ゼロで死ね『DIE WITH ZERO』を読んで考えたこと
前から気になっていた本『DIE WITH ZERO』(ビル・バーキンス著)を読み始めて、一気に読み終わった。
多くの人は老後に使いきれないほどの資産を抱えてそのまま死ぬ。お金を稼ぐのに費やした時間やエネルギーや若さはもう戻ってこない。使いきれなかった資産は、その時間や若さを無駄に捨てたようなものだ……みたいな内容。使い切って死のうというタイトルだけでも刺さってしまった人は、本文を読むといっそう自分事になるから、ぜひ読んでみてほしい。
(ちなみに子どもに遺産を残す、という場合も死んでから残すのではなく、生きてるうちに渡せと。その方が子どもも有効活用できるからと。納得。子育てとかお金がかかる時期にあったほうがいいものね)
老後にどれだけあったら生きていけるのだろうか。そのためにはどんな老後を送りたいか考えてみようと思い、紙に書き出してみた。夫も亡くなってひとりになって80歳から90歳を生きるという想定で。
この年でもまだ仲のいい友達がいたらいいなとか、たまにおいしいもの食べたいなとか、健康で自分ひとりで生活できるといいなとか、まだ小説を書けていたらいいなとか。いろいろ出てきたけれど、やっぱりできることは40代の今より少ない。今やりたいことを今やらなくては、と思った。
90歳まで生きるとして老後にどれだけ必要で、今どれだけ使っていいのかを、ざっくり計算してみた。ふむふむ。じゃあ、その使っていいお金を今何に使うか。
わたしの望みは小説家として認められることなのだから、小説以外の仕事を減らし、小説を書く時間を作ることにお金を使えばいい。すでに約束している仕事だけやって、新たな仕事は断る。足りない分は貯金も使って生活する。そうして作った時間で小説に存分に取り組みたい。
今年の10月で45歳になるのだけれど、小説モードになって飛び立つ加速度を生み出すのに2年くらい助走(もしくはリハビリ)が必要な気がしている。そこから墜落せず安定飛行するために3年くらい? 50歳をいったんの目標にして、5年間で貯金ゼロにしてでも小説をやりきろうと思った。ここ数年間、ライター仕事をがんばって得たお金を、そんなふうに使ってもいいのではないか。そんなふうに使うことで、ここ数年間も、小説を書くことにつながっていたと語ることが可能になるのではだろうか。
しかし、本屋にちゃんと新刊が並ぶ小説家になったとて、小説だけでまともな生活はしていけないので、50歳からまたライターもがんばろうと思っている。そのときに望み通り小説家として認められるようになっていれば、小説家としての合わせ技で仕事の幅が広がるはず。もしくは、そうじゃなかったら、小説家としてはもう才がなかったとあきらめて理系ライターに振り切ってがんばれるかもしれない。
朝起きて、今日は何をしようかなあとのんびり考えるような日に憧れる。お金に換えられない贅沢な時間。それはもしかしたら、年老いて働けないようになれば自然に訪れるのかもしれないけれど、今、したい。そういう贅沢な時間が小説家であるわたしの人生には必要だ。年に1日でもいい。そんな自分のささやかな願いを叶えてあげられない自分がなんだか情けない。今すぐ実現できなくても、どうしたらいいのか考えて、そのための行動を今からしていこうと思った。
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