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育休の話を聞いて、わたしも人生レベルで自分のやりたいことをするために休みをとろうと思った話

昨日は『ママはキミと一緒にオトナになる』を上梓したコラムニストの佐藤友美(さとゆみ)さんと、『おそるおそる育休』を上梓した毎日放送アナウンサーの西靖さんのトークイベントに行ってきました。

実を言うと、ライターとして尊敬するさとゆみさんのイベントだから聞きにいくものの、わたしには子どもがいないから、今回のテーマはあんまり興味がないなと思っていた。子どもを欲しいと思ったことは一度もないし、今後もないし、10億円あげるから子を産んでと言われても1秒で断るくらい、積極的に欲しくない。でも欲しくて産んだ人は応援したいし、産まれた子どもたちには幸せになってほしいし、欲しい人が苦しんだりやりたいことを我慢したりせずに子育てできる社会になったらいいなあと常々思っている。

京都から大阪へ向かう電車の中で『ママキミ』を読み返して、息子氏の発言にハッとさせられるさとゆみさんにハッとさせられ、トークを聞いて西靖さんが育休の中で家事を担う人にとっては当たり前のことに苦戦しつつ(米をどこまで研いだらいいのかわからないとか)、育休をとる前よりも豊かになったという話を聞いているうちに、突然、雷に打たれたように、これって、わたしにも関係ある話じゃないかと悟ってしまった。

というわけで、悟りの記録を書き残しておきます。

仕事だけが人生ではないという当たり前の気づき

今まで、子育ては親を成長させるよねとか、男の人も育休をとれるといいよね、とか、そういう話は全部やっぱり他人事だった。子どもを欲しくないし、育てたいとも思わないから、欲しい人はそうなんだろうねえというスタンスで聞くしかなかった。

そうして、心のどこかで、出産や育児や子の世話で仕事の時間を削られる人たちに比べて、わたしは「有利に」この世を渡っている、と考えていた。これって、出産や育児でフルタイムで働けなくなる女性や育休をとる男性を差別したり、配偶者に育児をまかせっきりにして家庭を顧みず仕事ばかりする人たちと同じ思考だ…ということに、イベント中に気がついた。ちょっとショックだった。有利ってなんだよ、って自分に突っ込んだ。

そして、さらに、今まで他人事だった「子育て」が突然自分ごととして突き刺さって、新たな悟りが訪れた。わたしを変化させた思考過程を記録しておくと次のような経過をたどる。

育児はやりがいもあるんだろうけど、大変すぎる。なんでそこまでして子どもを育てるんだろう。

きっと、大変でもやりたいくらい、強く子どもがほしいんだろうなあ。その気持ちはわたしにはわからないけれど。

あれ、待てよ、人生レベルでやりたいこと(=子育て)をやるために、休みをとったり仕事をセーブしたりするのって、ものすごく豊かなことなのではないか。

「どれだけたくさん効率的に仕事ができるか」という価値観で世界を見ていると、子育ては仕事を邪魔するものでしかない。けれど、「人として生まれてきて、どんな人生を送って死にたいか」という観点から世界を眺めると、仕事ばかりして人生が終わっていいのかと大きな疑問が生じてしまう。いや、よくないやろ!よくない!よくない!!

仕事が好きで、それさえあればもうほかに何もいらないと心底思っているならいいけれど、多くの場合、仕事をし続けていることは自分の意思100%ではなく、それ以外の圧力も加わっていると思う。たとえば生活費を稼がなくてはいけないからとか、他に代わりがいないからとか、他人に迷惑をかけるからとか、断るのが面倒だから、世間の目が気になるからとか。

わたしは子育てをしたいとは思わないけれど、今のライター仕事だけをして人生が終わったら満足というわけでもない。小説を書くことを仕事にしたいという夢がある。(※小説家にはなってはいるものの、現在の仕事のほとんどはライター仕事ばかりなので)。

仕事にすべてを捧げよという洗脳がようやく解けた

昔、未婚の方の卵子凍結保存サービスの取材をした。そのときに、いつかは子どもが欲しいと思いながらも、仕事に追われて、結婚や妊娠への準備ができず、年齢とともに妊娠できる能力がどんどん落ちて、不妊治療に苦しんでいる女性がたくさんいることを知った。単に、加齢とともに妊孕力がどれだけ落ちるのかということを知らないだけではない。知っていても、キャリアを形成する上で、20代後半から30代というのは、よっぽど計画的に生きていかないと、あっという間に過ぎてしまうのだ。

そんな実態を取材で知ったとき、何だか悔しかった。仕事は、個人の「子どもがほしい」という希望とは関係なく、どんどん押し寄せてくる。よっぽど強い意志で、そして今の社会ではキャリアを失うことも覚悟しながら、わたしにはほかにもやりたいこと(=子を産み育てる)があるので、と跳ねのけないと、女性が働きながら子どもを持つことは、難しい。

