生の紹介で官僚をしながらカメラ屋をしている人を尋ねようとしたらお店が爆破されていて澳門めちゃくちゃだ…と思いました。北朝鮮の直行便があってマネーローダリングがニュースになってた頃)と話したら、澳門というのはそういうところですとのこと。官僚や黑社會が二足の草鞋で骨董品を売っていたりするんです。澳門の骨董商のお店も凄く素敵な場所だった。その裏にはどんなとんでもない人生があったのか。

韋生の仕事場には海の光の中にたくさんの骨董品が並べられていました。夕方前、太陽の光が海にキラキラと反射し船が窓のすぐそばを通っていきます。私がこれまで見た最高のオフィスはハノイで見たホーチミンのオフィス、御前崎灯台にある遠州灘を見下ろせる貝屋(海鮮でなく飾りやアクセサリー)のおばあさんの仕事場、この二つでした。韋生の仕事場はこの二つに並ぶ素晴らしい空間で、仕事は本来このようにキラキラしているものなんだろうと思いました。

私は最近、香港の地場野菜を使った料理ワークショップや日本茶の販売やペアリングなどをする、食品とお茶のコンサルの仕事を始めたばかりなのですが、本当に今自分がやりたい仕事で、ストレスマックスの香港の皆んなも、自分も幸せになれるのか、という挑戦をしています。で、確かに少し幸せになってきているのです。
香港で私が尊敬する人たちは仕事場が皆美しくその場にいると私まで心が洗われます。私は彼らの仕事場には機会があれば足を運び一緒に話しをするのが大好き。香港はこういった、仕事や生活を真剣に考え苦難を乗り越えてきた長年のカリスマがいます。私が香港の何が好きかと聞かれるたびに答える「人です」の理由がまさにそれなのです。

韋生は仲の良い友人が訪ねてくると中国煙草を吸います。私は煙草は普段吸いませんが、街中でストレスがある中で吸う煙草ではなく、空気の綺麗な自然の中で吸う煙草は旨いですよな、と話したら「その煙草は美味しい。リラックスが全て」と言っていました。今度日本に帰ったら日本煙草をお土産にして海を眺めながら一緒に吸いたい。

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