文、書きて〜〜〜
題の通り
というのも、星野源のエッセイ「よみがえる変態」を読んでたら急にこういうのが書きたくなっただけです。
とはいえ確固たる意思があるわけでもないのでテーマはありません。初回なのにね。2回目があるかもわからんし。話したいことはめちゃくちゃあるんだけどな、電車で日平均4人くらいに抱いてる〇意について2000字くらい書きたいし、唯我論については5000字くらい書きたい。あとは集英社のマスコットよまにゃと新潮社のマスコットキュンタのキャラデザとかわいさ比較については論文書いてもいいと思ってます。
半分自分の思考整理みたいなところがあるので某後輩くんみたいにおもしろ不謹慎みたいな感じではない。長めのクソツイートだと思ってもらえれば幸いでございます。
社会人になって3ヶ月が過ぎたらしい。
色々感想はあるけどとりあえず何かを考える時間が増えたっていうのが大きいな。
学生のときってマルチに色んなことこなさないといけないから意外と余暇ってないんだなあと実感してます。(マルチ商法という意味ではない)
華氏451度のフェーバーとかいうおじさんから引用すると
まさにこれ。暇な時間≠余暇ってすごいこと言ってんな。邦訳の問題もあるんだろうけど。
本題
日暮里駅でしばらくフェーバー教授に思いを馳せていたらテーマを思いつきました。
生の必然性について話そうと思います。
初回にやることではないなと思いつつ、コンテンツ性を意識したところでこの文は大した人数に見られないので問題ないということにします。
と、ここまで書いたところで酒を入れてしまったうえに服の中に虫が入ってきて激萎えしているのでやる気がなくなってしまいました。
でも頑張って続けます。
小さい頃を思い出すと、世の中には全て必然性があって、厳密に構築されてるものだって漠然と思い込んでいた気がします。
街を歩く大人には全員目的があり、発言には全て意図があって、道に落ちている軍手すら意味があると思っていました。
特に活字への信頼度は高くて本の誤字脱字を見つけてはどんな意図があるのかと考えていた小学生時代をすごしていた気がします。
道に落ちている軍手は文脈はあっても意図はないんだと気づいた時に世の中に失望しました。
「私が存在している」ということすら、数億年に及ぶ生物の淘汰の結果、ただ偶然自己複製ができる個体が誕生したからと説明できてしまいます。
後で気づいたけどサルトルの嘔吐がそんなような話だったよね、読んだことないけど。
ニヒリストってこうやって生まれたんじゃないかな。
総括すると、「世界はただの因果の積み重ねで、思っている以上に適当にできている」という感じです。
終わり
さて、読み飛ばさずにいてくれた人はいるでしょうか。私だったら「街を歩く大人は〜」辺りからもうまともに読んでいないと思います。
書き散らし終わり!楽しかった。またやろうかな。
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