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『ある日の唐揚げについて』

※このお話は、男子中学生のお下品な様をただただ描いているだけのものです。過度な期待はしないでください。御用のない方は、戻るしてくだい、どうぞ。

 それでは、ご了承いただける方のみお進みください。


『ある日の唐揚げについて』

 お金を出して買ったものを、名前も書かずに捨てる気持ちについて、中学生の僕には理解できない。
 まあ、ノートや日記帳ならまだしも、エロ本に名前を書く人なんて居るわけがないが──しかしながらどうしても、僕らはエロ本を捨てる人に感謝せざるを得ないのである。

 あっくんが拾ったエロ本を、背後を森に囲まれた小屋の裏で、僕らは食い入るように見つめていた。陰で湿った土の匂いばかりが鼻を突き、紙の匂いすら漂っていないはずなのに、一歩間違えば誰かが鼻先をエロ本に近づけてしまうのではないかというくらい、男三人で鼻息を荒くする。
「おい、次、めくってみろよ。もっと、もっとエロいページがあるだろ」
 あっくんは自分の手を汚すことなく、信彦に指図した。小屋裏のコンクリートの地面の上に、端の方が濡れて捲りにくくなったエロ本を置き、僕らはしゃがみ込む。
「う、うん。何ページくらいめくったら、えろいとこかな?」
「そりゃもう、2・3ページでもめくったら、は、はじまるだろ」
 あっくんは息荒く断言する。信彦は疑いもせず、よれた紙面の端をつまむ。べろりとめくり上げられた紙面が落ちると、僕らの見慣れない曲線で描かれた裸の女の人が、何かを訴えるような表情で口腔内に糸をひいている。
 効果音がカタカナとひらがなを使って所狭しと配置された紙面に、僕らは耳を澄ませる。しかし、誰もまばたきすらしていないんじゃないかと思うくらい静かだった。

 小屋の表の道には、車が走る音がまばらに響いている。
「え、エロいな」
「お、おう――」
 僕らはエロい以外の言葉を知らない。裸の女性の絵を見て、他に発するべき言葉をただ全くもって知らないのだ。
「すげえ、すげえよお」
 黙ったまま見つめるわけにもいかないから、誰ともなく、意味のない感嘆の言葉を口にする。かくいう僕も、しゃがみこんだまま立ち上がることができないでいる。
 誰ひとりとして、表の車道を見張ろうとも言い出さず、裾が汚れたスラックスの中の──更にトランクスの中に、小さくもはち切れんばかりの欲望を僕らは膨らませているのだ。
「次だよ。次、めくれよお」
「まじ? もうつぎ行くの? これやばくない?」
「エロいよお。もっと、もっとだよお」
 僕は素直に発言できるあっくんを尊敬してしまう。あっくんはあっくんなりに、エロへの興奮を言葉にしようとしているのがなんとなく分かるからだ。目の前のエロ本のワンシーンを必死で目に焼き付けようと、ただ黙って見ることしかできない僕とあっくんは違うのだ。
 信彦の興味は疑問へと変わる。
「な、なあ、これまじでやってんのかな? まじのやつかな?」
「当たり前だろ。いくら絵だって、ホンモノじゃん」
 何がホンモノかすら、僕たちの誰ひとりとして分かってはいないが、僕らにとっては目にしたものがホンモノなのだ。絵であろうがなんであろうが、僕らには目の前のものが現実なのだ。

 ごおおおおお、と大型トラックが車道を駆け抜ける音が響き、小屋の裏の空気までもが揺れた。
 三人同時に我に返った僕らは、エロ本のページを一気に最後まで駆け足でめくることにした。
「おおおお、すげえ、すげえなあ」
「うん。エロいね。エロい」
「今日はこの辺にしとこうぜ。ここなら雨でも濡れないだろうから、明日続き見にくるか」
 あっくんは発言と裏腹にすぐに立ち上がらない。いや、たぶん僕と同じで立ち上がれないだけだろう。もちろん信彦だって同じだ。

 駆け足で捲りきったエロ本の裏表紙の広告を、僕らは興味も無いのに見つめ続ける。
「『モザ消しくん』だってよ。うはは、これほんとかな?」
「うそだよ。こんなのできるわけない」
「だよなー。だって、この『スケスケメガネ』だって絶対嘘じゃんな。あったら欲しいけどな。がはははは」
 あっくんの誘い笑いのどこが笑えるのか、僕と信彦には分からなかったが、「あははははは」とひとしきり笑い合った。
 笑いでエロをごまかす作戦は、僕ら三人に効果を発揮し、僕らは固まる膝をむりやりに伸ばしながら立ち上がった。

 あっくんは小屋の裏に停めておいた自転車のスタンドを蹴り、一番に表の道路へ向かう。自転車にまたがったまま、地面を足でとんとんと蹴って進む。
 信彦が後へ続いたのを確認してから、あっくんは思慮深げに──いや、ただエロいことを言う。
「美奈子ちゃんも、あんなんなってんのかな?」
「そりゃあ、まあ、そうだろうね」
「おおおおおお!」
「なに叫んでんの?」
「うおおおおおおお! いや、叫びたくなるじゃん?」
「それ、美奈子ちゃんの前でやりなよ」
「なんでだよ! お前ばかじゃん!」
 先を行くあっくんと信彦は、現実に即した空想に興じ始めた。徒歩通学の僕はといえば、僕に合わせてゆっくりと自転車を漕いでくれている二人の後ろを、悶々とした気持ちで歩くことしか出来ない。

