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ウニ

 人々が通勤ラッシュと呼ぶ時間帯、つまり七時であるとか八時であるとかいった時間に私は通勤をしていた。もちろん、やむなくでありそのような時間に通勤をしたくはない。だが、しがないサラリーマンの私が自由な時間に通勤を出来るはずもない。鬱々と人の黒い塊に流されるだけの日々を過ごすしかないのである。
 その様に、毎日が過ぎるはずであった。
 ところが、私の人生に於いて最も奇異で忘れる事の出来ない日が訪れたのである。
 ぼたぼたと垂れる汗は地面に跡を残し、飽和してしまったシャツが肌にこびりついてくる。ここがプラットホームでなければ私の姿は海藻をまとって海から出てきたように見えるであろう。
 更に、これから自分が人と人の間で潰されるかと思うと気分は晴れない。せめてもの救いといえば、自分が乗車する駅まではまだ満員にならないということである。次の駅から始まる地獄の時間に対して、私には数分の気休めが残されていた。
 何か変わったことでも起きないだろうか、と単調な毎日を過ごしていれば誰でも考えるようなことを日課のように頭に浮かべている間に電車はやって来た。
 耳にたこを生むだけのアナウンスとともに扉が開く。冷房に冷やされた空気は出てくるが降りる乗客はいない。座席はすべて埋まっている。通路にはそれなりに人がいるが、詰めたり、間に入ったりする余裕はありそうだ。そして、通路の中央にウニがいた。
 そう、その日の電車にはウニが乗っていた。
 ウニといっても普通、私たちが想像するような、掌に乗る程度の大きさの海産物ではない。ソイツは人並みの大きさがあり二本の脚で垂直に立っていたのである。体の形状は球形ではなく上下に伸びている。色は黒の混じった赤紫で、濡れているわけでもないのにぬらぬらと光っていて気持ちが悪い。体表には棘がびっしりと生えており、私がウニと判別した所以はそこにある。
 周囲の人はちらちらと見はすれども、なるべく距離を取って立っている。
 通路の方へと行きたかったが、ウニに近づきたくないので仕方なく扉の前に陣取る。
 窓の外を見ながらも背後の異質な存在から意識を逸らすことが出来ない。コイツは一体何者なのだろうか、着ぐるみでも着ているのだろうか、誰かに報告した方がよいのだろうか、SNSで話題になっているのだろうか。いろいろな考えが湧いては流れ去る。何か話しかけてみようかとも思ったが、そのような勇気は無く、何もしないという結論にしか至らない。
 そうこうしている間に次の駅についていた。
 外には人の塊、扉が開くのをまだかと待ち構える人の塊。
 私は自分の過ちに気が付く。
 扉が開く。降車する人はいない。人が流れ込む。背後のウニとの距離が縮まる。本能的恐怖が私を貫く。
 いや、実際に私は貫かれていた。
 頭、肩、胸、腹、脚。四方に伸びていた棘が貫通する。皮膚が破かれ、血管が断たれ、神経や肉が切られた箇所が熱くなる。ぬめりとした液体で濡れているのが分かる。小さい頃、虫や花を切ったときに気持ち悪い液体が出てきたことを思い出し、アイツらも生きていたのかと今更ながらに思う。
 私だけではない。電車に押し込まれることで次々と乗客が棘に貫かれていく。赤の他人とバーベキュー状態になる。首は動かせないが、周りも同じようになっているのだと叫び声で容易に想像がつく。
 血まみれの人と針の山。文字通り地獄絵図と化した車内。それでも人は乗ることを止めない。
 際限なく、ウニに気付かない乗客が乗り込んでくる。
 私が死ぬ前、最後に、私が見たものはプラットホームにいた全員が乗り終えた車内に、さらに乗り込もうとしているウニの姿であった。

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