子どもを産んで育てるという、国を挙げて奨励されていることですら、こんな状態なのだから、個人が自分のやりたいことを優先させて人生を自分の手で設計するのは本当に難しいなと思う。仕事の邪魔にならないならやっていいよ、という声が聞こえる。

わたし、フリーランスなのに何をやっているのだろう。自分で仕事を受けるか断るかを決めることができるはずなのに。わたしの脳内に何か生まれつき洗脳マシンが埋め込まれていて「仕事が最優先」と命令し続けられているような感じさえする。それをもぎ取って、洗脳を解除しなければ、と思った。

わたしの周りには、大人になってから学び直しのために通信教育制の大学に入ったり、会社員だったけれどフリーランスで生きていくためにライター塾に通ったり、今はライターなんだけども将来、自分のBarを開くために飲食店でバイトを始めたりする人たちがいる。

目をつむっていても何も考えていなくても人生の終わりまで自動的に運んでくれるベルトコンベア。そこから降りて、自分の人生を自分で歩いていこうとしている人たちに何人も会ってきた。だから、このトークショーでようやくわたしは目覚めることができたのかもしれない。

産休と育休をとるように休んで次のキャリアを育ててみたい

子どもを産む人が産休や育休を取るように、小説を書くための休みをとってもいいんじゃないか、とふいに思った。なにを阿呆なことをのたまっているのか、と思われるかもしれない。子育てとお前の趣味を一緒にするなと。

でも、子どもを欲しい人が子を欲しいと思う気持ちと同じくらい、わたしは小説を書いて世に出して多くの人に読まれたい、小説を書くことを仕事にしたい、小説に生涯を賭けたいと思っているんだけどなあ…なんて、比べられないし、絶対に検証できないけれど。まあでも、大きさじゃないよね。それぞれ、自分の人生だし。人様に迷惑はかけないし。わたし、フリーランスだから、どれだけ働くかを決めるのは本来、自由なはずだ。小説を産んで育てる産休と育休。もう少し広く言えば、次のキャリアの準備のために自分を育てるための産休と育休。もちろんフリーランスなのでその間は収入は途絶えるのだけど、そのくらいはなんとかなるようにする。

と、ここまで考えてようやく、産休や育休をとる人の気持ちが少しだけわかった気がする。仕事を休むのって怖いし、できる気がしない。置いて行かれる気がする。復帰した時に仕事がなければ飢えてしまう。それでも、やりたいことのために、休むと決めて、妊娠がわかったときから、業務を引き継いだり整理したり家でもできるようにしたりして、せっせと準備をするんだろう。

今、わたしは、ライターの書籍の仕事を5冊抱えている。本当は4冊だった。でも、今発売中の『思い出せない脳』でご一緒した編集者さんが、また一緒に仕事をしたいと言ってくれた。とても嬉しかったけれど、でもその時点ですでに4冊も抱えているから無理だろうと思い、それを話したら、「じゃあ、その一番後ろの列に並びます」とこともなげに言ってくれた。びっくりした。

で、現状、5冊なんだけど、そうだそうだ、この後ろにわたしが並べばいいんだと思いついた。6冊目に。長い小説を書いて文学賞に再び応募するために自分が自分の編集者になって、忍耐強く、そして決してこの場を譲らないという気持ちで、頑固に「わたし」を信じて、並び続けていればいいんだ。

新たな仕事を受けてもいいけど、それは小説の後ろだ。小説を書きあげてからならやってもいい。

いつも漠然とスケジュールを立てていたからダメだったんだなあと反省する。数か月先の予定を見て、ここは1か月小説のための時間にするぞ、なんて思ってみるものの、書籍の仕事はスケジュール通りにいかないからずるずると押し出されて行って、小説のためにとったはずの1か月で何とか帳尻が合う。そして、小説はもう終わっているだろうと思って、新たに入れた次の仕事が始まってしまう、その繰り返し。期間ではなく、仕事の順番取りの方がよさそう。

子育てなんて自分には関係ない話だと思って耳と心を開かなかったら、気づけなかった。多様性って、倫理的な話じゃなくて、こういう気付きをもらえるものなんだと思う。自分と似た属性の人同士でつどっていたら話が合ってコミュニケーションコストがかからず、効率的で、楽なんだけども、そうじゃない人の話を聞いたら、今まで壁だったところにどーんと穴が開いて別の世界へつながる道ができることもある。そうして、そこから入ってくる風のおかげで、もっと生きやすい方法があることに気づくことができる。

子育てに奮闘している人たちを、子育てって大変だね…という他人事の視点で見るのをやめて、人生レベルでやりたいことを成し遂げるために何とか仕事と両立させながらがんばっている人たち、という目で見ると、彼らの苦労話や嬉しかった話や工夫した話のすべてが、自分の未来の戦いのヒントになるなあと思いました。(もちろん、子どもがいるけれども子育てをしたくてしているわけではないという人もいる。その話はまた別のところで)。

心を開けば、学びはあちこちにある。本を読んでも心が開いていないとまったく頭に入ってこない。でも、わたしと出会ってくれた人たちが、わたしの心を開かせてくれる。

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