 ぎゃははは、とあっくんは笑い続け、その笑い声を何度も車道をゆく車にかき消されてもなお、エロを笑い飛ばした。五分ほど、堂々巡りの話を続けてから、「おう。俺らこっちから帰るから」と信彦を率いる。
「じゃあねー」と信彦が後ろ手を振るのを、適当に手を上げて見送った僕は、少し早足だった歩みを止める。

 いや、立ち止まってはいけない。
 同じ場所で何度も足踏みをして、歩き続けなければならない。あっくんと信彦が、自転車で遠くに帰ってしまうくらいの時間を使って、僕は同じ場所で、ただ足踏みを続けた。

 隠していたはずのエロ本が、翌日になると無くなっているのはよくあることである。
 犯人はカラスかも知れないし、僕らの知らない誰かかもしれない。あるいは、あっくんか信彦かもしれないけれど、今のところ僕ではない。正直、僕はエロ本がめちゃくちゃ欲しかった。僕が使っているのは、せいぜい僕の記憶や妄想や、昼間見た光景くらいで、何も具体的な、現物のエロを手にしたことがなかったのだ。

 時は来た。
 今日は──とうとう今日は、僕がエロ本を持って帰るのだ。
 何度もシミュレーションした。あっくんと信彦の帰り道は下り坂だ。ある一定の時間が経ってしまえば、絶対にもう一度登ろうとは思えないくらいまで進んでいるのは間違いない。
 五分あれば──いける。あっくんも信彦も、もう、今ならひと思いには戻って来れないはずだ!
 山際の歩道を僕は脱兎のごとく走る。いや、カモシカのように軽やかに──三人のうち、僕が一番足が遅いことは知っていたけど──僕の足はコンクリートの地面を強く、強く蹴った。


 小屋の裏で、ジジジ・・・・・・と地面をずる自分の足音だけが僕の背後に回り込んでくる。僕は誰にも気づかれないように、悟られないように、ひとりでエロ本を見つめながら思考する。
(薄汚れたエロ本を、そのまま鞄に突っ込むわけにはいかない。何か要らないプリントは無かっただろうか。
 いや、思い切って鞄の裏に重ねて、抱えて帰れば大丈夫だろうか。こんな田舎だ。誰にも会うことはないだろうし、男子中学生の鞄の裏に何が隠れているか気にする人はいないだろう。
 ん? まずい。そのまま掴んだら手が汚れてしまう。それだけじゃない。これを部屋の中に持って帰るのか? まずい、これはまずい。いや、そうだ。机の引き出しに新聞紙を敷けば、そのまま入れたって、なんとかなるかもしれない――)

 チチチチチチッチチチ、と自転車の車輪の空転する音が、唐突に響く。
 右か? 左か? 明らかに小屋の前で低速になり、手押ししていることが分かる。僕は足音を立てるわけにもいかず、息を殺して、「この場合はどこを向いていればいいのだろうか」と、正しい視線の先について必死に考えた。

 僕の思考は全てが無駄で、おそらく十数秒の時間で、小屋の角から自転車の車輪が現れた。
「ひゃっ」と声を上げたのは、美奈子ちゃんの方だった。中学からの帰り道の方面は、僕らと同じはずだったが、こんな所に美奈子ちゃんがいるはずがない。
「や、やあ、美奈子ちゃん」
「あっ、やあ」
「部活──終わったの?」
「あ、うん。そう」
 僕が出来たのは美奈子ちゃんに関する当たり前の確認だけで、それ以上に何かを言ったらいけない気がした。小屋の裏に、ぬっと吹き抜ける風が、美奈子ちゃんのスカートをひらひらと押し上げる。
「ひゃあっ」と上がった声に合わせて、自転車を押していた美奈子ちゃんの片手がスカートを強く押さえた。
 急に顔を赤くしたかと思うと、声を唐突に上気させた美奈子ちゃんは一歩も僕に近づきもせずに言い放つ。
「そっちこそ! 部活終わったんでしょ! こんなとこで変なモノ見てたら、だめなんだからね!」
「へ、変なモノって──」
「だめなんだからね!」
 それだけ言うと、美奈子ちゃんは自転車のハンドルをぐいっと捻り小屋の陰から表に出て行った。僕はその場で足を動かすこともできず、先程見えたかもしれない何かを脳内に焼き付ける作業だけに没頭していた。
 チチチチチチと、美奈子ちゃんの自転車が進み出す音で我に返る。記憶の消えないうちに僕は駆けだした。
 いや、こんな記憶、消えるはずがない。だって、だって、美奈子ちゃんの、美奈子ちゃんの──

 僕はカモシカよりも、トラよりも速く駆けた。自転車で帰ったはずの美奈子ちゃんに追いつけるはずなんてなかったが、その心配すら忘れて、家まで、僕の部屋まで一気に駆けた。

 記憶に耽ろうかとベッドに倒れ込んだが、直後、母さんに呼ばれたので食卓に向かった。おかずはただの唐揚げだったが、なんだかいつもより、なんとなく、少しだけ、豪華に感じた。







(おしまい)

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。