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「みんなに好かれたい」という気持ちが、わたしの行く道をブロックしていた

もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。』というタイトルの松浦弥太郎さんの本を読んでいる。その中に、なんでもベスト10を考えてみるという項目があって面白かった。たとえば好きなものベスト10を考えたら、「好き」の深堀りができる。

ベスト10をつくるには、そのものの本質を知ったり、よく観察し、ふれなければなりません。このためにも、「"好き"の深堀り」が必要になってくるのです。

もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。』松浦弥太郎

松浦弥太郎さんのエッセイが好きなわたしは、すぐ感化されて、さっそくベスト10リスト作りをやってみた。googleスプレッドシート(オンライン上のエクセル)の1番上の列に「好きなことベスト10」と「嫌いなことベスト10」と「かなえたいことベスト10」をそれぞれ書いて、その下に10個書いていく。

そうすると、全然埋まらない。埋めるのが怖いと言った方がいいかもしれない。10個思いつくだけ挙げてと言われたら書けそうだけど、それがベスト10かと言われたら悩んでしまう。順位付けも怖い。こっちとこっちはどっちが重要?と自分に問いかけて、じっくり考えないと答えが出ない。こういったリストを作ったり、かなえたい夢をメモしたりするのはずっとやってきたのに、初めて、真剣に向き合って考えることができた気がした。

わたしはよく、文章が上手くなるにはどうすればいいかと相談されたら、たくさん書いて半分(もしくは3分の1)に削れと言ったりする。文字制限がなければ何も考えずに書いちゃうけど、制限があると、何を捨てて何を残すか、そもそも一番重要な言いたいことは何かなど、全部をしっかり考えないと完成できない。それと同じ。ベスト10を決める。そういう「考える方法」があると、初めて知った。

3つの中で一番埋まらなかったのが「かなえたいことベスト10」。ベスト1は「小説家として活躍」。この後、健康とかお金に困らないとか、いろいろ書いてみたものの、すごく悩んでベスト2は「死ぬまで幸せ」という言葉に集約させた。死ぬまで幸せをかなえるためには、健康で、生活費に困らず、毎日楽しく、平和に、気を許せる家族や友人が複数いる状態を維持したい。内容は盛りだくさんだけど「死ぬまで幸せ」はよくわたしの願いを示していると思った。そしてベスト3は「両親の幸せ」。大したことはできなけれど、とりあえず、親より長生きしたいなあとは思う。

そこから先ですよ。人生の夢リストに書いた威勢のいい願いが1つもこの先に書けなかった。ベストセラー作家になるとか。理系ライターとして日本一になるとか。遊ぶように働きながら月商100万とか。小説以外の表現活動もして多くの人を感動させているとか。一旗上げるぞ系のものが、どうしても書けない。目立って活躍して妬まれたり恨まれたり嫌われたりしたら、ベスト2の「死ぬまで幸せ」を揺るがしそうな気がするからだ。今のまま、細々と、小さな優しいコミュニティで、ときどき社会の役に立ちながら生きていけたら幸せなんじゃないだろうかと思ってしまう。

そんなことを考えているうちに「好きなことベスト10」に「みんなに好かれる」がランクインした。「嫌いなことベスト10」にも「人に嫌われること」がランクインした。

ああ、これがわたしのブレーキなんだ、と思った。わたしにも野心のようなものはあるはずなのに。わたしは嫌われたくないと無意識に思っていて、だから、野心に素直になれないし、本気になればもっといろいろ突破できるのではないかと思うのに、なぜか全力を出せないし、いつまで経っても、何に対しても、いまいち突き抜けられないのではないだろうか。勝負にがむしゃらに勝ちにいけないのも、嫌われたくないという思いがブレーキをかけているのかもしれない。

目立てば必ず嫌う人の声が聞こえてくる。何も悪いことをしていなくても、存在自体が気に食わないという人が必ず出てくる。誰かの仕事を奪ってしまうこともあるかもしれないし、うまく伝わらず恨まれたりすることもあるだろう。誤解も出てくるし。成功を妬む人も出てくる。

小説家になるということと、万人に好かれることを両立させることは、まず、不可能だ。もっといえば、社会に出て何かをすれば、万人に好かれるなんてことは、きっとできない。わたしはいつも「嫌われたくない」というブレーキを自分の足で思いっきり踏んだまま、ときどきアクセルを踏んでみて、前に進まない、と嘆いているのだと思った。

誰からも嫌われず平和に過ごす方が、わたしにとって幸せなんだろうか…と考えたりもしたけれど、最終的に、わたしを嫌う人のせいで、わたしの人生の可能性が奪われてしまうのは嫌だという結論にたどりついた。たとえば、昔みたいに、「女だから家庭を守れ、仕事をするな」って言われる世の中だったら、やりたいことを我慢して言われたとおりに家庭に入っているほうが波風が立たず、平和で幸せに暮らせただろうけど、でも波風を立てながら、居心地悪い状態になりながら、自分が正しいと思うことを貫いて、自由を勝ち取ってきた人たちがいて、世の中は変わっていった。わたしは後者の人生に憧れる。

どちらの人生が幸せだっただろうか。わたしの「死ぬまで幸せ」の「幸せ」の定義をそもそもじっくり考えなおす必要があると思った。

嫌われるかどうか、というのは他人に価値基準を任せていて、自分の人生に対して無責任だ。自分が良いと思うものを、自分の責任で選んでいかなくては、きっと、最期に後悔する。

悪魔が目の前に降り立って、契約を結ぶ光景を想像する。

「みんなに好かれたい、人に嫌われたくないという願いを捨てるなら、夢をかなえてあげなくもないけど」

ええい、サインしたるわい。まあ、そいつ、天使かもしれないけどね。




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